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頑なな表情のシエラを見れば、一目瞭然だったのだろう。はあ、と大きな溜息が聞こえた。仕方のない子だね、とすべてを許容するようで、何かを諦めるようでもあった。
「俺はお前に会いたかった。会わねばならなかった。だからあの日、お前の前に現れたんだよ」
ああ、切望した真実が今、語られようとしている。好奇心と大きな不安。それは覚悟の上だ。
「確かめたかった。お前に俺の姿が見えるのか、否か。見えていないならばいい。けれど見えてしまっているのなら――。結果として、お前は俺を直視していた。正直、落胆した。見えていない方がお前のためだと思ったから」
誓約を交わす以前から、彼はシエラを知っていた。それよりも気になったこと。会いたいではなく、会わなければならなかったという彼の言葉。それはまるで義務のように聞こえる。
「こうなった以上、仕方がない。もう互いに嘘をつきとおすのはやめよう」
どくん、と胸が高鳴った。知ることを望んでいるけれど、それ以上言わないでほしいとも思っている。
「俺たちの誓約は、月の魔力がもたらしたものではない。お前の持つ異質が、仮初の誓約者を作り上げただけ。……本当は誓約などなされていない。無理なんだ。精霊の愛し子ではないお前が、俺の誓約者になるのは」
イザルネに突きつけられた真実。それを再び聞いただけだというのに、与えられた衝撃はこんなにも違う。彼の口から聞きたくて、そして聞きたくなかった。
当初、危惧したよりも、ずっと早く別れはやってきた。半月にも満たない期間、離れがたく思う前に終わるのだと思えばいいのか。いや、もう遅い。
(だって――私は)
ソルディとの別れを辛く思っている。資格は与えられなかったが、彼は選ばせてくれた。その戯れに付き合ってくれた。それは精霊の気まぐれだったのかもしれない。それでも感謝している。
部屋に閉じこもり、風を感じることしかできなかったシエラに、新しい風を運んできてくれた。
「お前は――精霊と人間の間に生まれし稀有な娘」
「……え」
ソルディの言葉が理解できない。確かに精霊をこの目に映し、言葉を交わすことができた。それが『精霊の愛し子』でないのなら、伝承に残る『取替え子』ではないかと思っていた。
それならば誓約を交わせないことも、精霊に親近感を抱くことも、身体が弱いことも説明できる。
しかしさすがにこれは予想できなかった。暴かれた真実を前に、呆然とソルディを見つめる。
誰が予想できるというのだろう。精霊と人間を両親に持つなど。だっていつもみる精霊は陽炎のような存在で――。ソルディのような人間の姿をした精霊がいることに、本当はとても驚いていたのに。
「真実は優しかったか? 俺にはお前がそこまで執着する理由がわからない。真実がどうであろうと、今ある現実は確かなものなのに」
最後の言葉を吐き出したとき、顔が微かに歪んだのを見逃さなかった。やはり彼は人間嫌いなのかもしれないとふと思う。普段は特別人間を嫌っているようには見えないが、一度その仮面を外したとき、彼は冷酷な表情で人間を見下しているのかもしれない。だがそれはシエラの憶測に過ぎなかった。
「俺が伝えられるのはこれだけだ。お前がさらなる真実を望むのならば――」
考え込んでいたシエラは顔を上げる。その表情にはどこか人間味を感じられるものがあって、知らず知らずのうちに胸を撫で下ろした。しかし次に何を言い出すのかわからずに、固唾を呑んで見守る。
「お前が望む答えを持つ者が、すぐ傍にいる」
視線を外して、胸の前で手をぎゅっと握り締める。何かにすがらないと、落ち着けない。
「……そんなひと、君しかいない」
言わないでほしい。本当はすでに気づいている。
「まだ、お前の母親がいるだろう?」
聞きたくないと全身が物語っているだろうに、ソルディは残酷に真実への鍵をチラつかせる。
「人間と精霊が互いに想い合ったところで上手くいくはずがない。世の中はそんなに都合よくはない。それでも真実を望むなら――語られぬ真実を暴く覚悟がお前にあるのなら、訊いてみればいい」
母に問う覚悟があるかと言われれば、わからないと答える。知りたい気持ちも、知らないほうがいいという気持ちもある。明るみにならないほうがいい事実があるということを、シエラは知っている。
「……君が代わりに教えてくれればいいのに」
「母親が話さないものを、俺が話すわけにはいかない」
「それならなぜ、私が精霊の血をひいていることを教えてくれたの?」
「何も言わなければ納得しないだろう。だから教えた。これが真実そのものとも言える。それを聞いてどうするかは、お前の自由だ」
優しい声を聞きながら、そっと目を閉じた。
築き上げていたものが瓦解する。何かが終わる音が聞こえた気がした。シエラは双眸を開けてぼんやりと考え込んだ。
(――最初は)
どんなに尋ねてもはぐらかしてばかりのソルディを、憎らしく思っていた。
しかし彼と接しているうちに、この時間が少しでも長く続けばいいと思うようになっていた。その手を取ったのは勢いだったし、それは偽りの誓約だったのかもしれない。けれど彼と過ごした時間はシエラにとっても特別で、楽しかった。その時間は偽りではなく、本物だった。
だから、今ならわかる。はぐらかしていたのは、彼の優しさだったことを。
言えるはずがなかったのだ。ソルディが問いに答えれば、魔法は解けてしまう。たった一つの嘘が暴かれ、その瞬間にすべてが終わる。優しい嘘が、この関係を支えていた。
「さよなら、なんだね」
誓約が成立していなかった時点で、繋がりは完全に途切れた。傍にいる理由もなくなる。
「――ああ」
ソルディは茶化すこともなく、神妙な面持ちで頷いた。




