入部試験
兵法も軍律も政治学も、隊列機動の実習も終わり、放課後がやってきた。
講義中も時間を経るに従って明らかに異様な緊張感をかもし出す生徒がいて、魔動機部志望者とそうでないものの見分けは一年生においては容易であっただろう。
入部試験の時刻は放課後に入ってすぐと予定されている。
それゆえ、試験場とされる半分に割ったすり鉢状の大講堂に、入部希望者が光に集る走光性を持った虫、あるいは死肉に群がる腐肉食動物のように、続々と終結するのは当然であった。
無論、そのなかにリュウたちも含まれている。
席がほぼ埋まっている大講堂で壁際に陣取った彼らは、殺気立った面持ちで教材を食い入るように見つめている生徒たちの雰囲気に呑まれている。
「すごい熱気だな。妄執に取り付かれたみたいだ」
リュウが表情を強張らせて周囲に聞こえないようにつぶやく。
しかし周囲の生徒は血走った目で集中しきっており、仮に大声で話しかけたとしても耳に入らないに違いない。
今朝は意気揚々とやる気十分だったシジマも、この状況に戸惑いを隠せていない。
「ボクも、さすがにここまでとは思わなかったよ……」
「これはこれで、戦争のようなものだったのかもしれませんな」
ははは、とカバネは笑う。おそらくこの肌を刺すような険悪な雰囲気は彼の金属製の肌には届かないのだろう。
ふと、傍らの通路を通る男子が足を止めた。
「あれ? ひょっとしてリュウ?」
「ん?」
声をかけられて振り仰ぐそこには、黒髪茶眼で線の細い優しそうな面差しという、気のいい少年を絵に描いたような風貌の男子が立っていた。
彼の顔には、そこはかとなく見覚えがある。
「ああ、お前ロッツか! うわ、お前も軍学校に来てたのかよ」
「そうだよ。リュウこそどうしてここに? 引っ越した?」
「いや、実家はテセニアのままだけど、こっちに知り合いがいて世話になってるんだ。しかし、凄いな。何年ぶりだ?」
盛り上がってなにやら旧交を温める二人は、困惑気味に見比べているシジマとカバネに気づいた。
シジマが驚いた顔に笑みを貼り付けている。首をかしげた。
「ええと、どちらさま?」
「あー、あれだ。こいつはロタール・ゲルトナーっつってな、予軍校に行く前の友達だ。ロッツ、こっちは予軍校からの友達のシジマで、シジマんとこのゴーレミアンカバネだ」
よろしく、とロッツは微笑む。
シジマは答えつつ、腑に落ちないという表情を浮かべてリュウとロッツを見比べる。
「で、このリュウと正反対みたいな爽やか美少年がなんで友達やってるわけ?」
「おいコラ、と言いたいが否定はできん」
「いやいや。ええと、僕とリュウは幼児園で仲良かったんだよ。卒園したあとも、しばらくは長期休暇のときなんかに会ってたんだけど」
「お互い予定が合わなくなってなあ。たまにメールなんかをするくらいの付き合いになって、長らく会ってなかったんだ」
リュウはロッツを見上げて、背ぇ伸びたな、などと歓談する。
その様子を眺めて、カバネが重々しく推測を口にした。
「ふむ。幼児園のころは、リュウがガキ大将でロタールが手下Aだった。違いますか?」
『正解』
無駄に声をそろえる。時間と距離のブランクは友好関係に影響がないらしい。
シジマが呆れ顔で二人を眺めた。
「てかさあ、今そんな話してていいわけ? 入部試験始まるよ?」
「その通り。ちゃんと席に着いて待っていなさい」
壁際の階段を塞ぐ形で立ち話していたロッツの背後に、女性がいつの間にか立っていた。
赤みがかった黒髪を後頭部で縛っており、吊り目がちの相貌とすっきりと通った鼻梁、しゃんとした背筋が持ち前の高身長に合わせて凛々しい印象を受ける。その整った容貌は優しい微笑をすら勇壮に見せていた。
「あ、すみませ、」
振り返ったロッツが息を呑む。
四人を順に見渡して、リュウと視線が合った彼女は、おや、と訝しげに眉を上げた。
「どこかで……いや、気のせいかな」
その微妙に覚えているようで覚えてない感じが、リュウにしてみれば、彼女の人の好さを証明しているように思えた。
リュウはいっそ覚えてくれなくてよかったのに、と思いながら、顔はにこやかに口を開く。
「初めまして、マイア・ヴァクリナ部長。以前、セヴェリ・カルツァがお世話になったようで、よろしく伝えておいてくれと」
「カルツァさんが? ……ああ! キミがリュウヤ・オオギリくんか。カルツァさんからよく伝え聞いているよ」
この講堂に生徒を集めた責任者、魔動機部部長の任を奉じているマイアはリュウに笑顔を向ける。
リュウは乾いた笑いしか返せない。
顔を覚えているというのはリュウを見たことがあるからで、見ても分からないのはリュウと会ったことがないからだ。
マイアが懇意にするセヴェリから、おそらく画像か何かを見せられて紹介されたのだろう。
兄弟のような関係とはいえ、実際にはなんの繋がりもないコネで自分の顔が有力者間に知れているというのは、恥ずかしいとかいう問題ではなく、ちょっとした恐怖だった。
マイアは顔をほころばせて、まるでリュウをセヴェリに繋がる遠話だと思っているかのような、楽しそうな口調で言う。
「カルツァさんには、また絵をお願いしたいと思っている。彼の絵は複写や画像ではとても表現しきれない。お忙しい中申し訳ないが……」
「ヴァクリナさんに是非描きたいと言っていましたよ」
実際には言っていないが、どうせセヴェリは年がら年中誰それに描きたいと語っている。事実にちょっと時差があるだけだ。
臆面もなく嘘を吐いたリュウに、マイアは嬉しそうにはにかむ。彼女もセヴェリの絵に惚れ込んだ一人なのだ。
「それは嬉しいな。……ああ、キミが彼の知り合いだからって贔屓はしないから、覚悟するように」
「分かってます。むしろ、そんなことされたら兄いえセヴェリから、落とすように連絡が来ますよ」
実兄であればまだしも、あだ名としての兄呼ばわりはややこしい。
もしかしたら、セヴェリからその辺りの事情を聞いているかもしれないマイアは、可笑しそうに笑った。
「ふふ、そうだろうな。おっと、立ち話している場合じゃなかった」
失礼、と棒立ちするロッツと壁の狭い隙間を器用に通り抜ける。
振り返った。
ロッツの顔に指を向けて、毅然と告げる。
「席に着いて待っているように」
ふわりと後れ毛を引いて颯爽と歩き去っていく。何気ない動作のひとつひとつが格好いい。
その姿を見届けたシジマが、やっと拘束から解放された猫のように息をついた。
「さすが、こんな頭のおかしい部活を纏め上げるだけあって、器が違うね」
「全くです。あんな大人物とリュウが知り合いなんて、世の中間違ってますな」
「俺じゃなくて兄貴のだよ。と、ロッツ、お前も席に」
言いながらロッツに顔を向けたリュウは、言葉を失った。
マイアの後姿を見送るロッツは恍惚としており、その手は切なげに握られている。
「ロッツ?」
「……あっ?! うん、ごめん。もう一回言って?」
「いや、まだ何も……、ええと、席に着けって。カバネ、詰めてくれ」
はいはい、とカバネが席を詰めて、シジマもリュウも一つずつずれる。
「ありがとう」
気にするな、と手を振って、リュウはロッツを見た。
まだどこかソワソワとしている彼は、少し顔を高潮させている。何か忘れ物を探すように巡らされた目は、壇上に上ろうとしているマイアに落ち着いた。
まさかお前、マイアさんのこと――。
リュウは言葉を諦めた。なぜなら部長が壇上に立って話をしようとしているからだ。
壇上の中心でただ一人照明を浴び、堂々と屹立する彼女はまるでソロコンサートを行う歌手のようだ。
『入部希望者の皆さん』
紡がれた声が拡声器を通して講堂中に響き渡る。
必死の形相で試験に備えていた生徒たちが、のっそりと顔を上げる。
『本年度もこれほどの希望者が来てくれたことをありがたく思います』
その様子を静かに見渡しながら、落ち着いた声で語る。
声にも力が宿るのだろうか。マイアが一声を発するたびに、殺気立っていた講堂の雰囲気が静謐なものに変わっていく。
『ですが、我々も修行中の身。指導に割く時間も限りがあります。数に任せて募集し、荒のある指導を行うことは、我々の理念に反しています』
彼女の声を傾聴し静まり返った講堂は、拡声器がなくても大丈夫ではないかと思うほどだ。
静かな湖面に弦楽器の奏でる音が波を立てるように、声は静かに染み渡る。
『我々、魔動機部の理念は、切磋琢磨』
揺るがず、弛まず、芯の通った語りを行うマイア。
こういう人物を、指導者の器というのだろう。
『自ら向上に励み、またお互いに高めあう。限りある時間を有効に用いるために、そんな意欲ある人を望みます』
厳しい顔で見渡していた彼女の顔が不意に和らぐ。
『とはいえ、ここに集まる皆さんはその点に心配は要らないでしょう。ここで試すのは、皆さんの情熱と時の運です。気を楽に、ベストを尽くしてください』
話を終えた。
誰が最初に手を打ったのか、風が草原を渡るような小さな拍手の音は、波のように広がると共に音量を高めて、盛大な拍手の洪水が巻き起こった。
壇上のマイアは、なぜ拍手が起こったのか分からないように困った顔で笑っている。その微笑ましい姿に拍手が高まる。
リュウは傍らに座るシジマが何か口を動かすのを見た。耳打ちが拍手にかき消されて、なにを言ったのか聞き取れない。どうせ、すごいことになってるね、とかそんなことを言ったのだろう。
拍手が唐突に引いていく。マイアが手を上げて注意を引いていた。
彼女は拍手が鎮まったのを見て、再び口を開く。
『では、最初に筆記試験をこの場で行います。なお、カンニング等不正行為は即刻失格となります。監督官が目を光らせているので、企んでいる方がおりましたら、諦めるように』
マイアはポケットから細長い板を取り出す。カシャリという屏風折りの画面が広がる軽い音を拡声器が拾った。
『では皆さん、端末に試験問題を配布します』
リュウを始めとする全員が端末を取り出した。
リュウの端末は横に細長いメモ帳のような、メタルブルーで薄い二つ折りのデザインをしている。開くと妖精が自動で起動して左右の小型投射機から画面を宙に結ぶ。投影型の本体操作盤タイプだ。
配信されている受験問題を見つけ、妖精が画面に試験設定を適用するかどうか確認するダイアログを出している。承認。
機能が制限され、遠話や読み込みなどはもちろん、受験に必要のない機能は全て使えなくなる。
左右の投射機をずらして、画面の投射位置を本体に重ねる。ペン型指示器を持って本体の上に掲げれば、パッドの感知方法が操作盤から座標感知に変更される。
ちょっとした電算装置としての機能はもちろん、財布や身分証としても使え、さらには樹状通信機構へのアクセスを利用して授業や遠話などの、あらゆることにこの端末を用いる。
『よろしいですか?』
端末から顔を上げると、マイアが壇上から生徒の様子を見回している。
彼女は全員が準備できた様子を確認すると、微笑んだ。
『それでは、試験を開始します』
なおも目を通していただきありがとうございます。
あとがき案内役は私ギシカノレムが担当させていただきます。本編とは別枠で説明を行わせていただいております。
今回のテーマはお昼ご飯。
ニースヘリア王国に限らず、経済活動の盛んな現代社会、市民生活においても食事は早く美味しく手軽に安く、が人気を博します。特に朝昼食はその傾向が強く見られます。余談ですが、夜は家族と一緒にゆっくりたっぷり、楽しむことが多いようですね。
ファジウという料理が、日本のお握り並みに昼食の定番です。
薄く延ばして固めたパンを焼いた生地に、肉や野菜をたっぷり巻いて、酸味のある果実を絞ったさっぱり甘いドレッシングであっさり頂きます。バランスよく栄養が取れて、手軽で、かつボリュームもあるということで、これ一つ包んでお弁当とする人がとても多くありました。ニースヘリアの伝統食であり、労働人たちのソウルフードと言えそうです。
伝統的に、民衆の間では質実剛健とでも言うような、見た目より量と味そして栄養が重視され、味付けも素朴なものが中心でした。ディラシュを初めとした宮廷料理が不味いので、特に競う相手がいなかったのです。そのため繊細な味付けよりも、素材の味を引き立てるダシや加熱法などが重視されていました。しかし、最近になって、肉を重めに持ったり、デミグラスソースのようなジューシーなドレッシングに変えたり、といったバリエーションの増加が加速しています。
近代に時代が変わる文明開化の直接的な原因として、他大陸からの妖精技術の伝来があるとは以前のあとがきにて解説したと思いますが、同時に食事も伝わったため、食の多様化が一気に進んだのです。
今回はこの辺りで。
さて、今回、懐かしい再会があり、またいよいよ試験が始まっていきます。
試験はどうなるのか、またリュウの旧友はどういう人なのでしょうか?