009 再会
それから二分もしないうちに、ドアをノックする音が聞こえた。
「はーい。どうぞー」
「あは、は。やっぱ真ちゃんもう来ちゃってました。それよりも! さ、入ってちょうだい」
まるで自分の部屋へ招くような口振りで、ドアの向こうに声をかける。
そして、恐る恐るの体で病室に入ってきたのは、間違いなく赤坂真吾だった。
二年半前は、まだ子どもっぽかったのに……って当たり前か、しっかり成長の跡がうかがえる。
一番の違いは身長。前は、俺の方がちょっとだけ高かったハズなのに、今では軽く百八十センチ近くはある。
俺は百七十一センチ。うぅ~なんか悔しい……。
「じゃーん。どう驚いた? 見まがうなかれ。これが一樹だよ」
「………」
メグの演出過剰気味の紹介にも気がつかない程、真吾は俺を心底驚いたように見つめていた。
その視線は、顔にしばらく注がれていたかと思うと、胸、左手のギプス、下半身に移動して左足の包帯、そして顔、また胸へと忙しく動いている。
そんな真吾を眺めながら、その変貌振りに見惚れていた。
うーん。確かこれはファンクラブが出来てるって話も頷る。
その長身に服の上からも分かる、均整が取れたプロポーション。
そして、まだ男らしさの中にも幼さが残るマスク。
うんうん。よくぞこんなに立派に育ったもんだ。って、無論俺が育てたわけじゃないんだけどさ。
「それじゃ、私は用事が残ってるから先に帰るね」
俺たちの様子を面白そうに眺めながら、ゼリーを手早く食べ終えたメグが、自分のカバンを掴んで病室のドアへ向かう。
「あ、ああ。見舞いサンキューな」
「うん。じゃ『一樹』に『真ちゃん』バイバイ」
気を利かせたのか、俺のことをわざわざ一樹と呼んでから、メグは手を振って出て行った。
そして、病室には俺と真吾が残された。
「びっくりしたか?」
軽く笑って、未だ硬直から立ち直れない真吾に声をかける。
「……本当に一樹なの?」
真吾は、にわかには信じられないのか、そう問いかけてくる。
「ああ。正真正銘俺は一樹だよ」
髪を後ろにまとめて、以前の髪型に近くして見せる。
それから立たせたままも悪いので、椅子を出してそこに座ってもらった。
「あ。こ、これ……お見舞い」
どこか呆然としながら手に持ってた包みを差し出す。
「サンキュー。あ、この包みは目白屋の鯛焼き?」
「ああ。なんにしようか迷ったんだけど、一樹は好きだったから……」
「嬉しいよ。引っ越してから食べてなかったからな」
「そう……だね。声も昔とそう変わってない」
真吾はまだ信じられなかったらしく(まぁ当然かもしれないけど)やっと俺を一樹だと納得したみたいだった。
「ごめんな真吾。あの時は黙って引っ越したりして」
そう切り出して、今までの事情をかいつまんで説明した。
「そうか。僕に黙って転校したんで、正直言うと一時期はちょっと恨んだよ」
「ごめん」
「いや、いいよ。一樹が僕に黙っていたってことは、なにか事情があったんだろうって思い直したからね。それに、そんな大変なことが起こった時に、力になってあげられなくて悔しいよ」
「そんなこと気にするなって。……ちょっとな、恥ずかしいやらなにやらで、メグにも誰にも打ち明けていなかったんだ。昔の知り合いでは、家族を除けば真吾でふたり目かな」
「うん。恵も昨日初めて知ったって言ってたよ」
「実は黙ってるつもりだったんだけどな。あはは……」
ごまかすように照れ笑いすると、真吾は『そんなところ、昔から変わってないなぁ』って顔で微笑む。
「女になった最初の頃は、すごく動揺しちゃってさ。とにかく、誰にも知られたくなくて転校したんだ。体だけ性別的に女になってもさ、心は見かけほど簡単に割り切れないんだよね」
「……ああ」
「その見かけもさ、初めは男だった時と変わらなかったんだけど、半年一年と経つうちに自分でもわかるくらい女の子になってくるんだ。元が女みたいだっとは言え、俺は自分では男だと思ってた。でも、鏡で見る自分が、だんだんと女の子だって思えるようになっていくんだ。割り切れるまではやっぱり恐かったな。今では恐くはないけど、それでもまだ戸惑うことも多いよ」
「……」
真吾は、返答に困ってる感じだった。
無理もないよな。
取り乱したり笑ったり、気味悪そうにしないだけ、さすがってもんだと思うし。
「まぁでも、逆に考えると、こんな状況もなかなか楽しいかなって思うけど」
沈黙に耐えかね、気楽そうに装って話を変えてみる。
「そんなものなのか?」
「ほら。真吾から見ても、今の俺は女に見えるだろ?」
「う、うん。それじゃその、胸も……自前なの?」
「ん? ああ。これか?」
強調するように、両手で胸を持ち上げて見せる。
案の定、真吾は赤くなってうつむいた。
はは、相変わらずこーゆーことには照れ屋だな。
「自前だよ。シリコンとかじゃなくて。……そうだ。触ってみるか?」
「い、いや、いいよ」
「そうか? 結構大きいから触り心地いいぞ?」
「うぅ……」
顔を赤くした真吾が困ったような表情を浮かべる。
「あはは。冗談だよ冗談。ま、そんなわけで人生やり直してるんだ。くれぐれもこのことは他言無用で頼むよ」
「う、うん……。それはわかってる。なにか困ったことがあったら相談してよ。力になるから」
「ありがとう真吾」
そう言って微笑むと、真吾はまたもや赤くなってうつむいた。
なんなんだ?
「でも、一樹さ。普通の……クラスメイトの女の子とかより、ずっと女って感じがするね」
「そうかぁ? まぁ女演じてる分そう思えるのかもな」
「いや、言動とかじゃなくてさ。その、雰囲気が」
「自分じゃあんまり変わってないつもりなんだけどな」
「なんて言ったらいいかな? なにか先に大人になったみたいな気がするんだ」
「あはは。まぁそれは、男女両方の人生経験積んでるからかな」
俺たちは軽く笑って、そして、お互いに視線を合わせて微笑んだ。
「そう言えば、名前、変えてるんだったよね?」
「あ。そっか……うん、今は『波綺さくら』って言うんだ。思春期での性転換って、なにかと周囲から言われるから変えた方がいいって、カウンセラーの人に提案されて変えたんだ」
「そうか。色々大変だね」
「この『さくら』って名前にも、もう慣れたけどな」
「どうりで入院患者の中に波綺一樹がいないはずだよ」
「ごめんごめん」
「いや、これは一樹のせいじゃないから、気にしなくていいよ」
「うん。ところで真吾……」
「なに?」
「そう言うわけなので。人前では俺のこと「さくら」って呼んでくれ」
「ん。ああ、そうだね。努力するよ」
コンコンと、遠慮がちにドアをノックする音。
「はーい」
あれ? メグが戻ってきたのかな?
「失礼しま~す」
その予想とは裏腹に、ドアの隙間から顔を覗かせたのは志保ちゃんだった。
「あの、あたし、さくらちゃんのお見舞いに……あの、その、お邪魔だった……かな」
俺と真吾の顔をあたふたと見比べて、志保ちゃんが顔を赤くして謝る。
「全然構わないよ。いらっしゃい志保ちゃん」
「それじゃ。か……さくら。僕はこれで」
「うん。真吾もありがとう」
「ああ」
真吾は、途中志保ちゃんと、その連れの女の子に会釈して病室を出て行った。