048 ラーメン
放課後。
これでも急いで校門に来たつもりだったけど、待ち合わせの相手はすでに手持ち無沙汰に待っていた。
「あれ? もう来てたんだ。お待たせ」
颯はこっちに気がつくと、一瞬ほころんだ表情を無理に引き締めて、ちょっと微妙な表情になる。
でも、それが一気にムッとしたものに変わった。
「早く来たつもりだったんだけど。そんなに待った?」
またもや颯は怒ってるみたいだ。
なにかと難しい年頃なのだろ~か。
「あのな~ぁ? 後ろのはなんなんだっ!」
颯が指さす先に振り返るとニコニコ笑顔の楓ちゃん。
興味津々でワクワクしてる茜。
そして、迷惑そうに茜に引きずられてきた桔梗さん。
その三人が少し離れたところで見守っていた。
いや、別に俺が誘ったわけじゃないんだけど。
なぜかは知らないけど楽しそうにしながら勝手についてきた。
まぁ、どうしてついてきたのかは想像に難くないけど、颯が怒ってる理由はこれか。
「……ったく! 女はなんでもかんでも喋りやがる」
吐き捨てるように言う颯。
いやだから。
俺から特になにか喋ったわけじゃないんだけどな。
女の勘ってやつが侮れないことが実証されただけで。
しかし、これでヘソを曲げられても後々俺が困る気が……よし。
「いくよ! 颯!」
「!? お、おいっ!!」
戸惑う颯に構わず手を引いて走り出す。
「あっ! こら~さくらぁ~~~~」
「颯くん、がんばってね~~」
「だから邪魔者だって言ったのに……」
遠くに茜たちの声を聞きながら、下校中の生徒の間を縫って商店街へと走り続けた。
「いい加減とまれ!!」
繋いでいた手を振りほどかれた。
足をとめて荒い息を整えながら小さくなった学校を振り返る。
よし。ついてきてはいないな。
「なに、いきなり走り出してんだよっ!!」
「ん? だって颯が怒ってたみたいだから」
「だからっておまえなぁ」
「なに?」
「……いや。もういい」
颯は脱力感いっぱいだ。
ま。その方が大人しくていいかもな。
「……」
「じゃ、約束通り一柳亭に行こっか」
「…………」
「ん? どうかした?」
不意に立ち止まった颯が俺を見上げ、そして密かに溜め息をついていた。
なにかマズったな、俺。
「ヘイお待ちどお。しょうゆと豚骨ね」
テーブルにラーメンがふたつ並ぶ。
「いただきます」
手を合わせて軽く頭を下げる様子を颯がなにか言いたそうに見ていた。
表情だけで『なに?』と訊くと、気まずそうに目を閉じて小さく『いただきます』とつぶやいた。
「でも、ラーメンだけで良かったの? 他になにか頼んでもいいのに」
「いらねぇ」
「たくさん食べないと大きくなれないよ?」
「ほっとけっっての。それより……なんだよソレ」
と、こちらのラーメンを指さす颯。
「ん? 豚骨。美味しいよ?」
「バカだなぁ。ラーメンっつったら、醤油に決まってるだろ?」
「あはは。ダメダメ。凝り固まった価値観じゃ人生損するよ」
「ちっ。言ってろ」
「でも、そっちも美味しそう。ちょっと貰うね」
少し身を乗り出して、颯のラーメンを一口いただく。
(おっと髪、髪)
乗り出したせいで危うく自分のラーメンに落ちそうになる髪を手で押さえる。
ラーメン臭い髪なんてヤダからな。
「ん。確かに醤油も捨てがたいね」
醤油ラーメンって、あんまり食べたことがないんだけど、このお店のはなかなか別格だ。
この次チャレンジしてみようかな、とか考えながら颯に目を移すと、なんだかポーっとしてた。
てっきり『俺のラーメンだぞっ!』とか言って怒りそうだと思ったんだけど。
「……お~い?」
ひらひらと目の前で手を振る。
「仕返し」
不意に、ずぞぞぞ~っと、こっちのラーメンから大量に麺を奪取される。
「あ、こらっ待て。こっちはそんなに食べてないだろ」
こちらの声には耳を貸さず、口いっぱい限界まで麺を頬張る。
あ、あ~ぁ……。
俺の、俺のラーメンが……。
一気に半分近くまで減ってしまった。
うぅ、俺のトンコツ。
「なにしやがる!このクソチビ!」
ビシッと颯の脳天に手刀を落とす。
「ふぇふぇ、はまぁみほ(へへ。ざまぁみろ)」
あまりに頬張りすぎてて、なにを喋ってるのかよくわからない。
「喰らえ!恨みのヘルズヘブン!」
右手を伸ばして、まだ口いっぱいに頬張ってる颯の鼻をつまむ。
「ん……んんん==#@?&□!!!」
あまりに頬張りすぎて飲むに飲み込めず、かと言って鼻呼吸は俺に遮られて見る見る顔が赤くなっていく颯。
「ん? なに ?聞こえないなぁ~」
豚骨の敵討ち思い知れ。
「べほっ」
びちゃっと、自分のどんぶりに口の中を吐き出す。
「うわっ汚いなぁ」
「げほっげほっ……」
「マナーがなってないねぇ、颯?」
「殺す気かっ! このクソアマッ!」
「自業自得。人のラーメン半分も食うからだ」
「元はと言えば、おまえが先に食ったんだろっ!!!」
「だからって、半分も一気に食うなっ」
「へっ。そっちこそ自業自得だっての」
もう食事そっちのけで言い争う。
終わり無き闘争の火蓋が切り落とされたかに見えた『第一次豚骨仇討ち紛争』は、第三者の介入によってあっさり遮られた。
「学生さん。いちゃいちゃすんのはいいんだけどさ、もうちょっ~と静かにしてもらえるかな? 他のお客さんの迷惑になるからね」
お店の人から注意される。と、同時に周囲から笑い声が起こった。
「すみません……」
ふたりして小声で謝る。
うぅ。恥かいた。
つ~か、いちゃいちゃしてるように見えるのか? あれが? どの辺が? なぜに?
「みろ。颯が変なことするから笑われたじゃね~か」
「へ……へへっ」
なぜか笑い出す颯。
……ひょっとして羞恥プレイにでも目覚めたのか?
「颯……おまえ、実は豚骨アレルギーだったのか?」
「ちゃうわボケ」
「ならキショイタイミングで笑うな!」
「そうそう。その方がらしいぜ」
一転笑顔になる颯。
「その方って?」
「おまえ、学校じゃ、なんか猫かぶってたみたいだったから。喋りもちょっと変だったし」
「変……」
なんか変だったのか? 俺の言葉遣いって。
「なんだかさ、女みたいだった」
う……。
「あのなぁ、これでも私は、ちゃんと女なんだけど」
……だよな。多分。
「そんなん見りゃわかるって。ただ、あん時と話し方があまりに違ってたから」
「そんなに違ったかな?」
「ほら、それそれ。前なら『違わねぇって』って感じだったはず」
「なるほどね。まぁそう言わないでよ。言葉遣いは矯正中なんだから」
「強制?」
「違う違う。直してるってこと」
「直す? どうして?」
「どうしてって訊かれても答えにくいんだけど。そうだね……」
小さく深呼吸。
「綺麗な言葉遣いも、時には必要になる時があるってことよ☆」
女性を意識した声色で説明してやる。
最後にはおまけのウインクまでつけてみた。
「……あ、そ、そう、なんだ……」
あれ、ひょっとして効果あり?
一瞬だけど、颯が見とれてたような気がする。
ウインクや投げキッスなど下宿先で無理矢理練習させられたんだけど、なるほど使いどころを間違えなきゃ効果的ってわけか。
でも、そんな『効果的』なことを練習してどうするんだ俺っ!
「しかし。麺増量の醤油豚骨のミックスかぁ。それって美味しい?」
「おまえのせいでこうなったんだ!」
「ちなみに返さなくていいからな、それ」
「るせぇ! 食えばいいんだろ食えば」
ずぞぞぞ~っと、もはやしょうゆラーメンとは呼べない不気味なミックスラーメンを食べる。
さて、こっちも伸びないうちに食べようかな。
半分になっちゃったけど。
「ん。おいし。さすが噂に違わぬ味だね」
「あぁ。ここのラーメンは、そこらのとは違うんだ」
「あれ? よく来るの? 確か家からは遠いんじゃなかったっけ?」
「家って、どうして俺ん家の場所まで知ってんだよ?」
「入試の時に近くまで送ったじゃない。それに大体のところは楓ちゃんから」
「そか。なるほどな。でも、まさかバカエデと同じクラスだったとは」
「こら。お姉さんなんだろ?」
「ほとんど同時に生まれて、なにが姉だっつんだ。それに生まれた順番なら俺の方が先だ」
「あはは。まぁ、そう言うなってば」
それから、受験の時の話に始まり、楓ちゃんの小さな頃の話や、俺の下宿の時のエピソードなど話題は尽きなかった。
店を出ると辺りはすでに夕焼けに染まっていた。
話し込んでて結構時間が経ってたみたいだな。
「ふぅ。ごちそーさん」
満足気な颯。いつもそう言う顔してりゃいいのに。
「どういたしまして。でもあれだけじゃ足らないんじゃない?」
「別に。帰ってメシ食うし」
「あぁ、なるほどね」
「送っていこうか?」
明後日の方向を見ながらそんな言葉を口にする颯。
「ふぅん?」
「な、なんだよ?」
「ありがと。でも、駅とは反対方向だし、そんなに遅くなったんでもないから大丈夫」
「そ、そうか?」
「うん。なんなら私が駅まで送ろうか?」
「るせぇ。余計なお世話だ」
「ふふ。それじゃ、また明日」
「あぁ、じゃぁな」
「楓ちゃんによろしく言っといて」
「断る!」
振り向かずに言い捨てると、さっさと駅に向かう颯。
そしてそのまま肩越しに手を上げて一度だけ振った。
うむ。もうちょっと落ち着いて、ぐんと身長伸ばして、もっと他人を思いやれるようになったらいい感じになるんじゃないかな。
こういう時に。
失ってしまった未来をひどく懐かしく感じる。
諦め……きれないよな。




