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1-48 バッドスメルが踊る雨

 小生自身の声が、死に掛けていた戦意に最後の火花を灯した。


 それは、誰かを鼓舞するための台詞ではない。逃げ掛けていた自分自身の襟首を掴み、無理矢理、戦場へ引き戻すための言葉だった。


 その声を受けて、糸目のチャイナドレス――李が、ゆっくりと振り返る。


「まだ……やるアルカ?」


 冷ややかな問い。だが小生は、血の混じった唾を吐き捨て、壁を支えにしながら立ち上がった。痛みは全身を焼くようだ。それでも――脚の震えは、不思議と止まっていた。


「これじゃあ仲間に顔向け出来ませんからな!」


「結構しぶといアルネ。ならば――」


 李の片脚がふわりと持ち上がる。両手が鳥の羽のように開き、再び功夫(クンフー)の構えを執った。


 ――上位級ユニークスキル・〈香薫(フレグランス)〉。百キロメートル先の線香の香りすら探り当てる程の、鋭敏(えいびん)で特異な嗅覚を得るユニークスキル。ならば、勝つ方法は……。


「――死ねアル」


 空気を裂き、眼前に李が迫る。振り抜かれた拳が視界一杯に膨らんだ瞬間、小生は虚空から「ある兵器」を引き抜いた。


「はあぁぁっ!!」


 その手に握られたのは――黒いボディの、充電式コードレス高圧洗浄機。


 小生は迷うことなく、そのノズルを李の整った顔面へ向け、トリガーを引いた。中に詰め込んでおいた黄土色の液体が、凄まじい勢いで噴射された。


 ――直後、李の顔が、狂ったように苦痛に(ゆが)む。


「――くせぇアル!くせぇアルぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!」


 李は鼻を(つま)み、その場に(うずくま)った。


 室内を満たしたのは、鼻を突くような、途轍(とてつ)もない悪臭。高圧洗浄機から噴射された液体は――ただの液体ではなかった。


 思わず小生の目も潤む。


「おえっ……何を……したアルカ……?」


 嗚咽(おえつ)混じりの問い。小生は、それに応じることなく続け様に、トリガーを引き続けた。李のチャイナドレスは瞬く間に悪臭の染みを広げていく。


「――くっさ……!くせぇアル!鼻が曲がるアル!」


「――『シュールストレミング』はご存知ですかな?」


「おえっ……!しゅーる……すとれみんぐ……アルカ?」


「世界一臭い食べ物と言われる、塩水漬けのニシンの缶詰ですぞ!」


「豚サン……!まさか……!」


「ご名答!この高圧洗浄機にぶち込んだ液体は、シュールストレミングの汁ですぞ!名付けて、必殺!『シュールストレミングジェット噴射』ですな!」


 誇らしげな名乗りと共に、高圧洗浄機を虚空へ戻す。代わりに取り出したのは――トランポリン。


「――ああっ!くせぇアル!」


「至って普通の嗅覚の小生ですら気を失うほど臭いですからな……。鼻が利く李女史には効果抜群ですな……!」


「――やめるアル!ワタシが悪かったアル!負けたら殺されるアル!」


 両手で鼻を塞ぎ、床の上で身を(よじ)る李。〈香薫(フレグランス)〉のユニークスキルを持つ李には効果は覿面(てきめん)だ。彼女にとっては、この悪臭は地獄そのものだろう。


「油断してユニークスキルをバラしたことが、貴殿の敗因でしたな……!」


 床に置いたトランポリンへ飛び乗り、弾む。びよん、と身体が跳ね上がる。天井に届かんばかりの跳躍。その一瞬、視界の中へ部屋の全景が収まった。


 散乱する全自動麻雀卓。床へ投げ出されたスパイクシールド。転がるマジックハンド。淀んだ色の液体で濡れた床。その上で(うずくま)る赤いチャイナドレスの糸目の女。――その光景が、ここまでの戦闘の経過を、そして小生の大逆転を、雄弁に物語っていた。


「勝負ありましたな!」


 急降下――。臀部(でんぶ)――尻餅を()くような体勢で、李の頭上に急速に落下する。


「――死ぬのは嫌アル!死ぬのは嫌アル!」


 糸目の女―――小生を見上げるその顔は、敗北を悟っていた。ただただ、意味のない命乞いだけが、悪臭と共に室内に虚しく響き渡る。


 直後――。


 ドスーン――。


 地鳴りのような衝撃。小生の重量が李の頭部を直撃し、床に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。


「…………ッ……!」


 李は白目を剥き、その場で完全に気絶していた。


「フフン!小生のケツは鉄のように硬いですぞ!」


 反動でそのまま床に座り込み、悪臭に顔を(しか)めながらも、安堵の溜息を()く。そして、遅れて込み上げてくる実感を噛み締めるように、片手でガッツポーズを作った。


「――やりましたぞ!小生が……〈韮組(にらぐみ)〉の幹部を討ち取りましたぞ!」


 こうして、〈神威結社〉・汚宅部(おたくぶ)拓生(たくお)と〈韮組(にらぐみ)〉・舎弟頭――(リー)蓬莱(ホーライ)の戦いは、汚宅部(おたくぶ)拓生(たくお)の逆転勝利にて幕を閉じた。


 床に散らばったスパイクシールド、マジックハンド、トランポリンを淡々と片付ける――と言っても亜空間に戻すだけなのだが。それでも、満身創痍(まんしんそうい)の身体に(むち)を打つだけで精一杯だった。


「この身体では……師匠の援護に行っても足手(まと)いですな……」


 上階――二階から伝わる振動は、(なお)激しさを増している。師匠と〈韮組(にらぐみ)〉・組長――竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)の戦闘が激化していることは明らかだった。


「この調子だと……建物が倒壊するかもしれませんな……」


 ふと、気絶した李へ目を向ける。びしょ濡れのその身体を背負い上げ、蹌踉(よろ)めきながら扉へ向かった。


 外へ出て、プレハブ住宅の外壁を背に座り込む。冷たい雨が血と汗と――最悪の悪臭を少しずつ洗い流していった。


「……師匠や雨ノ宮女史、ハズレ女史は大丈夫ですかな」


 空を覆う暗雲は、一層濃く黒さを増していた。何処(どこ)か不吉な予感を胸に抱えながら、小生はただ、仲間の無事を祈るしかなかった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――〈神屋川エリア〉の外周、城壁へと続く雨の車道。空の黒さと雨の激しさが、まるで街全体を喪服で包むようだった。


「――何処(どこ)まで逃げるおつもりなんですかねェ!?」


 バイクのエンジン音にも似た駆動音が背後から迫る。〈韮組(にらぐみ)〉・本部長、鬼塚厳藤(げんとう)――下半身の機械車輪が狂気じみた速度で回転していた。路面の水飛沫が弾丸のように飛び散り、雨の帳を裂いていく。


 だが、逃げる女の足取りには焦りがない。ただ静かに、雨の線を縫うように、軽く身体を傾けながら走る。濡れて重くなった(はず)のスカートすら、その動きを鈍らせることはなかった。


「全く……執拗(しつこ)いですね」


「逃がしませんよォ!?」


 鬼塚の車輪が、雷鳴のような音を伴って加速する。だが、彼女は城壁の寸前――人影のない外周部に辿り着いたところで、ふと足を止めた。


 (にじ)む雨霧の中、彼女はゆっくり振り返った。


「……ここまで来れば、人の目もありませんね」


「諦めましたかァ!?賢明というものですねェ!?」

 

 鬼塚の嘲笑が雨に紛れる。その最中、彼女の瞳が、すっと細められた。振り返ったその瞳は、静謐(せいひつ)で、凪いでいて、ただ「終わり」だけを見据えていた。


 雨脚が更に強まる。雷鳴。


「――さようなら」


「――ッ!?」


 白光。鬼塚の視界が、一瞬だけ真昼のように白く染まった。


 次にその光が消えた時、彼の首から上は、跡形もなく消えていた。雨はただ無言で、血も肉片もない車道を叩き続けていた。


 彼女はそっと目を閉じ、一つだけ祈りを捧げた。


「戻らなきゃ……せつくんの下へ」


 (きびす)を返し、再び雨の闇へと走り出す。その背中を、冷たい雨が押していた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――再び、雪渚サイド。


 〈韮組(にらぐみ)〉・事務所、二階。大雨が天井の穴から流れ込み、部屋の血と破片を洗い流している。


 雪村(ゆきむら)雪渚(せつな)竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)。両者は既に人外の領域に踏み込んだ殴り合いを続けていた。


 拳がぶつかる度に、骨が(きし)む音が室内に響く。敵も自分も、限界の遥か手前で踏み(とど)まり続けている。


 〈韮組(にらぐみ)〉・組長――竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)。十三年間、暴力と恐怖で〈神屋川エリア〉を支配し続けてきた男。男の左腕と背中を縫うように彫られた龍の刺青が不気味な光沢を放っていた。


「お前……竜歌(りゅうか)を救う気なんか?」


「そんな大層なモンじゃねーよ。単にあんたが気に食わないだけだ」


「抜かすなや……!嫌よ嫌よで世が渡れるかい……ッ!」


 拳の衝突が、壁を揺らす程の衝撃を生む。雨に濡れた床へ、二人分の血が混ざり合って(にじ)んでいく。


「支配される痛みは良く知っているからな……!反吐が出るんだよあんたは……!」


 俺の拳が竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)の腹へ沈む。体躯が揺れ、背中から壁に叩き付けられた――その瞬間、階下から鼻を刺す悪臭が這い上がってきた。


「……なんかくせーな。ああ、お前の小物臭(こものしゅう)か」


 何かが腐ったような、鼻が曲がる強烈な臭い。それは、床板の隙間から微かに立ち上ってくる。


 ――この臭い……シュールストレミングか?拓生の奴、何しやがったんだ……?


「――三下が……ッ!オレは英雄級ユニークスキルやで!お前に勝ち目はあらへんで……ッ!」


 怒号と同時に蹴りが迫る。俺は上体を反らし、壁へと蹴りの軌道を逸らす。壁を貫いた衝撃で、事務所の構造が悲鳴を上げた。


「……手こずってんじゃねーか」


 ――クッソ。コイツ……全身骨折している(はず)だろ……。なんてタフネスだ……。


「英雄級ユニークスキル・〈帝威(カエサル)〉――このユニークスキルによって、オレの拳はお前より『一だけ』重いんや!オレの頭脳はお前より『一だけ』賢いんや!オレのスピードはお前より『一だけ』速いんや!それが!お前が絶対オレに勝てへん理由や!」


 ――英雄級ユニークスキル・〈帝威(カエサル)〉――「全てにおいて相手のステータスを『一だけ』上回るユニークスキル」……。(すなわ)ち、事実上、相手の完全上位互換になるユニークスキルという訳か。


 ――竜ヶ崎が「誰も兄貴には絶対に勝てない」と言っていたのはこれが理由か。


 雨が、天井の穴から滝のように流れ込む。冷たい水を浴びながら、俺は吐き捨てた。


「小物にピッタリのユニークスキルだな」


戯言(ざれごと)を……ッ!」


 殺意を乗せた竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)の蹴りが飛ぶ。


 紙一重で(かわ)し、蹴りが背後の柱を粉砕した瞬間――建物全体が悲鳴のような(きし)みを上げ、天井が大きく崩落した。二階は一気に雨晒あまざらしとなり、豪雨が床へと叩き付けられる。


 崩れ落ちた外壁の向こう――雨のロータリーに、見慣れた顔触れが見えた。天音、拓生、ハズレちゃん、フラン、日向(ひなた)、そして手毬に支えられる竜ヶ崎の姿。皆、満身創痍のままこちらを見上げていた。


「――せつくん!」


「――師匠!こっちは全員無事ですぞ!」


「雪渚センパイっ!センパイの大好きなハズレちゃんは元気ですっ!」


「おにいたま!」


 ――みんなは勝ったか。


 それだけで、俺の胸中に熱が灯る。


 座り込む拓生の傍らには赤いチャイナドレスに身を包む女――〈韮組(にらぐみ)〉・舎弟頭の李が立っており、俺達の戦闘を静かに見守っていた。何かに期待するような、そんな目で。


「――雪渚ァ……」


「――雪渚!頼むのだ!」


「「――やっちまってくれ!!雪村さん!!」」


「「――組長を倒してくれ!!!」」


 雨に濡れたロータリーへ、雄叫びが響き渡った。声の主は、倒れていた〈韮組(にらぐみ)〉の構成員達。本来は敵である(はず)の彼等が、俺を鼓舞するように叫んでいる。


 恐怖と支配に縛られ続けた十三年間。その(くさび)を断ち切る者だと信じて。


「裏切り者共がッ!弱者の分際で……ッ!」


 相対する竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)(あからさま)に怒りを露わにする。振り抜かれた拳を右腕のガードで受け止め、俺もまた渾身の一撃を返した。


「……ぐは……ッ!」


 ――竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)の物言いからもわかる。この男は、〈神屋川エリア〉に住む住民達を十三年間もの間、恐怖で支配していた。


 竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)が拳を突き出す。俺の頬が弾け飛ぶように揺れる。


 ――だが、それだけではない。部下達すらも、同様に恐怖で支配していた。誰も竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)に勝てない。その絶望の中で、従う以外の選択肢を奪われていたのだ。


 更なる一撃が、頭蓋を激しく揺さぶる。視界が揺れ、世界が(きし)む。


「オレはこのユニークスキルと暴力で全てを支配してきたんや!妹も!親も!住民も!部下もや!オレの思い通りにならない人間に生きる価値などあらへんわッ!!」


 雨が一層激しさを増す。竜ヶ崎の赤い瞳が、(かつ)てない程に揺れている。その十三年の地獄が、今、兄の口から吐き出されている。


 〈神屋川エリア〉の人々を救うため、兄に挑み続けた彼女の十三年間が、想像を絶する地獄であったことは、想像に(かた)くない。


「全部あんたの所有物じゃねーよ。(クズ)が……クソ親を思い出す」


「所有物や!お前すらもなッ!」


「見りゃわかんだろ。誰もあんたの所有物のつもりはないってさ」


「抜かすなや……!」


「竜ヶ崎……!待ってろよ……!」


 稲妻のような拳が交差する。雨水と血が跳ね、瓦礫が砕ける。


 ――雪村雪渚と竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)の激戦は熾烈を極める。それは、最終局面を迎えていた。

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