1-50 終わらないプレハブナイト
――こうして、俺と竜ヶ崎龍帝の戦いは、漸く幕を閉じた。
屋根の吹き飛んだ二階――野晒しのフロアからは、構成員達の歓喜の声がいつまでも止むことなく響いている。雨に洗われた血の匂いと、晴れ上がった空気が混じり合い、妙に現実感の薄い匂いになって鼻を擽った。
「ほ……本当に終わったのだ?嘘じゃないのだ?」
羊の着ぐるみを着た金髪の少女――手毬が、まだ悪い夢の中にいるみたいな顔で呟く。幼い外見に似合わない、十三年分の重さを背負った声だった。
「手毬さんっ!私たちは勝ったんですよっ!〈神威結社〉の完全勝利ですっ!」
「現実味がないのも仕方ないか……」
「十三年間も竜ヶ崎龍帝の支配下にあった訳ですからな……」
拓生の言葉を、誰も否定はしない。
「――手毬ィ!アタイらは……解放されたんだよ……ッ!」
傷だらけの竜ヶ崎が、声を震わせながら叫んだ。長い黒髪から滴る水滴が、涙と一緒くたになってアスファルトへ落ちていく。
「クソ兄貴の十三年間の支配から……!やっと……ッ!」
竜ヶ崎の瞳から、堰を切ったように涙が溢れた。言葉にならない感情が、嗚咽と一緒に零れ落ちる。手毬は、その友の顔を真正面から見つめ、震える唇を噛み締める。
「竜歌……!ボク……!ごめんなさいなのだ……。竜歌に手を差し伸べてあげられなかったことをずっと後悔していたのだ……」
「……手毬や街のヤツらがずっと心配してくれてたのはアタイも知ってたよォ」
竜ヶ崎は、涙を拭おうともせずに笑った。泣き顔のまま、けれど確かに笑っていた。
「謝ることなんてねェよ」
「竜歌……ありがとうなのだ……ありがとうなのだ……」
手毬の声も、涙で掠れていた。
「それより、いいのですかな?このことを逸早く街の方々にも伝えてあげるべきですぞ!」
拓生が現実に引き戻すように言うと、手毬ははっとして顔を上げた。
「――そ、そうなのだ!竜ヶ崎龍帝が落ちたのだ!城壁の外にまだみんないるはずなのだ!このことを報せに行くのだ!」
――俺がメガホンで城壁の外に追い遣った〈神屋川エリア〉の住民達のことを指しているのだろう。だが、それは止めなければならない。
「待て、手毬。あと天音と拓生、ハズレちゃん……後は日向もか。頼みがある」
「なんなのだ?」
「せつくん、仰りたいことはわかっておりますよ」
「むむっ、なんですかな?」
「どうしたんですかっ?」
「なによ、改まって」
全員の視線がこちらに集まる。その中心で、俺は淡々と告げた。
「――みんな死力を尽くしてくれたのに本当にすまない。この件だが、竜ヶ崎龍帝は竜ヶ崎が討伐したことにしてくれ」
刹那、さっきまで騒がしかったロータリーが、嘘みたいに静まり返った。
手毬がぽかんと口を開けて、俺に訊き返してくる。
「え……?雪渚はそれでいいのだ?」
「せつくんがそうしたいと仰るならば、私は構いません」
「ふっふっふ……師匠らしいですな」
「雪渚センパイっ!私は好きですよっ?そういうのっ!」
「役に立てなかったアタシに拒否する権利はないわ。……でも、アンタもお人好しね」
日向は、呆れ半分、感心半分といった顔で八重歯を覗かせた。
「悪いな」
「雪渚がそう言うなら……わ、わかったのだ」
手毬は、迷いながらも、しっかりと頷いた。
そんな中――ただ一人、納得いかないという顔をした女が声を張り上げた。
「待てよォ……なんでだァ……!雪渚ァ……!」
黒髪に黄色い角を二本生やした女――竜ヶ崎が、噛み付くように叫ぶ。
「お前のお陰でアタイは救われたァ!この街の連中もそうだァ!なんで……なんでアタイの手柄になるんだよォ……!納得できねェよ!」
目尻から大粒の涙を零しながら、竜ヶ崎は拳を握り締める。怒りでも悔しさでもない――自分が「奪ってしまう」ことへの抵抗の涙だった。
理由は単純だ。こいつは十三年間、一人で地獄に立ち続けた。兄に支配されながら、それでも街を捨てなかった。前世の俺には出来なかった「生きる選択」を、何度負けても選び続けた奴だ。そんな人間が報われない世界なんて、クソ喰らえだ。
「――竜ヶ崎。お前は、報われるべきだ」
「……っ!」
それだけを言うと、竜ヶ崎はくしゃりと顔を歪め、地面に額が着く程に深く頭を垂れた。アスファルトの上に、ぽたぽたと涙が落ちて小さな輪を作る。
「すまねェ……!すまねェ……!」
「竜歌……!行ってくるのだ!」
手毬が、友の背中を叩いて走り出す。羊の着ぐるみが忙しなく揺れながら、プレハブ街の奥へと消えていった。
手毬が去っていくのと入れ替わるように、二階からドタドタと複数の足音が下りてくる。
「「「――ボス・雪渚様!!!竜ヶ崎龍帝を確保しました!!」」」
構成員達が声を揃えてそう叫ぶと、太い縄でガチガチに両手両足を縛られた竜ヶ崎龍帝が、俺の目の前に転がされた。
顔は血と泥に塗れ、意識は完全に飛んでいる。左腕と背中を優雅に泳ぐかの如く彫られた龍の刺青だけが、やけに鮮やかで、逆に痛々しい。
「おう、ご苦労」
「兄貴が……倒されるなんて……何度……夢見たことかァ……」
長い黒髪の女――竜ヶ崎が、兄の割れた眼鏡越しの顔を覗き込み、夢ではないと確かめるように瞬きを繰り返した。
そこへ、赤いチャイナドレスを揺らしながら、糸目の女が歩み寄ってくる。
その姿を見た構成員達が、ざわ、と僅かに騒めいた。
「……糸目女」
「――謝謝アル」
女は辿辿しい言葉で、涙ながらに感謝の言葉を述べた。
「李女史……」
――なんだこの女……異様に臭いな。びしょ濡れだし……。
「蓬莱は……アタイを助ける代わりに〈韮組〉に入ったんだろォ?」
竜ヶ崎が、静かに言う。
「……知ってた……アルカ」
「親友じゃねェかァ、アタイら」
短い遣り取りに、十三年分の積み重ねが詰まっているのが伝わってくる。
「ありがとうなァ、蓬莱」
「…………ワタシは……何も出来なかったアルヨ」
「まあ何らかの処罰はあるだろうが、お前らも被害者だ。情状酌量の余地はある。後は法に裁いてもらえ」
「……ワタシは自首するアル。雪村サン……謝謝アル」
李は涙を流しながら、深く頭を下げた。そして赤いチャイナ服をひらりと揺らし、踵を返す。
「せつくん、行かせてしまって良かったのですか?」
「嘘を言っている目じゃない。大丈夫だろう。……ってか自首しなければ犯人隠避罪か、俺……」
「まっ!この件はハズレちゃんが責任を持って黙っててあげますっ!」
「口軽そうだなぁ……」
俺の言葉に、周囲から小さな笑いが起こった。
「雪渚様!俺達は雪渚様に着いて行きます!」
「俺も俺も!」
「雪渚様のお役に立ちます!」
「正直俺、日向様にぶっ飛ばされた時点で〈韮組〉に未来はねえって思ってたよ」
「俺も俺も!」
構成員達が口々に声を上げる。言葉は軽いが、目の奥は本気だった。
「そうか。取り敢えず、住民達のフォローを頼むぞ」
「「「かしこまりました!」」」
蜘蛛の子を散らすように、スーツの群れがロータリーを走り去っていく。残されたのは、〈神威結社〉の面々と竜ヶ崎、日向だけになった。
「わぁ!一気に〈神威結社〉の仲間が増えましたねっ!ちょっとガラ悪いですけどっ!」
「着いて来るのはいいがあんまカウントしたくねーな……」
「――おい!竜歌!生きてたのか!?」
「――竜ヶ崎龍帝が落ちたぞ!!」
プレハブ街の通り――その先の車道が賑やかになってきた。城壁の外へと出ていった筈の男達が、ぞろぞろと戻ってくる。
「――竜歌!連れてきたのだ!」
先頭を走る手毬の声が響く。ロータリーまで駆け込んできた住民達は、泣き顔の竜ヶ崎と、その足下に転がる竜ヶ崎龍帝の姿を見て、一斉に歓声を上げた。
「竜歌ちゃん!ごめんなさい!私達……|あなたに迷惑をかけまいと……!」
「竜歌……生きてたのか……!良かった……!良かった……!」
「竜歌がやっと……あの男を……!」
怒号でも悲鳴でもない、喜びと安堵が混ざった声が快晴の空に跳ねる。この瞬間から――竜ヶ崎竜歌は、〈神屋川エリア〉の「英雄」になった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――軈て日が暮れ、空は群青へ沈み、代わりに月が顔を出した。
服は乾き、天音のユニークスキルによって身体の傷も殆ど癒えている。〈神屋川エリア〉は今、街全体を使った大宴会の真っ只中だった。
〈十傑〉・第七席――日向の一撃によって、〈神屋川エリア〉をぐるりと囲っていた城壁は粉々に破壊されている。閉ざされた箱庭は、風通しの良い街へと生まれ変わった。
「わっはっは!お前も飲め飲め!」
「酒持ってこーい!」
車道には屋台やテーブルが並び、住民達が片手にグラスを掲げて笑い合っている。十三年分の鬱屈が、一斉に解放されている光景だった。竜ヶ崎龍帝の支配下にあるままであれば、有り得ない光景だっただろう。
――〈神屋川エリア〉の中心、嘗て〈韮組〉の事務所が建っていたロータリー中央には、崩れた建物の代わりに高く組まれた櫓が聳えていた。その上で、黒髪の女が太鼓を叩いている。
「「――いいぞー!竜歌ー!!」」
「「騒げ騒げーー!!!」」
威勢の良い掛け声が飛び交う中、和太鼓の重低音が心地良く響く。さっきまで〈韮組〉の縄張りだったロータリーは、今や住民と元構成員達が肩を並べて騒ぐお祭り会場だ。
プレハブ住宅の壁に背を預け、俺は櫓の上で笑う竜ヶ崎を見上げた。あれほど険しかった横顔には、今はただ、心からの喜びだけが滲んでいる。
「あの、良かったらどうぞ」
声を掛けてきた女性が、グラスジョッキを差し出してくる。カラン、と氷が鳴り、琥珀色の液体が注がれている。ふんわりと立ち上がるクリーミーな泡は、まるで金色の雲のようだった。
「あー……どうも」
鼻先を近付けると、微かに甘い麦の香りとホップの爽やかな苦みが混ざり合い、喉の奥を擽るようだった。その誘惑に負けて、グラスを持ち上げた。
――ひと口。
舌先を擽る微細な炭酸が、一瞬にして口の中を駆け巡る。冷たさが舌を刺し、次の瞬間には心地良い苦みが広がった。喉を滑り落ちていく黄金の液体が、胃の奥へと流れ込む度に、全身がふっと解けていくようだ。
「くぅ……っ!」
思わず声が漏れる。心地良い酔いが、じんわりと身体の奥に染み込んでいく。ビールの苦みは、大人の贅沢。喉の奥に残る余韻すら、心を潤す。
――もうひと口。止まらない。
「美味しそうに飲むわね……」
隣でカクテルグラスを傾けていた日向が、呆れ半分で呟いた。
「陰の功労者だぜ?いいだろ、これくらいは」
「そうね。でもアンタにはお礼言わなきゃね……えっと」
日向は視線を逸らし、頬をほんのり赤く染めた。月明かりが、前髪に挿した太陽のバレッタをきらりと照らす。金髪ツインテールの桜色にグラデした毛先をくるくると弄びながら、彼女はぽつりと言った。
「……ありがと」
「……ああ」
「――べ、別にアンタのこと好きとかじゃないんだからねっ!?」
「はは、わかってるって」
――ツンデレかい。かわい~。
「おにいたま……!いた!」
そこへ、天音、フラン、拓生、ハズレちゃん、手毬が揃って顔を出す。フランはメロンジュースを片手に、そのまま俺の胸に飛び込んできた。他の連中はそれぞれグラスを片手に、わちゃわちゃと俺と日向の周りに集まってくる。
「おぉ……!先程までの街の暗い雰囲気が嘘みたいですなぁ……」
拓生が櫓太鼓を見上げ、感慨深げに呟いた。
「せつくん、警察への竜ヶ崎龍帝、鉄渕葛政の身元の引渡しは無事に完了しました」
「ハズレちゃんががんばりましたよっ!」
「あれ?鬼塚はどうした?」
「……さあ、どうしたんでしょう?」
天音が、初めてと言っていいほど言葉に詰まる。いつも即答してくるメイドが、ただ柔らかく笑っているだけだった。
「でもすごいのだ!〈韮組〉はこれで壊滅!本当に〈神威結社〉と陽奈乃には感謝しかないのだ!改めて、ありがとうなのだ!」
「アタシは何もしてないわよ……。ほとんど〈神威結社〉の功績よ、これは」
「しかし、〈十傑〉である日向女史であれば、竜ヶ崎龍帝など本来ワンパンで沈められる筈ですぞ。功績を譲ってくれたのですかな?」
――〈十傑〉・第七席――日向陽奈乃。十三年間壊されなかった、〈神屋川エリア〉を囲う城壁をグーパン一発でぶっ壊した女。華奢な見た目とは裏腹に、その身体能力は俺や竜ヶ崎龍帝を遥かに凌ぐ、規格外の怪物だ。
「まあ拓生、それはいいじゃねーか。事情があったんだろ」
「そ、そうですな。悪かったですな、日向女史」
「……それは別にいいわよ。……でもちょっと気が重いわ」
「気が重い……ってどうしたのだ?陽奈乃」
「〈十傑円卓会議〉……〈神屋川エリア〉の中でも聞いたことくらいはあるでしょ?〈十傑〉が集まる円卓会議……今回アタシが負けた件を報告しないといけないと思うと、ちょっとね」
日向の表情が曇る。それもその筈だった。
――〈十傑円卓会議〉。新世界を牛耳る世界上位十名――〈十傑〉が円卓に集い、不定期で行われる会議。そして、〈十傑〉は「敗北すれば除名。故に全員最強。」を謳い文句にする。日向が杞憂するのはその点だろう。
「ああ、『敗北すれば除名』って規則か。だが実際のところ、推測になるが日向は『戦って負けた』訳ではないだろ?」
「アンタ……お見通しなのね。そうだけど、そもそも歴史上〈十傑〉が負けるなんてなかったから……どうなるのかわかんないのよね。大丈夫だとは思うんだけど」
「テキトーに誤魔化せないのですかな?」
「無理よ。〈十傑〉に下手な嘘なんて通用しないわ。元々正直に告白するつもりだったしね」
「うーん、最悪除名ですかねっ!」
「ハズレちゃん……アンタね……」
日向がジト目で睨むが、ハズレちゃんはケロッとしている。
ふと気付けば、太鼓の音が止んでいた。視線を向けると、櫓の天辺に立つ黒髪の女――竜ヶ崎に、観衆の注目が集まっている。竜ヶ崎は、右手にマイクを持っていた。
『――あー、あー、みんなちょっといいかァ?』
「竜歌?なんだ?」
「どうしたんだ?」
騒つく人々。俺達も自然と視線を向ける。軽装の黒い鎧に身を包んだ竜ヶ崎の双角が、満月の光を浴びて黄色く輝いていた。
『悪ィ。色々考えたんだけどよ、アタイにはやっぱ無理だァ……』
「何の話だ?」
顔を見合わせる観衆達。
俺の隣で、天音が小さく首を傾げる。
「竜ヶ崎さん、どうされたのでしょう?」
「まさか……」
胸の奥で嫌な予感が膨らみ始める。
『みんな聞いてくれ。アタイは――』
竜ヶ崎は大きく息を吸い込み、迷いを断ち切るように叫んだ。
『兄貴――竜ヶ崎龍帝を倒してねェんだ』
「えっ……どういうこと?」
「竜歌がやったんじゃないのか?」
「じゃあやっぱり日向様が?」
観衆へ動揺が走る。俺は、思わず頭を抱えて櫓の上の女を睨み上げていた。月を背にしたその横顔は、悔しそうでも誇らしげでもなく――ただ真っ直ぐだった。
「あんの馬鹿女……」
「へへ、あの子だけは、アンタの思惑通りには動かなかったみたいね?」
日向が八重歯を覗かせて、面白そうに俺の顔を覗き込む。
「日向……なんでちょっと嬉しそうなんだ」
「えー?べっつにー?」
「竜歌らしいのだ。ボクの親友は……誰よりも真っ直ぐなのだ」
手毬が、誇らしげにその姿を見上げていた。満月の光が、彼女の横顔と、櫓の上の英雄を、美しく縁取っていた。
評価(すぐ下の★★★★★)やブックマーク、感想等で
応援していただけると執筆の励みになります。
よろしくお願いいたします。




