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The blessing of the moon  作者: MI
第一章 月夜の訪問者
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 明日の天気を尋ねるような軽い口調。別に難しいことは求められていないのに、先のことを考えれば即答できない。

 たとえば、

 否と答えれば精霊は姿を消し、二度と会うことはない。そしてシエラは日常に戻る。

 是と答えれば精霊と誓約を交わし、精霊は自分のもとに留まる。待っているのは非日常だ。

「――私がそれを決めるの?」

「選択権はお前にある。だからお前は決めなければならない」

「私はまだ、よく理解できていない」

 遠まわしに無理だと告げる。少なくとも今すぐに決断することはできない。

「お前が戸惑う気持ちもわからなくはない。最初は誰もが困惑する。それでも誓約は交わされたのだから、結局はそれを受け入れる。今回はちょっと特殊だけどな」

 遠い昔を思い出すかのように、風の精霊は目を細めた。オッドアイの双眸が美しく、魅入られたように目が離せない。

「俺はどちらでもかまわない。だからお前が決めるんだ。この幸運をお前が後悔しないように」

「幸運?」

「俺と出会い、選択肢を与えられたこと」

「それが、幸運なの?」

「ああ。選べる道があることは幸せなことだろう? それがどんなものでも、俺と出会わなければその道は示されなかった。……あとは、お前が選ぶだけだ」

 どちらでもいいと、風の精霊は言う。その言葉は多分本心なのだろう。シエラがどちらを選んでも、文句も言わずに受け入れてくれる。

 風の精霊にとってはその程度のことかもしれない。けれど即断できるかどうかは別だった。

「迷う必要はない。俺は難しいことを言ってはいないからな。それでも悩むなら――」

 今にもいなくなってしまいそうな気がして、俯かせていた顔を慌てて上げる。痺れを切らして、返答を聞かずに姿を消すこともできる。しかしシエラの予想は外れ、風の精霊はばっと手を差し出した。

「賭けをしよう。月の魔力が俺たちを巡り合わせたと思うのなら、この手を取れ。発動しなかったと考えるなら、手を取らなければいい。至って簡単なことだ」

 強硬手段に打って出たのだ。考える時間を与えずに、咄嗟の判断で決めさせようとしている。現に彼は笑みさえも浮かべて、シエラが選択するのを待っていた。

「十」

「……え?」

 不意打ちの出来事に呆然とする。風の精霊は笑みを深め、カウントを再開した。

「九」

「……ずるい!」

「八 七 六」

 心なしか、カウントが早くなっている気がする。どちらにしても時間は残されていなかった。風の精霊がゼロをカウントした瞬間、その姿は消え去った後だろう。

「五」

 シエラは決意せざるを得なかった。だから、その手を取ることを選んだ。

「四」

 カウントが終わる前にと、勢いよくその手に己の手を重ねようとする。その瞬間、シエラは化かされたような気分になった。

 重ね合わせたはずの手は、風の精霊の手をすり抜けたところで止まっていた。

 いつの間にか、カウントは止まっていた。風の精霊は驚くシエラを面白そうに見つめるが――何もしない。ただ変わらずに手を差し伸べているだけだ。

 その水晶体に映しているのに、風の精霊の眼差しはシエラを通過する。面白そうな表情さえ、本心かどうかわからない。得体の知れない精霊。いつの日か、この選択を後悔する日が来るのだろうか。

 それでもシエラは決意して――精霊の手に重ね合わせているかのように、演技する。

 風の精霊の口元が動いた。笑みをつくったのか――それとも歪ませたのかはわからない。覆い隠すように、言葉を紡いだのだ。

「月の魔力は発動する。今、ここに――誓約は交わされた。これよりお前は、俺の誓約者となる」

 何かが劇的に変化したわけではなかった。重ねた手から眩い光が放たれることも、身体の内を特別な力が満ちることもなく、誓約を交わした証が身体に刻まれたわけでもない。

 目に見える証を、風の精霊は残さなかった。誓約の成就を知るのは、精霊が発した言葉のみ。

 真面目な表情で恭しく言われたのならば、納得もしただろう。けれど彼はそれに当てはまらない。

 風の精霊は笑っていた。

 確かに笑っていると思うのに、何を考えているかわからない。オッドアイの瞳は、シエラを見ているようで、どこか遠くを見つめている。

「俺たちは切れぬ絆で結ばれた。お前が望むなら、俺はお前の呼び声に応えよう」

 それなのに、その言葉には真摯さがあった。シエラを覗き込む双眸には、確かに自分が映っている。

「お前のために最善を尽くすと約束しよう。それが月の意志ならば」

 緩やかな風が室内に満ちている。シエラの髪をなびかせ、カーテンを揺らした。

 その非現実的な光景が現実に起こっているとは俄かには信じられない。まるで夢の世界にいるかのようだ。現実と夢の境界線。頭が正常に機能しない。

 今なら何が起こっても受け入れることができるだろう。異彩を放つ精霊がいる限り、この空間に起こる出来事はすべて現実であり、夢でもある。

「私にとっての最善とはなに?」

「それはこれから、俺とお前が決めればいい」

 子を見守るような優しい表情がそこにある。自分に父親がいたのなら、こんな表情で見てくれたのだろうか。見守られている安心感がある。

「お前は俺に何を望む?」

 シエラは沈黙を返した。何を訊かれているのかは理解できる。けれど上手に頭が働かない。それについて考えることができないのだ。

 その様子を見ていた風の精霊は、困ったような顔をした。

「――難しく考えなくていい。お前が今、俺に望むことを言えばいいんだ」

 子どもは子どもらしく、愛らしい我侭で俺を困らせればいい。風の精霊はそう言って笑った。

「たとえば?」

 好き勝手言われて、シエラもむっとする。逆に聞き返せば、風の精霊は顎に手を当てて考え込んだ。

「空を飛びたいとか。あとは……そうだな。悪戯したいとか?」

 苦悩しつつも、必死に子どもの考えそうなことを捻り出している。その様子に多少は溜飲が下がるが、出てきたものといえばその二つだけだった。

「それしかできないの?」

 首を傾げて冷静に突っ込むと、風の精霊がすっと視線を逸らした。そのまま数秒、固まったように微動だにしない。その動向を見守っていると、ぽつりと彼が呟いた。

「お姫様、俺は風の精霊だ」

「うん」

「風の精霊は、風を自在に操る」

「つまり?」

「――つまりだ。俺にできることは限られている」

 シエラは微笑んだ。望みを言うだけで何でも叶うなどおかしな話だ。嘘を吐かれるくらいなら、正直に話してくれたほうがいい。

 ふと風の精霊に興味を抱いた。もう少し、この精霊と一緒に過ごしてみたい。まだわからないことは多いけど、嘘はついていないと思うから。

「ねえ、この誓約は永遠なの?」

 始まったばかりの二人の関係。交わされた誓約が終焉を迎えることはあるのだろうか。

「俺たちは誓約者を忘れない。俺が生き続ける限り、ずっと記憶に刻まれる。それはある意味、永遠とも言えるんじゃないか? 人間は永遠を求める生き物だろう?」

 寿命などなきに等しい精霊。その記憶に残ることができるのなら、確かに永遠と言えなくはない。

「私の傍にいてくれるの?」

「……心はずっと、誓約者と共に。でもずっと一緒にはいられない。精霊には精霊の、人間には人間の歩むべき道がある」

「じゃあ、どのくらい傍にいてくれるの?」

「お前次第だよ。だから俺にはわからない」

 質問攻めにも、風の精霊は嫌がる様子もなく答えてくれた。偽りなく、ただ真実のみ答えてくれる。

 でも最後の返答は随分と曖昧だった。誓約で結ばれた精霊と精霊の愛し子。その関係はいつ終わるかもわからない危険性を秘めている。

「期間限定の、誓約なんだ」

「そうだな。誓約はいつか終わる。だけど絆はそう簡単に失われるものじゃない」

 宥めるように、その手が頬に添えられた。触れ合うことはできなくとも、確かに彼はここにいる。

 精霊はふっと窓の外を見た。静まり返った街と、明かりひとつ見えない暗闇。

「もう、子どもは寝る時間だ。俺の名はソルディ。お前の名は?」

 尋ねられて、はっとした。まだお互いの名すら名乗っていなかったのだ。慌てて名乗ると、風の精霊は口角を上げた。

「よく聞け、シエラ。お前が俺の誓約者である限り、名を呼ばれればどこにいても駆けつける。――よろしくな、我が誓約者殿」

 道化師のように大きな動作で腰を折って礼をする。瞬く間に、風の精霊は一夜の夢のごとく、その場から消え去っていた。


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