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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

インフィニティ・ヘヴィー・ドウン

作者: 守谷刑突

出来る限りの悪意で書いてみました。


だがまだ足りない

 スピニング・ダイン社製のヘッド・フォン、『インフィニティ・ヘヴィー・ドウン』を手に入れたので、さっそく職場で使うことにした。持ち込み許可の申請書類と滅菌処理、それを済ませて『通過』のステッカーを貼りつければ、晴れて気が滅入るような時間をノリノリで過ごせる。プレイヤーにはなにを入れようか。クラシック・ハード・ロックがいい。最近の規制のかかったレコードは、どれも屁のような音だ。それではせっかく『インフィニティ・ヘヴィー・ドウン』を手に入れた意味がない。

 そうだな。AC/DCなんかぴったりだろう。地球生まれの歌は、この開拓星で生まれた歌を束にしたって叶いっこない。それはもしかして、コードの一切合切が出尽くしてしまったからだろうか。二〇世紀なんていう、遠い遠い時代に。


 開拓星・ゴラスには元々、そんな文化は一切なかった。俺が生まれる何世紀も前のことだ。ゴラスは地球とよく似た地質・気候・重力を持っており、また地球とよく似た生命の歴史があり、今にいたっている。

 この発見は奇跡的だった。人類にとってのこの進歩は、“フロンティア”の発見や月面着陸の比ではなく、言うなれば古代魚が陸に上がるのと同等の前進だと言える。

 歴史の教科書にも百科事典にもそう書いてあるが、俺たちゴラス生まれの地球人にとっては、まったくそうは思えない。俺たちはここで生まれて、ここで育ったのだ。いくら今の環境が奇跡的だとしても、生まれたときからここしか知らないのに、どうしてそれが奇跡と言える?


 ゴラシアンのことだってそうだ。俺の祖先の開拓民が編み出した道は、長らく非難の的だった。でも俺にはその意味がわからない。地球から観光でやってくるブルジョアどもは、ツアーを組んでその過程を見学する。大抵はゲテモノを見るような、蔑んだ目をしている……それで、地球に帰った奴が大真面目にそれを非難するのを、俺たちは休憩中、恒星間放送で見たりする。テレビは言う。ゴラス開拓民の子孫は、現生地球人とかけ離れた思考をしている――そういうとき、俺たちから上がる反論はこうだ。

「偉そうにすんな。俺たちもホモ・サピエンス・サピエンスだ」


 ところで、俺が『ヘヴィー・ドウン』を手に入れる少し前に、こんな発表があった。

「現在、加工場におけるゴラシアンは、その生涯のサイクルを完全に地球人に依存している」


 つまり、ゴラシアンどもは完全に家畜化した、ということである。気のせいか、それ以降俺たちが蔑んだ目で見られることも、休憩中にテレビへ反論することも減ったように思う。


 ゴラシアンはゴラスの原生生物である。開拓民の一陣が訪れるまでは、実質、ゴラスの支配者であった。天敵となるような生き物は他におらず、とにかくゴラシアンばかりがごろごろいたらしい――開拓民が自分たちの生活を確保できないほどに。

 ゴラスは地球と極めて似通った歴史をたどった。俺は学者ではないから詳しいことはわからないが、生命の誕生から大量絶滅、それに伴う進化を繰り返してきたことは間違いないようだ。学者連中にも未だ、その最初の生命の誕生は謎のままらしいが。

 ゴラスと地球との違いを上げるならば、地球人の方がはるかに高度な科学力と技術力を持っていたということだった。惑星として、地球の方がいくぶん先輩だったというわけである。


 ゴラシアンは、驚くほど地球人によく似た姿をしている。完全な二足歩行、発達した両手、頭髪の他退化した体毛。だが脳ミソの方はというと、地球でいうゴリラやイヌにも劣るほどだった。新皮質が存在しない――それがなによりの特徴だそうだ。もっとも近い脳のレベルは、地球の生物でいえばカエルとのこと。ゴラシアンが地球人によって知性を授かることは永遠にない。また、仮にゴラスの生物が地球人類のレベルまで知性を持つには、まだ何千万年という時間が必要だった。地球の歴史に照らし合わせると、くわえてあと二度ほど大量絶滅も必要だった。当然、開拓民にはそんな時間は残っていなかったわけさ。


 ゴラシアンは確かに、見た目こそ“人間”によく似ている。ただし見分けはすぐにつく。開拓民でなくともわかると賭けてもいい。


 ゴラシアンと二人きりで、しばらくその様子を見てみよう。もちろん一定の距離は保った方がいい。ゴラシアンは大抵虚ろな目で宙をじっと眺めている。こちらが声をかけると振り向くが、音に反応しているだけだ。うう、ああ、と、未発達な声帯でうなったりする。威嚇以上の意味はない。

 これだけでもゴラシアンだとわかるが、もう少し見ているとよりはっきりする。

 ゴラシアンが立ち上がったなら、それは空腹の証拠だ。ここで餌を与えてみよう。食べられるもの……というか、有機物ならなんでもいい。ゴラシアンは食物にこだわりを持たない。しかし動いていて、かつ匂いの強いものだとなおいい。たとえば羊水にまみれたままの同種の胎児などは、特に喰いつきがいい。奴らの両手の活躍の場はここだ。飲み込めるほどにまで、まず引き裂くのだ。

 ゴラシアンは食事を終えると、うずくまって眠る。八時間も寝たりはしない。長くてせいぜい三時間である。目が覚めてまた立ち上がったなら、今度はなにも与えずにいよう。ゴラシアンは食物を捜してうろつき、それが見当たらないとわかると、しゃがんでクソを垂れる。すっかり出し終わると、おもむろにそれをひっつかんで口に入れ、くちゃくちゃやって飲み込む。


 俺は研修の際のビデオでその光景を見せられた。同僚ともども未だ、トラウマものの映像だ。ゴラシアンは確かに人間とよく似た姿をしている。でも形だけだ。ただその形で動く他は、人間とはなんら繋がりのない生物なのだ。


 さて完全に家畜化した、という発表だが、人間の管理下におかれたゴラシアンは確かにこれより劣っていると言える。


 ゴラシアンは人間と同じく胎生、かつ年中発情期の生物である。ただしこれまた人間同様、一度の出産で生まれるのは一人か、多くても二人三人程度である。この解消のため、開拓民は出産と繁殖をコントロールするようになった。

 成体の健康なオスを拘束して、腰から刺した金属棒で前立腺と睾丸につねに刺激を与え続ける。タンパク質と亜鉛を静脈から絶え間なく摂取させ、新鮮な精液を採取するのだ。

 メスのゴラシアンも同様に、徹底的に管理され、排卵をうながされ、生かされているものがある。ただし排卵は精液と違って、つねに採取することは難しい。その点、メスの方がオスより幸運だ、というのが俺や俺の仲間の共通した意見だ。ただし、出産用のメスは、オスよりずっと不運だ。


 出産用のゴラシアンは品種改良を重ねた、孵化器としてのみの役割を与えられたタイプである。俺も出産場へ行って、何度か見たことがある。どう改良したらこうなるのか、想像もつかないほどグロテスクな波打つ肉の塊だ。直径三メートルはある肉の球体に、その三分の一ほどを切り裂く、クレバスかジッパーのような縦割れの性器がある。手足は充分に退化して、キューピー人形のパーツがくっついているようだ。そして始終なにかにつかまろうとジタバタ動かしている。


 人口受精した胚はその子宮に着床させられる。当然、それに必要なエネルギーは体中についたカテーテルから母体へ供給されている。一度に着床させられる胚は一体につき五〇程度だが、この出産には人間のように一〇か月も要したりはしない。一週間で新生児程度の大きさになり、五〇体のゴラシアンが新たに生まれる。出産用はクローニングで数を増やされ、俺のところでは今や二〇〇〇体も抱えている。そう、俺が見たときにはもうそのくらいの数があった。二〇〇〇体のミートボールが全身に管を差し込まれて、手足をうごめかすさまときたら……ほんと、すごいよ。


 さてさて、その生まれた新生児を仕分けるのが俺の仕事だ。ベルトコンベアに乗せられた赤ん坊をひっつかんで、オスとメスに分ける。見分け方の基準である性器の形も、笑っちゃうほど人間そっくりだ。コンベアは円形に流れており、中央に金属の大きな漏斗がある。オスの赤ん坊は残す。メスは漏斗に投げ入れる。たった一週間で生まれた未熟な新生児とは言え、結構な重さがあるので重労働だ。おまけにこいつらときたら、意外なほどに暴れやがる。ベルトコンベアのヘリをのり越えようとした奴を払い落すのも重要な仕事だ。慣れればそれほどでもないが、慣れるまでが大変なのだ。


 俺はゴラシアンの赤ん坊を扱うのは慣れたのだが、始終響きまくってる泣き声の方にはどうも慣れなかった。職場のみんなは耳栓をしてる。もちろん俺だってしていたが、栓ごしににゅるにゅる聴こえてくるかすかな泣き声は、やっぱりどうしたって気になるし、なにより腹が立つ。一度、思わず赤ん坊の頭を握りつぶしちまったことがある。新生児の頭蓋骨はぐにゃぐにゃで、驚くほど柔らかいのだ。つぶしてから股間を見て、オスだったことに気づいた。周りを見たけど、幸いみんな耳栓をしてるおかげで、俺のしたことには気づかれなかった。俺は知らん顔して、そのオスを漏斗に放り込んだ。

 こんなことが二度も三度もあっては困る。だから俺はこれから世話になる『ヘヴィー・ドウン』を結構頼りにしてるんだ。音に乗って、その弾みでまたやっちゃったら、笑い話じゃ済まないが。


 漏斗から落ちた赤ん坊はチューブを抜けて、その下の大きな寸胴鍋に詰め込まれる。鍋はでかくて、結構な量が入る。それが八割の線を越えると、漏斗の脇のランプが点灯して、それを知らせてくれる。で、ランプの隣のスイッチを押すと、鍋のギミックが作動する。

 鍋の底には、十字を組んだプロペラが設置されている。一センチの間隔を開けて、底の底まで、十段階になっている。スイッチを入れると、漏斗と鍋を繋ぐチューブがシャッターで仕切られ、プロペラが回転を始める。みぎゃあみぎゃあ、泣き声がひどくなって、何匹ものメスがそこで裁断される。俺たちはその間もメスを漏斗に投げるが、チューブの途中で引っかかったりすると、そのうちに詰まって、漏斗の底から足がのぞいていたりする。そういうときは鍋が空になるのを、シャッターが開くのを待って、上から棒で押し込むか、詰まりを解消しようとがんがん蹴ったりする。


 メスだけを入れるのは、メスはあまり売れないからである。ゴラシアンはオスの方が肉が上質で人気が高い。

 排卵用に生かされるメス以外は、せいぜいソーセージかバーガーになるしかない。かつては地球の観光客が土産として、生きたゴラシアンの赤ん坊をわざわざ買っていくことがあったらしい。それも食用ではなく。が、地球で育てきれなくなったゴラシアンが脱走したり、手に負えず棄てられたりした。その後繁殖したり、人間に危害を加えるなどで一時問題となり、すべて殺処分となった。そのため、今じゃ生体のゴラシアンが取引されることはまずない。


 オスの方はというと、保育器に詰め込まれて育てられる。保育器には排泄物が落ちる穴と、内側に伸びたチューブがある。チューブの先端にはマスクがあって、ゴラシアンの口に被せられる。もちろん自力では外れない。

 保育器のサイズには三段階あって、成長していくごとに上のサイズへ移送させられる。入ったばかりの保育器はそれなりに手足を伸ばせるが、移送するころにはもう手足を折り曲げたままである。おまけにつねに寝たきりなので筋肉もろくに発達しておらず、抵抗することもできない。


 オスのゴラシアンが完全な成体、つまり食肉となるサイズになるのは、三ヶ月というこれまたわずかな期間である。本来、野生のゴラシアンは、出産も成長も人間とほぼ変わらぬサイクルで行われるらしい。それがここまで短縮できるのは、これまでに及ぶ品種改良と、チューブから注がれる飼料によるものだ。なるほど確かに、種雄として長い時間をかけて育てられた成体のオスは、健康な人間の体つきと大差ない。一方で食肉として育ったオスは、頭髪や体毛もなく、歪に肥え太って、あまり健康には見えない。生まれた姿のまま、そのまま巨大化したかのようだ。食肉の毛が育たないのも飼料に含まれる薬品のためらしい。肉に毛が混入するのを防ぐ措置だそうだ。


 三つ目のカプセルから出てきたオスは、屠殺場に運ばれ、一頭ずつ足枷をはめられて、チェーンで天井から下げられる。それからあとは流れ作業である。このラインは出産場と違って、なかなか見ていて面白い。

 まず喉を切って血を抜く。血は血で回収され、煮詰めてブラック・プティングになる。ぶら下がった両手は一切抵抗せず、そのまま動かなくなる。次に頭を落として、完全に胴と切り離す。

 頭は頭で一か所に集められる。舌と頬肉、目玉とわずかな脳ミソを取り除いて分けたあとは、鍋で煮られて、歯茎など残ったクズ肉をかき集める。

 舌と頬肉はそのまま食用となるが、目玉と脳ミソはサプリメントとして加工されるため、こことは別の工場へ行く。

 残った胴体の方はまず腕を落とされ、次に腹を裂かれる。ここもなかなかすごい。胃腸、肝臓、肺、心臓……順繰りにモツがかき出されていって、最後には足からぶら下がった肉のガワとアバラしか残らない。ペニスと睾丸は一体からわずかにしかとれないので、特に人気の高い部位だ。そのため、慎重に慎重に切り取られる。

 そのあとは腰と下半身を切り離して、それぞれ骨と肉に分かれていく。

 骨はまた回収されて、エキスをしぼりとられたあと、クズ肉と一緒にこまかく砕かれて、ゴラシアンどもの飼料となる。


 ここにいたるまでの光景、確かにゴラシアンは人間と似た姿形で、正直最初は気味が悪い。スーパーに並んでるパックで見るのとはわけが違う。だがすぐに、そんな思いも消える。

 ゴラシアンは実際うまいし、なにより――とくに、ここにいると余計にそう思うけど――ゴラシアンは人間じゃない。地球生まれの地球人は、そこをよくわかっていないのだ。

 加工場にいて食欲が失せないかと言えば、俺ははっきり答えられる。まったく失せない。おまけにこうして人間の管理下に置かれてるっていうなら、山ン中を元気に走ってるケモノを殺して喰うことより、よっぽど抵抗はないんだ。

 ゴラスに来たなら、一度ゴラシアンの肉を喰うといい。くだらない偏見もなくなるだろう。

 メディアの連中ときたら、一切れも口にしないんだからさ。

あとがき


『食人族』という映画の食人はヤラセだったが、巨大なカメの解体のシーンは本物だった。

甲羅を引き剥がしたり、ナタで首を落としたり、ホンモノなだけに劇中最高のゴア・シーンだったが、食人族ではなく『文明人』である撮影クルーがやるのだから皮肉だ。

その他劇中ではブタやサルが殺されてるが、動物のシーンは全部本物で、全部本当に殺している。

監督のデオダードはこれについて動物愛護団体に糾弾された際、「殺した動物は喰った。家畜と同じだ」と答えて退けた、という。

有名な逸話である。

動物愛護団体の人は菜食主義者ではなかったんだろうな。


さて世の中には菜食主義者の他、ヴィーガンとか捕鯨反対論者だとか、「喰うんだからいいじゃん」的上記デオダード主義や「犬猫喰うのはちょっとなあ」派や「いただきます」教信者などがいる。

私はこれらがみんな大嫌いなのだが(誤解のないように言うが、肉は好きな方だ)、こういう人々の主張を見ていると、人間がいかに変な生き物かをつくづく感じるので興味深い。

ちなみに、私にそれらへの主張や反論や持論はない。

以前は事あるごとに立場を変えて(勝手に)考えたが、もう考えるのに疲れた。

誰もが納得いくような結論か、もしくはチキン・ジョージでも生まれるくらいの革新的技術の実用化まで、私は食事でもして待つことにする。

自分の皿にあるだけで充分だ。

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