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1-43 雨が拭う涙

「雨が激しくなってきましたなぁ……」


 ――〈神屋川エリア〉外周のプレハブ街。手毬が独り暮らすその白い直方体の箱――生活の匂いを剥ぎ取られた無機質な住処の一室で、俺達は息を潜めていた。


 窓の外は一面の灰色だった。空も地面も街も、全部が同じ鈍い色に塗り潰されている。世界を支配しているのは、容赦なく降り叩く雨音だけだった。


「せつくん、どうされますか?」


「……そうだな。拓生、メガホンとレインコート持ってたろ。貸してくれないか」


「メガホンとレインコート……ですかな?構いませんが……」


 拓生は首を傾げながら、自身の〈霧箱(ウィルソン)〉――亜空間から、黄色い電池式メガホンと紺色のレインコートを取り出した。その手付きは軽いが、表情には疑念の影が揺れていた。


「わっ、なんなのだ!?拓生のユニークスキルなのだ!?」


「ふっふっふ……そうですぞ」


「サンキュー、拓生」


 黒縁丸眼鏡をクイッと押し上げ、得意げに笑う拓生。その道化めいた空気を振り払うように、俺はレインコートを羽織り、フードを目深に被った。


「何するんですかっ?雪渚センパイっ?」


「まあ、見てな」


 外へと踏み出した瞬間、湿った外気が肌に(まと)わり付く。雨粒の密度が、視界そのものを荒く塗り潰す。車道の白線を、雨が絶え間なく叩き続けていた。


 俺はプレハブ外壁の配管を足掛かりにして、一息に跳躍し、プレハブの屋根へ。薄い鉄板屋根は雨で滑り、足裏から冷たさが突き上げてくる。


「――雪渚!?何してるのだ!?」


「雪渚センパイっ!?」


「師匠……何か考えがあるのですかな?」


 雨。雨。雨。あらゆる輪郭を溶かし、音と冷気だけが世界を満たすその白い奔流の中で、俺は身体を伏せ、メガホンの音量を最大にして――喉を震わせた。


『――おいみんな!竜歌(りゅうか)が!竜歌(りゅうか)が殺された……っ!』


 雷鳴のような拡声が街を裂いた。雨音しか存在しなかった街に、人間の声が流れ込む。


 住民達が、傘すら忘れて飛び出してきた。木刀、刺股(さすまた)(ほうき)──握るものはバラバラだが、表情だけは揃っていた。怒りと、悲しみと、何より――十三年分の悔恨。


「――畜生(ちくしょう)!だから……だから早く俺達を切り捨てれば良かったんだ!」


「クッソ……竜歌(りゅうか)ちゃんが何をしたって言うんだよ……っ!」


竜歌(りゅうか)……!なんで……っ!」


 雨で濡れた頬か涙か。その境界すら曖昧な程、誰も彼も、顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。


「こうなったらやるしかねえ!お前ら!」


「そうだ!俺達も戦うぞ!竜歌(りゅうか)ちゃんの想いを無駄にするな!」


「〈十傑〉の日向(ひなた)様が事務所に突入したんだろ!?」


「俺達も日向(ひなた)様に続くぞ!援護するんだ!」


 俺は伏せた姿勢から、雨を(くぐ)って叫ぶ。


『――〈韮組(にらぐみ)〉の幹部が城壁の外に逃げたのを見たぞ!俺達じゃ日向(ひなた)様の足手(まと)いだ!俺達は幹部を……っ!』


「――外か!」


日向(ひなた)様が空けた穴から出られるぞ!」


「街の西側のヤツらにも伝えろ!」


「総員!幹部を囲んで潰せ!」


「女子供と老人は家の中に!行くぞお前ら!」


竜歌(りゅうか)(かたき)だ!ぶっ殺してやる!」


 怒涛のような住民達が、城壁へ向かって走り出す。その数は瞬く間に増え、怒りの奔流が街を飲み込んでいく。


 濡れた舗装路を踏み鳴らす足音が震えを伝え、日向(ひなた)穿(うが)った巨大な穴へ向かって、人の群れが次々と()じ登る。数千、数万という規模の民が、城壁の外へと溢れ出ていった。


 その光景を見届けてから、俺は静かに屋根を降り、手毬の部屋へ戻る。


「せつくん……今の行動はびっくりしましたが……やはりそうでしたか」


「ど、どういうことですかな!?」


「私もわかりませんよっ!なにぶん、ハズレちゃんはちょっとアホなのでっ☆」


 俺はレインコートを脱ぎ、雨を払う。床に腰を下ろし、ゆっくりと口を開いた。


「住民達は竜ヶ崎を迫害していた訳じゃねえ。あれは『演技』だ」


「『演技』……ですかっ?」


「竜ヶ崎は十三年間も地獄のような環境の中、兄貴と戦い続けた。住民達はその様子を見ていられなかったんだろうな。だから()えて竜ヶ崎に嫌われるような行動を取った。竜ヶ崎がいつでも住民達を切り捨てて、自由を手に出来るように、と」


 拓生が目を見開く。


「そ、そうだったのですな……。だとすれば合点(がてん)がいきますぞ……!」


「そうだろ?手毬」


「……雪渚の言う通りなのだ。竜ヶ崎はきっとこのことを知らないのだ」


「手毬さん……」


 天音が胸に手を当て、静かに息を呑む。


「せつくん……どうされますか?」


「あとは……竜ヶ崎次第だな」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――一方、〈神屋川エリア〉の中心地。〈韮組(にらぐみ)〉事務所、壁や床に血が飛び散る二階にて。


『――〈韮組(にらぐみ)〉の幹部が城壁の外に逃げたのを見たぞ!俺達じゃ日向(ひなた)様の足手(まと)いだ!俺達は幹部を……っ!』


 雪渚の拡声された声が、(かす)かに聴こえてくる。〈韮組(にらぐみ)〉・組長――竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)はその断片を聞き、鼻で笑った。


「ハッ、羽虫が法螺(ホラ)吹いとるわ……」


 扉が開かれ、金髪ツインテール――桜色のグラデが差すギャル風の女が姿を見せた。〈十傑〉・第七席――日向(ひなた)陽奈乃(ひなの)である。


「ほう?珍しい客人やな?お前が死条(しじょう)()った〈十傑〉やな」


「……来てやったわよ。アンタが組長ね?」


 日向(ひなた)の問いを、竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)(ろく)に取り合わない。じろじろと舐め回すように視線を這わせ、品定めをするように呟いた。


「……上玉やな。乳の張りもええ。俺を誘っとるんか?ん?」


「吐き気がするわ。……さっき傷だらけの子がふらふら出ていったけど、アンタがやったのね?」


「ああ……オレの可愛い妹ちゃんや。……気が変わったわ。オレの女になるなら見逃したってもええで」


「馬鹿言わないでよ。誰がアンタなんかの」


 竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)は壁に飾られた日本刀を取り、一気に(さや)を引き抜く。血痕を吸い込んだ鋼が、雨の反射光を鈍く返す。


「――模擬刀やと思ったか?」


「ひっ……!ち、近付けないで……っ!」


「そうか、刃物が怖いんか。『刃物恐怖症』とでも言うべきやな。あの事件を思い出すんやろ?ん?」


「な……なんでそれをアンタが知ってるの……」


 日向(ひなた)の顔色が、一瞬で蒼白になる。腰が抜け、足が震えた。それまでそこにあった(はず)の強気が、薄氷みたいに砕け散っていく。


 竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)は口の端を吊り上げる。


「オレが〈不如帰会(ほととぎすかい)〉の幹部――会員番号一桁(ダーキニー)でもあるからや。そう思ったからこそ攻め込んできたんじゃないんか?ん?」


「い、いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 日向(ひなた)の悲鳴が、外の雷鳴すら裂いた。


「昔のトラウマから未だ脱却出来てへんのやな?〈十傑〉……恐るるに足らずや」


 (うずくま)る彼女の腹を、竜ヶ崎(りゅうがさき)龍帝(かいざ)は容赦なく蹴り飛ばす。軽い身体が壁に叩き付けられ、鈍い音を立てて床に崩れ落ちた。


「……ううっ」


「害虫駆除が終わればゆっくりと犯したるわ。楽しみにしとけや」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――再び、雪渚サイド。


 雪渚一行が手毬宅を一歩出ると、未だに雨はザーザーと、五月蝿(うるさ)い程に降り(しき)っていた。


「フランは手毬と家にいろよ。俺達で竜ヶ崎を(さが)してくる」


「あい!おにいたま、きをつけて」


 フランの頭を撫でると、フランは安心したように目を細める。


「手毬、フランを頼むな」


「任せるのだ!どうか、どうか竜歌(りゅうか)をよろしく頼むのだ!」


 深々と頭を下げる手毬を背に、外へ出た――その瞬間。視界の先、雨の帳の向こうに、人影が揺れていた。


 車の走らない濡れた車道を、ふらふらと、ふらふらと。今にも消えそうな灯を抱えた足取りで、こちらへ歩いてくる影。


 雨の向こうに、俺はそれをはっきりと捉えた。長い黒髪。黄色い二本の角。黒い軽装の鎧――竜ヶ崎だ。


 全身傷だらけで、その動きには生気がない。横断歩道まで辿り着いたところで、支えを失ったように前倒(まえのめ)りに倒れ込んだ。


「――竜ヶ崎さん!?」


「竜ヶ崎女史!」


「竜歌さんっ!」


 駆け寄る仲間達。天音が祈るようにユニークスキルを発動させるが、その傷は余りに深い。


「――ダメです!傷が深くて……とてもすぐには……っ!」


「竜歌さんっ!しっかりしてくださいっ!」


 ひゅー、ひゅー、と細く苦しげな呼吸。痛々しい。今にも途切れそうな息を、雨が追い打ちを掛けるように叩いていく。


 俺は膝を突き、竜ヶ崎の顔を覗き込んだ。


「おい、竜ヶ崎」


「お……前……かァ……。帰れって……言った……だろォが……ァ……」


「お前の話は聞いた。事情も知らずに二度もボコボコにしちまって悪かったな」


「な……ンだよ……そんなことを……言うために……!わかってんだよォ!アタイが……アタイが弱ェってことくれェよォ……!」


 声は怒りに震えているのに、目は泣いていた。自分の弱さへの怒りか、住民を救えない悔しさか――その境界は曖昧で、雨と混ざって揺れていた。


 〈神威結社〉の仲間達は、ただ静かに、その姿を見守っていた。


「どうしてお前は戦うんだ?住民達に嫌われてまでも」


「ここは……アタイが生まれ育った場所だァ……。アイツらが……アタイのためにアタイを嫌うフリをしてんのは知ってんだよォ……!そんなこと知ったらよォ、なおさら見捨てられねェだろォがァ……。戦えるのは……アタイしかいねェんだからよォ……!」


「でも負けてんじゃねーか」


「…………ッ!」


「竜ヶ崎。俺はさ、お前みたいに戦う力はなかった。お前を立派だと思うよ」


「ンなこと……言ったってよォ……」


「それに、助けを求めるのは……ダサいことじゃねーよ」


「……さっきも言っただろォが……ァ……!誰も……誰も……兄貴には勝てねェんだよ……ッ!」


「何度も陳腐な台詞を言わせるな。やってみなきゃわかんねーっつってんだろ?」


「…………ッ!」


 その一言で、竜ヶ崎の身体がびくりと震えた。そして――雨の中、ゆっくりと土下座へ崩れ落ちた。


「――こんなことアタイが言って許されるはずもねェ!重々承知の上だァ!」


 額から流れる血が、雨で薄められ舗装路に広がる。膝も(てのひら)も震えながら、それでも彼女は頭を地に擦り付けた。


「――お前にしかもう頼れねェ!」


「『お前』じゃねえ、雪村雪渚だ」


 竜ヶ崎がやっとの想いで絞り出した言葉。


「……アタイを……街を……助けてくれェ」


「竜ヶ崎――お前を地獄から救ってやる」


 その瞬間、竜ヶ崎の赤い目から(せき)を切ったように涙が(あふ)れ出た。土下座の姿勢のまま、感涙に(むせ)ぶ。女の頬を伝う涙を、雨が優しく(ぬぐ)ってゆく。


「――やるぞ、〈神威結社〉」


「「「了解!!」」」


 天音と拓生、ハズレちゃんの声が重なる。待ってました、と言わんばかりの即答だった。雨音が、その覚悟を祝福するかのように街を叩いた。

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