10
空虚な微笑みの裏に隠されているのは、普通になれない悲しみと諦め。希望を持っても無意味だと自らを戒める。少女がすでに大人と同等の落ち着きがあるのは、そこに原因があるのだろう。
(――……の罪を)
現実の世界が霞み、脳裏に蘇るは過去の映像。懐古の情が込み上げるが、それは純粋に喜べるものではなく、一縷の悲しみさえも呼び起こす。大切に思っていた存在。金髪が眩しい。優しい笑みが遠い。蘇った苦い思い出は、無理やり頭の隅にねじ伏せた。
「お前はどこまで知っている?」
「私が知っているのは微々たることだけ。だけど私が特別な存在であることを、彼らは教えてくれる」
特別の意味がソルディにはわかる。彼らとシエラが呼ぶのが、誰を指しているのかも。ヒントはすでに与えられていた。いつも見る精霊たちとは違うと、少女は最初に言っていた。
「そう。君と同じ精霊たちが」
用意された原稿を淡々と読み上げたかのように、抑揚のない声色。
凪いでいた水面に落ちた一滴の雫は、あとに大きな波紋を残していく。変化しないものなどないと嘲笑うかのように、何かが変わり動き出す。そんな予感がする。
――そして。
蕾だった花が艶やかな大輪の花をつけるように――花開いた蕾は子どもゆえに無垢に毒を孕む。
「彼らは教えてくれる。私が欲する情報を。でも彼らの情報には限りがある。私は……もっと知りたい」
シエラは心の底から搾り出すように、顔を歪めた。
少女に情報を与えた精霊たちは、世界に存在し漂うもの。喜怒哀楽はあるが、高度な会話などできようはずもない。彼女の言うとおり、情報も微々たるものだったのだろう。
「お前には母親がいるだろう? 相談はしないのか?」
シエラの家は母子家庭で、母親は昼間働きにでている。そのせいか、普段はともにいる姿を見ることは少ないが、親子関係は良好なはずだ。しかしシエラは首を横に振る。
「母は昔から、よく精霊の話を聞かせてくれたの。炎や水や大地、そして風の精霊の話を。その精霊たちは、君のように人間のような姿や感情を持っていた。だから母も特別な存在なのかもしれない」
精霊の愛し子。それは遺伝によるものではないが、可能性として皆無とは言えない。けれどシエラは意気消沈した様子を見せる。
「そう思った時期もあったの。だけどどうやら違うみたい」
「どうしてそう思う?」
「私には見える精霊たちが、母には見えていないことに気づいたの」
精霊の愛し子ならば見えるはずのもの。しかし同じものが見えないのなら、可能性はないと思ったのだろう。
けれどソルディはシエラが知らない事実を知っていた。
「……愛し子だからといって、ずっと異能を持ち続けるわけじゃない。大人になるにつれ、なぜか愛し子の異能は薄れていく。愛すべき存在に変わりはないが、精霊との関係は希薄になる」
「そう、なんだ」
寂しげな声が聞こえてくる。哀れで愛しい娘。愛し子の嘆きや苦しみに、精霊は引き寄せられる。その孤独を少しでも癒そうと、傍に寄り添おうとする。それが期限付きの僅かな時間だとしても。
「精霊たちはお前に何を語った?」
部屋に充満する緊迫感などないような顔をして、先を促した。純粋な質問は少女のお気に召すものではなかったらしい。不貞腐れた声で、不満を露にする。
「……言わなくたってわかるでしょう。君も精霊なのだから」
シエラの目にどう映るかを知りながら、口元を引き上げて沈黙を答えとする。
「私を誓約者だというのなら、茶化さずに教えて。君が知り得るすべての情報を」
偽ることは赦さないと、眼差しが告げている。真正面から視線を合わせれば、少女が緊張しているのが伝わってくる。実際、視界に映る小さな手はぎゅっと握り締められていた。
「わからないよ。お前がそこまで拘る理由が」
否、本当はわかっている。それでもなお誤魔化そうとしているのは、一体誰のためなのか。
「秘められた真実などに、碌なものはない。お前は賢い。そのことに気づかないはずがないのに」
人間は隠された秘密ほど暴きたくなる。その気持ちもわからなくはないが、愚かなことに変わりない。
「私はもう決めたの」
口調には揺ぎ無い決意が現れていた。しかしソルディは首を振る。
「お前の決意を疑うわけじゃない。だがもう一度よく考えてみることだ。真実の先、お前は大きな決断を迫られるのだから」
艶麗な微笑みを浮かべ、ふわりと浮かび上がる。最後の言葉を、秘密を告げるかのように囁き、一瞬にて姿を消す。
あっと言う間の出来事だった。一連の動作に無駄がない。呼びとめる隙をソルディは与えなかった。
「――逃げられた」
シエラはぽつりと呟いた。