夢現
ふと、どっちが現実なのだろう、と思った。
軍学校の中庭でベンチに座って木漏れ日を浴びながら敷地を見渡している自分は、本当は昨日の戦地で戦死していて、こうして生徒が急ぎ足に芝生を歩いている軍学校の景色は夢や幻なのかもしれない。
あるいは逆に、昨日いきなり開戦して、狭苦しい輸送車で戦場に送られ、深い森を走り回ったことこそが、リュウの見た夢や幻だったのかもしれない。
忙しなく装甲輸送車が無駄に広い敷地内道路を走っている。次の物資を前線に送り込むのだろう。代わりに、軍学校に自販機の商品を補充しにくるはずの業者の姿が見えなかった。
「お疲れですかな、リュウ」
突然、肩に手を置かれた。
驚いて振り返るリュウの目に、銀色で体温のない手が映り、持ち主の無表情がその先にあった。その顔の持ち主を反射的に呼ぶ。
「カバネ」
そうですとも、と言わんばかりに彼は左手を肩の上まで持ち上げる。
ひらりと無駄に優雅に芝居がかった仕草でリュウの隣に腰を下ろした。
その動作を見届けずにリュウは視線を前に戻す。なにやら遠話を使いながら走っている教員の姿が見える。
「昨日はずいぶんとコッテリ絞られましたね」
「まあ、勝手に突撃したからなあ」
リュウは思い出して苦笑した。
隊長に勝手な行動を厳重かつ執拗に注意されたのだ。
いわく、一人の博打が全体を危険に晒す、だとか、そのような危険な行動を取らないために集団が存在する、だとか、教科書で習ったようなことを延々と言われ続けた。
マギマキカに搭乗することができるのは士官以上の階級に限るため、士官であるからには同時に指揮能力も持っていなければならない。
リュウとしては、注意深く状況を吟味した上での行動だったのだが、指揮官としては確かに落第だろう。
そして、そのうえ、
思考が片鱗に触れてリュウが俯いたことを敏感に察し、カバネは同情するように肩を傾けた。
「リュウ、あなたは正しい選択をした。その勇気ある行動が、我々を危険に晒す余地なく戦況を切り抜けさせたのですから。まあ、その判断がビギナーのものである以上、危なっかしいのは否定できませんが」
人形が口のない顔を笑うように揺らし、そして言葉をつむぐ。
「仲間を守るために危険を排除する。その行動は褒められこそすれ、責められるいわれはありません」
断言した。
だけど、という言葉を飲み込んで、リュウは聞かなければならないことを尋ねた。
「お前は、どう思う?」
「どう、と申しますと?」
「機巧人形が敵ってことについて、なんか、さ」
心に渦巻くわだかまりを、うまく質問の形に出来ず、リュウは顔をしかめた。
カバネはその温度の無い顔に温かい表情を秘めて、首をかしげる。
「我々の命が懸かっている以上、致し方ありません。それが敵であれば、排除するべきです。なによりも、仲間を守るために」
「そう、だよな」
静かな力強い言葉を受けて、リュウは答えた。
確かに、下手な感傷で仲間を死なせてしまっては、悔やんでも悔やみきれないに違いない。
それに、相手が予備要員として使い捨てにするゴーレムを運用する以上、敵の戦力が十分以上であることは容易にうかがえる。
そんなゴーレムが敵である以上、容赦や呵責などを腹に持って戦っていたら、命が幾つあっても足りはしない。
未だ黙り込むリュウを見かねてか、カバネは言葉を重ねた。
「我々ゴーレムは、何のために作られるか、ご存知ですか?」
思いがけない質問だった。
驚いて顔を上げるリュウの前には、いつも通りなにを考えているのかまるで窺えない無表情がぶら下がっている。
ゴーレムが作られる理由など、千差万別だ。様々な目的に応じて最適化された機体や妖精が組み立てられ、構成される。
リュウの思考を読み取ったかのように、目を覗き込んでいたカバネはうなずいた。
「何らかの目的のために、我々は製造されます。全て、例外はありません」
「……いや、お前の場合、子どもの相手なんて理由は後付けだろ?」
シジマの家にカバネという実験機が送られたのは、もとはテストのためにシジマに付き添わせるという名目だった。
しかしカバネは、笑いを含んだような調子で頭を振り、リュウの言葉を否定する。
「いいえ。私は社が持つ技術の限界を試すためだけに、粋を集めて作られました。実験であり、デモンストレーションであり、自慢のためです」
反応を返せなかった。
カバネは余談から話を戻すように、落ち着いた語調で言葉を連ねる。
「敵のゴーレムも同じこと。つまり、戦い、敵を殺し、自軍を有利に導き、そして」
絶句したままのリュウを見ずに、カバネは当たり前のように告げる。
「それができないときは破壊されるために、彼らは作られています」
リュウはそれを聞いて、分かっていることだ、と思った。
ひどく当たり前で、当然のことで、誰でも知っていることだ。
ゴーレムだけではない、そのために全ての兵器は作られている。
「リュウ、あなたはゴーレムのことなど何も気にすることはありません。ただ、自分の身を守ってくれればいい。余力があれば、シジマのこともお願いします」
その言葉の先にリュウの思考が届く前に、カバネは笑うように肩を揺らして言葉を重ねた。
「いくら私といえど、身ひとつでは少々限界がありますからね。手伝ってもらったほうが確実というものです」
リュウは少し黙って、不意に肩の力が抜けたように笑う。
カバネを横目に見て、笑みの端に強気を乗せた。
「ああ。ま、そうだな。せいぜい全員守れるように頑張るさ。それしかない」
「そのほうがあなたらしい」
カバネが笑う。
わだかまりを丸めて押し込んで鍵を閉めることができたリュウは、不景気な顔を捨てて空を見上げる。
無駄に晴れ渡った空は、いやに長閑で牧歌的に風を流している。
その脳裏の端に、シジマの浮かべた恐怖の表情がこびりついていた。
「それはそうと、リュウ」
ふとカバネが尋ねた。
「荷物整理は終わったのですか? この休みのうちに片付けておかないと、次にはいつ帰れるか分かりませんよ」
「ああ……。まあ、一通りは終わってるけどな。もともと物持ちが悪いし」
リュウは答えて、ベッドと机以外にほとんど何もない自分の部屋を思い出す。
使いもしないものが置いてあるとひどく気持ち悪く、すぐになんでも捨ててしまう。そのせいで後々必要になって走り回ることもたまにあるが、基本的にそれで困ったことはない。
「ロッツなどは大変そうですね。実家が遠いせいで、移動と整理だけで休日が潰れてしまうでしょう」
「まあ、軍学校の生徒なんて、ほとんどがそうだと思うけどな」
頭の後ろで手を組んでリュウはぼやく。
住居がこのランディアにあるリュウやシジマのほうが少数派だ。そのシジマは逆にあれこれ整理がつかずに、長らく苦労しているらしい。
そんなことを思考に流して、リュウは真上に張り出している枝の葉が揺れ動くのを見る。
「しかし、こういうのは嫌なもんだな。まるで、」
まるで、死ぬ前の身辺整理をさせられているみたいだ。
言葉の先を口に出すことは出来ず、リュウは口をつぐむ。
カバネも不自然に途切れた言葉を尋ねるような無粋はしなかった。
この休日が終われば、またリュウたちは戦地に送られる。馬鹿でかい敷地を持つ軍学校からかすんで見えるランディアの街は、いつもと変わらないように見える。
その実、歩いてみると閑散として、まるでゴーストタウンのように空洞化している。
国境に程近い地理のために、敏感に開戦を知るやいなや、住民の多くが疎開したのだ。
リュウの義兄セヴェリも、遠からずリュウの実家を間借りする形で街を出る予定になっている。珍しく輪を掛けて気合が入っていた絵の仕事を請けているときに、アトリエを空けなければならないと言うのは、なかなかに災難なことだ。
いや、戦場に向かわなければならないよりはマシか。リュウは自分で考えて苦笑した。
「ほんと、どうしてこんなことになってんだろうな」
空に溶け込むように、その独り言は流れていく。
かと思いきや金髪の女に言葉の尻を捕まえられた。
「国家ぐるみで喧嘩を吹っかけられたからだろう」
セフィリアがベンチの後ろから覗き込むように、空を仰いでいるリュウの顔を見下ろす。
カバネが驚いたように肩を跳ねて振り返った。その驚きようは滑稽だったが、リュウの三倍も驚いていないのだから笑えない。
筆舌に尽くしがたい驚愕を顔に映したリュウは、頭を引っ込めてちゃんと体ごと振り返る。
「セフィリア、お前、戻ってたのか」
「今朝方な。しかし、今すごい顔したな」
「片付けやらは済ませたのか?」
「ああ。もともと、立場上私物は少なくてな。それより今の顔、写真に撮ればよかったな」
「そうか。今朝方についたのに片づけが終わるなんて早いんだな」
「まあな。そういえばいつもの連中は居ないのか? 今の顔を見せてやりたかったものだが」
「あいつらは片付けが終わらなくて戻ってないよ。少なくともロッツは休みギリギリまで戻らないだろう。そういえばお前、結局ここに戻ってきていいのか?」
「いろいろごたついてて、説明できるものではないが、まあ戻ることになった。もしかして今の顔、カバネは記録できてたりしないか?」
「おいいい加減にしろよお前俺が超頑張って話逸らそうとしてんの気づけよ気づいた上でだったら殴るぞこら」
「グーはやめてほしい」
「気づいた上かよくそっくそっ」
まさか皇女を本当に殴るわけにもいかず、リュウはベンチの背もたれを二度三度殴る。
必死のやり取りに、声を殺して痙攣しているかのように体を震わせて笑っていたカバネが、やっと振り返った。
「視覚メモリを抽出することは可能ですが」
「消せ」
「消します消しました今消しました足をどけてください踏まないでください」
宣言を受けて、セフィリアにはとてもできない攻撃を取りやめる。
地面に伏して完全にホールドアップさせられていたカバネが、土を払いながら立ち上がった。
「それはそれとして、セフィリア様」
「様付けはよしてくれ。学友だろう」
「では、フィル」
「次がいきなり愛称か。いや構わないけどさ。で、なんだ?」
金髪を揺らして先を促すセフィリアに、カバネは平坦な表情で尋ねた。
「皇族的情報筋で戦争の経緯について、なにか分かったりはしませんか?」
セフィリアは顔を曇らせ、気をつけていなければそうと気づかないほどそっと、細く息をついた。苦笑を浮かべて首を振る。
「さすがに分からない。私は皇族とはいえ、軍に入れられる程度に端くれだからな。王家と考えないほうがいいぞ」
そうですか、とカバネは顎に手を当てて沈思する。
セフィリアの言葉を最も忠実に実行しているのは、軍学校かもしれない。一切の区別も容赦もなく数々の課題を出し、主にマギマキカの操縦系で落第の判を押されていた。リュウは力いっぱいうなずく。
「その心配はいらないな、俺なんかはときどき忘れる」
「それは行き過ぎだ、やめてくれ。本当に問題にならないのが余計にへこむ」
「……すまん。努力する」
物凄く嫌そうな顔をしているセフィリアに頭を下げる。そのリュウの懐で、端末が鳴動した。
そういえばこれは戦地では使わないし解約してもいいか、いやでも今実際に着信したしな、などと考えながら取り出す。セフィリアも同じように端末を取り出していた。
表面に表示される発信元は、登録名が魔動機部となっていた。
「なんか着たな」
セフィリアがそんないい加減な言葉で断りを入れて、端末を開く。リュウも端末を閉じたままの外部ホログラムで着信内容を表示させた。
テキストメッセージで簡潔に記された内容は、明日の出兵はなく、代わりに別の場所に向かうとのことだった。詳細の連絡は明日朝に行われるらしい。戦地同様の武装を用意しておくこと、と書き記されていた。
カバネが横からリュウの表示を覗き込んでいる。別段機密の条件はつけられていなかったので、誰も気にしない。
目を通したカバネが首をかしげた。
「なんでしょうね?」
「さあな。今の時期に、戦争以外に軍用機を使わなきゃいけないことなんてあるのか?」
考えて分かるわけもない。明日に説明されることを待つだけだ。
空を見上げ、西の端に黒い雲が顔を覗かせていることに気がついて、リュウは顔をしかめた。