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The blessing of the moon  作者: MI
第一章 月夜の訪問者
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 シエラは本を読んでいた。一日の大半をこの部屋で過ごしている分、時間は無限に存在する。本を読むのはすでに習慣化していた。

 だが本は高価で気軽には買えない。だからこの本も買ったものではなく、母に借りてきてもらったものだった。この街の制度に民へ本の無料貸し出しがある。子ども向けの本から専門書まで用意し、娯楽の少ない街の暇つぶしや学びに一役買っている。

 どこでもこのような制度があるわけではなく、自由に本が読めることをシエラは喜んでいた。

「お前は本の虫だな。暇さえあればいつも読んでる」

「本を読むのは好き。知らないことがたくさん書いてあって、とても興味深い」

「ぬいぐるみで遊んだりはしないのか?」

 初めて会った時と同じように、クマのぬいぐるみを動かしてみせる。それをちらりと見て、首を振る。

「他の子はどうか知らないけど、私はやらない。見ているだけで十分」

「お前はぬいぐるみが好きなのだと思っていた。こんなに部屋にあるからな」

 部屋にある何体もの多種多様なぬいぐるみを見れば、そう思われても仕方がない。ぬいぐるみは確かにかわいいと思うが、それで遊ぶよりは本を読むほうが有意義だ。そう思う自分は、やはり子どもらしくないのかもしれないと少し落ち込む。

「……嫌いじゃない。でもこれは母さんの趣味。買ってきてはプレゼントしてくれるの」

 ぬいぐるみで遊ぶつもりがないと知り、ソルディは肩をすくめてぬいぐるみを元の場所に戻した。手持ち無沙汰になったのか、代わりにシエラが読んでいる本を覗き込む。

「随分と分厚い本だな。何を読んでいるんだ?」

「色々。なかでも物語が好き。――夢があるから」

 今読んでいるのも物語だった。少年がまだ見ぬ世界を求めて旅をする。それは同時に、シエラにも見知らぬ世界で――これを読むと、主人公と同じようにわくわくする。

「人間も多少は進化しているんだな。まさか数百年程度で庶民が読み書きできるようになるとは思わなかった。まあ、全員が全員とはいかないんだろうが、この街は統治者に恵まれているようだ」

「馬鹿にしているの?」

 唇を尖らせる。この街では字が読めない方が珍しい。そういった教育は充実している。だからこそ、豊かと言い切ることはできずとも、この街は少しずつ発展していた。

「まさか。昔は読み書きができない人間の方が多かったんだよ。俺もさっぱりだった」

「過去形ということは……今は違うの?」

 むしろ精霊が読み書きできるほうが驚きだ。彼らには彼らなりの伝達手段があり、そこに文字は必要ない。しかしそれは普段見る精霊たちの話であって、一見人間のように見える目の前の存在ならば、できても不思議はないのかもしれない。

「昔、お前よりも幼い愛し子と誓約を交わしたことがあるんだ。その子が文字を習うとき、傍にいたら自然と覚えた。今さら覚えても仕方ないとは思ったけど、なかなか楽しい経験だったよ。有効活用できないのが辛いけどな」

 ソルディは苦笑して、本に手を伸ばした。触れるかと思われた手は本を通り越し、持ち上げることはない。精霊にできるのは、触れているかのように演技することだけだ。

 横顔がなぜか悲しげに見え、シエラはどうしたらいいだろうと思案した。本の楽しさを知ってもらいたいが、肝心の本が持てないのならば仕方がない。しばらくして、もっとも簡単で確実な方法を閃いた。

「……本、読みたい? 少しでも興味があるのなら、私が持って一緒に読んであげる」

「いいのか?」

 驚きを露にしながらも、そこにわずかな期待を感じ取ったシエラは、大真面目に頷き返した。

 物語は佳境に差し掛かっていたが、別に急いで読むものではない。返却までにも時間がある。確かに先は気になるが、物語が終わってしまうのも残念だ。物語は読んでいるときが一番楽しい。

「大丈夫。一緒に読もう」

 シエラはページを戻し、見やすいように本を持ち直した。





「これでおしまい。……どうだった?」

 最後の一ページを読み終わり、本を閉じて膝の上に置く。安易な気持ちで提案したわけではないが、一緒に本を読むのは思った以上に大変だった。何時間も分厚い本を持っていれば手が痺れるし、ページを捲るスピードも合わせなければならない。それでも清々しい気持ちなのは、物語が終わった高揚感もあるのかもしれない。シエラは今、とても満たされていた。

 大変ではあったが、後悔はしていない。ソルディが目を輝かせているのがわかったからだ。

「今まで本なんて読んだことがなかったけど、面白いんだな。情景が脳裏に浮かんで、こんな世界が本当にあるんじゃないかと思えた」

「そう言ってもらえると嬉しい」

 ソルディの好みがわからず心配になったが、喜んでもらえたようだ。甘い恋物語や先が気になるミステリーも読むけれど、彼はこういう話の方が好きなような気がしたのだ。

「ご都合主義の固まりだっていう先入観があったけど、それがいいのかもな。最後は必ずハッピーエンドなら、読む方としても安心して読める」

「うん。私が読む本はみんな幸せな終わり方。悲劇で終わるのはあまり好きじゃないから」

「そうだな。現実は思うほど上手くいかないから、物語くらい幸せな結末を求めても罰は当たらない」

 誰にとっても幸福な、都合のいい世界。そんな世界は物語だけだ。だけどその理不尽さに憤るのは感情を持つ人間のみで、精霊には関係がないと思っていた。

「時代が変わったからこそなんだろうが……もっと早くに出会いたかったよ。人生を損した気分だ」

 読書は最高の娯楽だとシエラは思っている。だから全面的に肯定しようとして、ふと首を傾げた。

「私もそう思うけど……ソルディは精霊だから、早く出会っていても持てないでしょう? それとも、ソルディは人間に生まれたかった?」

 ソルディが驚いたように目を瞠った。次いで、困ったような曖昧な表情になる。

「……そうだな。今の時代なら、それもいいのかもしれない。だけど本を読むだけなら、人間にならなくてもできる。お前のように本を持ってもらえれば、俺にも読むことができるからな」

 なるほど、と頷く。風を利用して読むのかと思ったが、風を利用する以外の、もっとも確実な方法だろう。ソルディにどうしてもと言われれば、他の誓約者だって頷いたはずだ。

「大丈夫。君は永遠を生きるのだから、今からでも遅くない。私ならいつでも本を持ってあげる」

「ありがたい話だけど、また手が痺れるぞ?」

 うっと言葉に詰まった。実はまだ両腕が悲鳴を上げている。バレていないと思っていたが、お見通しだったらしい。さすがは精霊、と変なところで感心する。

「じゃあ、読みたくない?」

「……いいや。お前さえ良ければ喜んで」

 ソルディは優しく微笑んで、頭を撫ぜるふりをする。子ども扱いされているようで複雑だが、振り払おうとは思わなかった。確かに手は疲れるが、本の内容を共有できる相手がいるのは嬉しい。

 今度は何を読もうか――そんなことを考えるくらい、シエラの心は弾んでいた。


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