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エルレイス  作者: ルト
第三話
16/27

戦場の輩

 何度死ぬかと思ったか分からない。

 激化する一方の爆音や砲声は耳をしびれさせ、まるで街の雑踏かなにかのように意識から消えていく。

 錯覚した敵の気配に、何度息を殺したか分からない。空を駆け抜けるミサイルも戦闘機も戦闘ヘリも、制空権を得るに至らない。何度か攻撃をへっぴり腰に投げつけて逃げ帰るか、コストと威容に見合わないあっけなさで無様に落ちていく。戦車は通れず歩兵はもろく、身を守り身を滅ぼす森林を憎々しげににらみつける。

 弾む息をこらえて木の根をかきわけ、転がるように積荷を抱えてリュウは走る。

 何も考えていない。

 無心で木をかわして走行ルートを見切り、無心で周囲の音や動きに神経を集中させ、無心で後に続くシジマやカバネの無事を確認し、無心でマーカーをセットした目標地点を見定める。これを何時間、何往復繰り返したか。そんなことを一片とも気にしないほどに集中し、無我夢中で物資を積んだマギマキカを走らせる。

 もはや何かを考えるだけの気力が残っていないのだ。

 敵が居るかもしれない、弾やミサイルが飛んでくるかもしれない、真上から航空機が墜落してくるかもしれない。そんな恐怖を意識レベルで認識し続けることなど、神経が持ちはしない。

 まるで、演習や訓練で刷り込まれた安全確認のルーチンを自動的に繰り返す機械のようだった。リュウの目は絶え間なく動き、耳は澄まされ、体が動かされ、マギマキカが走る。

 飛び込むように木立の隙間にマギマキカを投げ落とし、足を止めた。

 そこには数機の迷彩塗装されたバウンサーが立っている。一人がリュウを振り返って鎧に隠れた体の正面を向けた。


『ご苦労、オオギリ軍曹! しばし休んでいるといい!』


 こんなところで休めるものか、と唾棄する代わりに了解の返事を通信に叩きつける。

 リュウの両側に転がり込むようにしてシジマとカバネが飛び込んできた。

 リュウに声をかけたバウンサーが二人にも労いの声をかける。それを耳の片隅に入れつつ、リュウは背負い込んだ小型のコンテナをバウンサーの囲む中心に下ろす。

 銃や弾薬、兵糧や設置型の対妨害地波通信機など、小隊に必要な物が詰め込まれている。同じコンテナはすでに幾つも運び込んでいた。マギマキカの消耗部品や動力源(シュマルク)、小銃などそれぞれ異なる必須物資が入っている。


『全く、物資も整えきれないまま出陣とは、我が司令部ながら剛毅なものだ』


 さきほどのバウンサー……小隊長が笑い、銃を構える。

 その銃は、歩兵の携える対物ライフルと同じ銃弾を用いる、アサルトライフルである。

 図体の割に携行火力の過少なマギマキカは、開き直って供給の便を図るために歩兵の火器を流用することも少なくない。そのため、主武装級の火力であっても、携帯火器と規格を共有する武器がほとんどだ。

 隊員たちは迅速限りないことに、リュウたちが置いたとたんにコンテナを開けてそれぞれの武器を取り、あるいはコンテナのまま機体に背負っている。そして小隊長が武器を構えたことに応じて、各隊員の任ぜられた役割に応じて多少異なる兵装をそれぞれ構えていた。

 その機体の全てがバウンサーだ。

 当初は手持ちの武装しかなかったマギマキカは、いよいよ弾薬から予備兵装まで整えて装備を完璧に整える。

 細身の腕に握る銃を上げて、小隊長が声を上げる。


『我々はこれより漸進(ぜんしん)し前線の後詰に就く! 敵が対空砲台を探してウロウロしているぞ、警戒を怠るな!』


 小隊員は唱和して了解を返し、申し合わせていたように進行しながら隊列を組んでいく。周囲への警戒を厳に据えた並び方。

 小隊長がリュウたちを振り返る。


『オオギリ軍曹、シジマ伍長、カバネ伍長。君たちは私の指揮下に入っている以上ついてきてもらうが、自身の安全を最優先してくれて構わない。もしものときは私の指揮を待たず、軍曹の判断に応じて行動してくれ』


 隊長の言葉に一瞬息が詰まり、慌てて詰まった息ごと吐き出すように返事をした。


「了解です」

『よし。では行こう』


 隊長のバウンサーは急ぎ足で隊列に合流した。

 顔が見えるままのカリオテに乗るリュウは、二人を振り返る。シジマは露骨に嫌そうな不安に凝った顔で辺りを見回し、カバネは機械の体ゆえの決して揺らがない鉄面皮でリュウを見返していた。

 リュウは深呼吸をして、前を向き直る。走り出して隊の最後尾についた。

 近くに居た隊員のバウンサーはチラリと見るように体を傾けて、すぐに何事もなかったかのように戻す。しかし別のバウンサーがわざわざ歩調を落としてリュウの隣についた。


『ありがたい限りだ。学生サマが俺たちの部隊についてくれたお陰で、この部隊は安全な場所でのうのうと足踏みをしていろとお達しが下ったんだからな』


 皮肉げに、嫌味たっぷりと声を気持ち悪く緩ませて、そのバウンサーが声をかけてくる。

 リュウは舌打ちしたい気持ちを堪えて、なんとも思っていない顔をつくろった。んなことは俺の知ったことではない、と内心では大いに罵倒しながら。


「はっ、経験不足の我々を伴ってもなお完全な任務遂行が可能と判断されるほどの小隊に参加させていただき、光栄であります」

『くだらねーお世辞はいらないんだよ、くそがきが』

『自重しろ、馬鹿者』


 先ほどチラリとリュウを見た隊員に諌められて、絡んできたバウンサーは苛立たしげに足を速めてリュウから離れていった。

 勝手に話をして勝手に苛立つなら、わざわざ近寄らなければいいだろうに、とこっそりため息をつく。

 そんな思考を見通していたかのように隊員の言葉が続いた。


『軍曹もだ。言動には気をつけろ』

「はっ、申し訳ございません」


 反射的に言葉を返した。諫言したバウンサーが正面を振り返った後になってようやく、じゃああんな絡み方にどう対応すりゃよかったのだ、と歯噛みする。

 そこでやけにかっかしている自分の思考に気がついた。

 ため息をつく。

 戦場で気を張っているうえ、慣れない山を恐怖に駆られて走り回り、心身ともに疲れている中でさらに戦地にとどまらなければならない。

 極限状態において大きな現実から意識を逸らす為に、目の前の小事に意識の全てを振り向けようとしているのかもしれない。これだけの数の正規軍人が傍に居るという安心感が、そんな意識を持つだけの余裕をもたらしたのだろう。

 なんとも情けない話だ。甘えたくて突っかかるなど、まるで子どもの所業ではないか。

 リュウが内省に見せかけた現実逃避を続けているとき、不意にずいぶん前を歩いていたバウンサーが消えた。


 顔を上げたリュウの前で、いくつかのことが同時に起こる。

 体を落とすように身をかわしたバウンサーをかすめるように、黒い影が襲い掛かっていた。それを見た兵士が「敵だ!」と声を張り上げて、木立の奥、リュウの死角になるところから閃いたマズルフラッシュに殴られて火花と共に倒れて転がる。

 マギマキカが全て一斉に動き、近くの木を影にして銃を向けて発砲した。銃声が折り重なって響き、耳に張り手を食らわせたかのような音色に歪む。

 応じるように衝撃が降り注ぎ、土がそこらじゅうで跳ね回る。跳弾が高い音を立てて木肌を削る。隊長が「応戦しろ!」と叫び、なにやら子どもが泣き喚くように腕を振り回して銃を乱射しながら言葉を重ねる。

 その全ての視線の先。


 ぬるりと深淵から這い出る魔物のように、暗い迷彩色を身にまとうマギマキカが現れた。魔物の群れが獲物を狩るように、そのマギマキカは後から後から続いて腰の右に据えた機関銃を撃ち続ける。

 それを他人事のように眺めながら、リュウは自分の頭のどこかが破裂する感触を覚えていた。

 激しく熱を帯びていた鉄が水に浸けられて黒く冷えるように、脳裏には状況に不似合いな冷静さと落ち着きが腰を据えている。

 今日という日が、昨日と地続きであることすら信じられないような、今。

 全力を尽くして銃声に怯えながら馬車馬のように駆けずり回って、挙句が、理不尽にすぎる今。

 こんな腹立たしいことのために、必死にマギマキカを駆り回している、この今が。

 あまりにも馬鹿げている。

 上等だ。


「ふざけんなよ」


 ワケの分からないまま開戦し、理由も知らないまま命を賭けて銃を運び、状況の急変に翻弄され続けた。

 心身ともに疲弊しきっていた。

 そしていよいよ、この地に足を踏み入れてから漠然と背中を触っていた命の危機が、ついに眼前にその身を現した。

 それは、実にあっけないほどリュウの心のとどめとなった。

 信じられないほど冷静に『切れ』た。

 上等だクソ野郎。いいぜ、そっちがその気だってんなら、俺は仲間全員を、無事に戦地(ここ)から帰してやる!

 誰に向けたかも分からない、状況の全てを罵倒する言葉が白熱して溶ける。

 脳味噌が空回りするように思考が白けて考えが消える。

 最後に残された視界で、木々の中でめいめい動き回り敵機に対応する、無数の僚機を見る。


『やばい』


 静かに足を踏み出して剣を握るリュウ機の動きを見て、シジマがぽつりとつぶやいた。


『リュウが切れた』


 リュウの機体は腐葉土を削るように走り出す。

 奇襲を受けて肉薄してからの応戦を余儀なくされた小隊は、もつれ合うような乱戦に陥っていた。

 もはや銃声はボリュームを落とし、剣で殴る音が重なる。目の前で、小隊のバウンサーが敵のマギマキカと剣も振れない至近で、掴み合いを繰り広げている。


「まず一機!」


 それを何のためらいもなく剣の峰で殴り飛ばす。

 バウンサーの左腕マニピュレータが一本ねじれ上がった。それに対し殴られた当の敵機はよろけた体を木にぶつけ、斜面に足を滑らせて倒れこみ、転がり落ちていった。他の敵機に背中から衝突する。複数からの集中砲火が二機に止めを刺す。


「二機」


 それを見送りもしなかったリュウは、突撃と狼藉に気づいた敵機に銃を向けられていることに気づいていた。

 舌打ちを残し、飛び込むように木立を遮蔽にしてかわす。銃弾が左肩の端にこすれて、予想外に激しい衝撃が左足を揺さぶる。

 リュウに気を取られているその敵機が、僚機に討ち取られたことを耳で知る。


「三機? 残りはいくつだ?」


 首をめぐらせる。土煙と焦げ付くような硝煙の匂いが鼻をついた。

 乱戦の隅に身を隠すマギマキカが、一際薄い装甲で威嚇程度の射撃を繰り返す後方の旧型(カリオテ)に銃口を向けている。

 その姿が、木々の合間からリュウの視界に入った。

 リュウの思考が、しゃっと音を立てて次の行動をはじき出した。

 走り出しながら周囲を一瞥して、誰も自分に銃を向けていないことを確認する。回りの僚機も敵機も、お互いに殴りあう間合いで戦闘を繰り広げていた。

 リュウは手に持った訓練剣ではない実剣を、振りかぶる。

 そのまま左腕のトリガーを引き、露出した弁に指を押し付けた。

 操縦桿から魔導線を経由して魔力が供給され、術式が起動する。剣が薄赤く光を帯びる。


「させねえよ!」


 飛び掛るように、敵機の構える機関銃に剣を叩きつけた。

 小枝を折るかのごとき容易さで銃身が分断される。薬室に供給された銃弾が暴発して、銃身が弾け飛んだ。

 リュウは足を滑らせて足を仁王に構え、腰を引き絞るように捻り、驚いたように体をすくませるマギマキカの胴体に、

 剣を突き刺す。

 魔術的な補強を受けているはずの装甲を、まるでボール紙のようにやすやすと貫いた。

 ボツリ、と不気味な手ごたえを残して背部の機関部に刃先が食い込む。ガクリとリュウ機の左腕から力が抜けた。駆動機が一部歯抜けしたかもしれない。

 びくり、と電流を流した蛙のように、全身をぴんと伸ばしたマギマキカは、音量を急激に下げるように動きを止める。

 仕留めた。

 その事実を頭ではなく操縦桿を通した腕で知って、リュウの脳裏はガラスのように砕けていく。

 仕留めた?

 仕留めたのか?

 この手で、敵の兵士を?

 いや、そうではなく。


「誰かの、命を?」


 滝が落ちるかのようだった。

 頭の熱が消えて、

 背筋が冷えて、

 腰が冷たくなる。

 顔が真っ青になっているのが自分でも分かるくらい、血の気が引いた。

 こめかみがひやりとしている。急に寒くなったのかと誤解した。

 手足が震えている。

 今、自分は誰かを殺めてしまったのだろうか。本当に?

 近くで腐葉土を踏む音。

 弾かれるように振り返った。反応の鈍い左腕は動かない。リュウの反応に驚いて、相手もびくりと耳を震わせる。そこにいたのは敵ではなく、シジマだった。

 リュウは腕に入れていた力を慌てて抜く。そこで気づく。

 いつの間にか、銃声は消えていた。

 木々の合間に、全ての敵を戦闘不能にした小隊員たちが、敵機を調べている姿が見える。死骸のようにうずくまったまま動かない敵機に、油断なく銃を向けている隊員の姿もある。

 巨大な機関砲を背負ったマギマキカが、故障したらしい僚機の足の装甲を開いて覗き込んでいた。搭乗者が傷ついたのか、操縦桿の握られていない腕を引きずるようにして歩く機体もいた。


『リュウ、大丈夫? 怪我はない?』

「あ、ああ」


 身を案じるシジマの声に呆然と答えて、リュウはマギマキカの手元に目を落とす。

 力なくマニピュレータに握られたままの剣がしっかりと敵機に突き刺さっていた。半ば無意識に引き抜く。

 バキリ、と鈍い音がして、驚くほどあっさりと剣は抜けた。

 同時にフレームの歪んだ胸部装甲が傾いて、中の搭乗席が露わになる。

 吸い寄せられるように搭乗席に視線を向けた。


『あ……っ』


 シジマが引きつるような声を上げて息を呑む。

 搭乗席は装甲が内側へと花弁のようにめくれ上がって、砕けた魔結晶がわずかな光を浴びてチラチラと星空のように輝いていた。金属片やちぎれたコードに混ざり、まるで人形のような塊が、胴体を真ん中から引き裂かれてバラバラになって座席にもたれかかっている。

 リュウは強烈な視野狭窄に目の前が暗くなった。心臓が締め付けられるあまりに胃が吐き気に震えた。腰が砕け、足から力が抜ける。ため息をつくと安堵の余り意識ごと吐き出してしまいそうだった。

 血の一滴も流れてはいない。

 座席に散らばっている亡き骸は、精密な部品によってくみ上げられている。

 機巧人形(ゴーレム)だ。

 人ではなく、工場によって量産される人手としての機巧人形に過ぎなかった。

 殺してない。

 まだ誰も殺してはいないのだ。

 天地が回るほどの安堵に体が震えそうなのを堪えながら、まるで自分の無辜を誇るように、リュウはシジマに目を向けた。

 そして、その感情が消し飛んだ。

 シジマの顔には、本物の恐怖が張り付いている。

 その色は、見ているだけで取り乱してしまいそうなほど色濃く、まるでそこに本物の人の死骸があるかのようで、

 死骸。

 はっとしてリュウは沈黙する操縦席に目を向けた。そこに倒れているのは、意識があったかどうかさえ定かではない機巧人形(ゴーレム)だ。

 しかし、あまねくゴーレムは妖精を宿す。その妖精の程度によって、機巧人間(ゴーレミアン)と呼び分けられる。

 本質的には機巧人間(カバネ)との違いなど、どこにも存在しない。


 殺したのだ。

 カバネを仲間と思うなら、彼の仲間を、自分は殺したのだ。シジマはその事実と、そうせねばならなかった現実に、衝撃を受けて瞠目し絶句している。

 しかし、


「……くそっ」


 リュウは誰にも聞こえないように吐き捨てた。顔をうつむけて、額を胸部装甲に押し付ける。操縦席に腰掛ける自分の生身の肉体が見えた。

 確かにリュウは敵を殺し、機巧人形(ゴーレム)を殺した。

 ひとつの命を奪ったのだ。

 日常と地続きだと思っていた世界で、

 非日常の真っ只中にリュウはいて、

 わけの分からないまま働かされて、問答無用に戦いになって、有無を言わさず自分や仲間が殺されかけて、

 なんの言葉もなく、相手を殺した自分がいて、

 そして、

 良かった(・・・・)、と今でさえ思っている自分がいる。

 それが、ひどく、悔しかった。

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