008 お見舞い
「あの……君……」
男はそれを見て、呪縛から解かれたように身じろぎをひとつして語りかけてきた。
「……」
「……どうかしたのかい?」
黙ったままで無視した格好になってしまったが、男はこちらの無反応に戸惑いながらも話しかけてくる。。
「いえ、なんでも……ない」
言葉を濁して、あやふやに答える。
「ここに入院してるんだ?」
病院を見上げながら話を振ってくる。
コクリと頷くと、男……学生服からすると高校生か、は、安心したように近づいてきた。
「よかったら病室まで送るよ」
男が傍らまで歩いてきたところで、頭上から声がかかった。
「浩一郎~。なにナンパしてんのよ~!!」
頭上から聞き覚えのある元気な声が聞こえてきた。
見上げると三階の窓からメグが手を振っている。あそこは……俺の病室か?
「さくら~見舞いに来てあげたんだから、さっさと戻ってこ~い!」
メグが遠慮もなにもなく、ぶんぶんと手を振って呼び付ける。
ひらひらと手を振り返してから、病室へと向かうべく歩き出した。
「へぇ。さくらさんって言うんだ。良い名前だね。よく似合ってるよ」
横に並んできた『浩一郎』と呼ばれた男が、耳元にささやくように話しかけてくる。
しかし、初対面なのに臆面もなくこんなことが言える奴は好きじゃないな。
「あなたは、メグの知り合い?」
「メグ? あ、ああ。羽鳥のクラスメイトだよ。北倉浩一郎って言うんだ。よろしく」
握手でもするつもりなのか手を差し出す。
「私は波綺さくら。よろしく先輩」
その手を無視して一応笑顔で答えた。
「……せんぱい?」
北倉先輩が、差し出した手を引っ込めながら訝しそうに言葉を繰り返す。
「メグのクラスメイトってことは二年生でしょう?」
「ってことは……さくらさんは……一年生?」
動揺を隠せない先輩が呟く。
「うん」
「そうか。年下か……」
黙り込む北倉先輩。本当は同じ歳なんだけど、訂正する気はなかった。
病室に戻るまでの間、北倉先輩がなにか話しかけてきたけど、恭平とまどかのことを考えていたんで、適当に生返事でそれに答えながら階段を上る。
意識をあっちに持っていったままの俺は、二階の踊り場で見舞いに付いてきたらしい子どもとぶつかってバランスを崩した。『あ!』っと思ったのもつかの間。俺は後ろから抱きとめられた。
「ほら。考えごとしながら歩くと危ないぞ」
振り向くと目の前に北倉先輩の顔があって、耳元でささやくようにたしなめられる。
「どうも……ありがとう」
恭平に抱きとめられたような感じがして、思わず声がうわずってしまった。
うぅ……少し頬が熱くなる。
「……い、いや、気をつけて」
動揺してる俺に北倉先輩も驚いたのか、視線をそらして慌てて手を離した。
病室に戻ると制服姿のメグが待ち構えていた。
「はーい、さくら。お見舞いにきてやったぞ」
いつものように恩着せがましく、ウインクするメグ。
「これ差し入れ」
「サンキュ」
メグから包みを受け取る。どれどれ。中身はフルーツゼリーか。
「ありがたくいただきます」
オーバーアクションで恭しく頭を下げる。
「うん。あ、私にも食べさせてね」
そんな俺の仕草に、にっこりと満足そうな微笑みを浮かべるメグ。
「俺もご相伴に与っていいかな?」
ちゃっかり病室まで入ってきた北倉先輩が口を挟む。
「だーめ、さくらの見舞いなんだから」
メグがにべもなく答える。
「じゃ、どうしておまえも食べるんだよ?」
「いいでしょ。私が買ってきたんだから」
「ずりぃ……」
「ずるくない! それはそうと。どうして浩一郎がここにいるかなぁ?」
「あ? 俺か? 俺はレディーのエスコートをしてきただけだよ」
メグと北倉先輩が、お互いの存在について論争している間に、俺はベッドに座って左足を休ませる。
「さくら。浩一郎になんかされなかった? コイツは学校でも評判の女ったらしだからねぇ」
口に手をあてて、でも、聞こえよがしに話すメグ。
「こら羽鳥! 誰が女ったらしだ! 人聞きが悪い。さくらちゃんが誤解したらどうすんだよ!」
「あらぁ、誤解もなにも真実を教えてあげてるのよ」
メグは、例のイヤな笑みを浮かべて、北倉先輩を横目で見る。
「なんだとぉ!!」
「それより。呼ばれもしないのに勝手に病室まで入ってこないでよね。図々しい」
「ぬぬぬぬぬ。言わせておけばこの女わぁぁ~!」
「まぁふたりとも。ここは病院なんだし落ちついて」
見かねて仲裁に入る。
しかし。へぇ~、ふ~ん。メグと北倉先輩って結構いいコンビかも。見てて飽きないよな。
「いけね。俺、用事の途中だったんだ」
「はいはい。じゃね。バイバイ」
素っ気なくあしらうメグ。
「くぬぬぬ。ふぅ……。ま、こんな奴にマジんなっても仕方がないか」
「今更余裕ぶって見せても遅いって」
メグがすかさず突っ込みを入れる。
「……くぅ。そ、それじゃさくらちゃん、次は学校で」
辛うじて笑顔を保った北倉先輩は、そう言い残すと病室から出て行った。
「やっとジャマものがいなくなったわね」
メグは腰に手をあて、これ見よがしに安堵の溜め息をつく。
「でも、結構いいコンビなんじゃないの?」
俺は笑いを噛み殺しながらそう感想を述べる。
「ジョーダン。願い下げだわあんなの」
メグは即答即断で俺の意見を却下した。
あんなの……。ちょっとだけ北倉先輩が可哀想に思えて心の中で同情した。
「でも怪我大したことなくて良かったわね」
「うん。そうだな」
「で? 人助けの勲章なんだって? その怪我」
「んー、そうなるかな?」
「相変わらずよね。中学の時にも、そんな感じで怪我して入院したでしょ?」
「はは。まぁ性分なんだよきっと」
「小さい頃も、よく怪我してたよね」
「ケンカばっかしてたからなぁ」
小学生の時は、この容姿のせいでよくからかわれていた時期があって、そのたびにケンカしてたもんだから、毎日生傷が絶えなかった。
酷い時は足を折って入院したこともあった。
でもそんな毎日が続くと、いい加減ケンカ慣れしてきた。
ケンカの仕方と言うかコツがわかってきて、大抵は勝てるようになり、小学校高学年時分には、もはや誰からもからかわれることはなくなったんだ。みんな痛い目見るってわかったからね。
「そうそう。バタバタしてて忘れるところだった」
ゼリーの包みを開けていたメグが、思い出したように顔を上げる。
「ん?」
「あと、真ちゃんも来るから」
「えぇ!? し、真吾も来るのか?」
「なに慌ててんのよ。安心して。真ちゃんにはまだ話してないから。部活のミーティングでちょっと遅れて来るって話だったんだけど」
メグは、気がかりそうにちらりと病室のドアを見る。
ふむ。時間的にはもう来ててもおかしくないのかな。
「なぁメグ」
「なに?」
メグは早速、持参したフルーツゼリーを取り出しながら答える。
「まだ真吾には話してないんだよな、俺のこと」
「うん。かず、とと。さくらが自分で話すって言ってたからね。ん~オイシイ~」
目をつけていたらしい桃のゼリーに舌鼓を打ちながら返答する。
……こいつわかってないな。
「なら病室わからないんじゃないか? 俺、名前変わっちゃってるし」
「え!? ……そうだ! あ、私、受け付けに行ってみるね!」
メグは慌ててバタバタと病室から出て行った。
まったく。