自壊少女の自壊症状
「っめたぁ! ざけんなっての!」
ああ、怒ってる。そりゃそうだ、だって今しがた私は彼女に手近にあった花瓶の中身、即ち水と花をぶっかけたのだから。
クラスのいわゆる不良グループのリーダー格であるところの彼女の周りにはもちろん取り巻きがいて、そいつらにも余すところなく水と花をお見舞いしてやったわけだけれど、さて、そういう奴らに何かを仕掛けた場合暴力で返ってくると相場が決まっている。
「ざけんな、聞いてんのかよ!」
壁に叩きつけられた。結構痛い。
でも私は口を開くつもりなんて毛頭ない。澄ました顔をしていると、やがて彼女は下唇を強く噛んでから私を地面に引き摺り倒す。そうして
「あたしを舐めたこと、後悔させてやるよ」
にいっと口角を上げると、彼女は取り巻きに目配せして私を地面に叩きつけるようにして押さえ付ける。
彼女と取り巻きを合わせて合計四人。であるから私を包囲するには十分どころか十二分過ぎるほどの人数で、勿論抵抗の術などない私はそれに従うしかない。いや、例え一対一だったところで抵抗する気などなかったのだけれどね。
何故なら私にとってはこの状況こそが望むところであったのだから。
「ほら、この状況が分かってる? 今からあんたはその身の丈を知らない馬鹿な行動でいたーい目にあうことになるんだよ。なんでいつも地味なあんたが突然こんなことをしたのかなんてどーでもいい。とにかく今から袋叩きにするから。OK?」
顔を上げることすらしない私に彼女は焦れたのだろう。苛立たし気な舌打ちが聞こえたと思えば前髪がぐいっと引っ張られて顔面に蹴りが入れられる。
そりゃ望んで作り出した状況とはいえ、暴力を振るわれれば痛い。そりゃそうだ。
そうして痛がっている私を面白がるように四人は私をしばらくサッカーボールよろしく蹴り続ける。最初は軽くであっても段々その力は増し、最終的には全力で私を蹴り上げる。
「っぐぅ」
思わず漏れた声に反応したように一旦暴力の雨は止むが、それも一時のことでしかない。
「どーお? 少しは反省した? ほら、なんとか言いなって、ほら!」
やはり無言の私の腹に一発全力の拳が叩き込まれる。喉まで酸っぱいものがせり上がってくるけど流石に吐くのはマズイだろうと無理やり飲み下す。そうして崩れ落ちる私を見て笑いながらまた人間サッカーは再開。
時々蹴られている体が痛みを訴えているけれど、耐えられないほどのものではない。寧ろ気分が高揚してきている自分すら居るのだ。
「あん?泣いてんの?泣いてんの?肩震えてるよー」
下品な笑いを浮かべて彼女は問うけれど、そんなの見当違いも甚だしい。
そう、私の表情は間違いなく——笑みの形をしているのだから。
今私は紛れもなく目の前の彼女から悪意と愉悦を介して見られている。つまり、感情の対象としてそこに存在しているのだ。
存在なんていうのは他者の認識の中にしか無い。それに従って言うならば今まで教室の隅で下を向いていた私は存在すら無かった。死んでいた。
だから私は決意したのだ、悪意の対象となるべく行動を起こそうと。花瓶の中身をぶちまけるといった奇行もつまりそういうことだ。それ故のことだ。
そうして暴力という名の関心を受けて思うのは今の私は死んでいない、生きているのだ、という実感である。
ああ、これが生きているという感覚なのか。痛くて苦しくて泣きたくて死にそうで、だけれど——死んでいない。
全く、本当に、笑いが止まらない。
「おらぁ! おらぁ! こんなんで終わると、思うなよ!」
鬱陶しい声の隙間から教室を見渡せば、人だかりが出来ていた。他人の不幸は蜜の味、とでも言いたいかのような控えめな笑みを頬に貼り付けて時折クスクス笑いを漏らしながら私を見ている。でも、それでいい。それが、いい。
ギャラリーの彼女達の中にもまた、少なくともこの瞬間は私が生きているのだから。笑え、それが私の存在証明となる。
そうしてどれだけの時が経っただろうか。それは五分かもしれないし、あるいは三十分かもしれない。しかしそれすら最早どうでもいい。私に届いているのは負の私に向けられた感情の奔流、その声だけだった。
もっと怒りを。もっと残酷を。もっと暴力を。もっと愉悦を。もっと悪意を。もっと嘲笑を。もっと軽蔑を。もっと憐れみを。もっと興奮を。もっと、もっともっと、もっともっともっと————
——しかし、その先に何がある?
それもまた紛れも無い内声だったが、何故だかそれだけは他と違う鋭さを以て私の心を抉り取った。
声を求めて、関心を求めて、そして、私は、私は——その先に何を求めていたというのだろうか。
「おい! 何をやってる! 大丈夫か!」
今更ながら助けに来た先生の声を遠くに聞きながら、しかし私はついぞ自分の願いを聴くことは叶わなかった。