1-15 十傑が来たりて
「あら?影丸、なんですの?この空気は」
「槐お嬢様。突然の〈十傑〉のお二方のご登場ですから、驚かれているのかと」
「そう!それなら問題ないですわね!」
三人の男女――特に和装の少女と黒衣の少女は、ただそこに立っているだけで空気を張り詰めさせた。年齢だけ見れば、どう見ても俺より年下。だが、その存在感は「頂」そのものだった。
杠葉槐と名乗った少女が、白い和傘をくるりと傾けながら言う。
「銃霆音様のライブを拝見した帰りに偶然通り掛かりましたの。何か困っているようですわね?」
――〈十傑〉。「敗北すれば除名。故に全員最強。」を謳い文句にする世界の頂点。第一席から第十席まで十の席次があり、それぞれが世界最高位のユニークスキルである、神の名を冠する神話級ユニークスキルを持つ。
頭では知っていた。だが、実際に目の前に並ばれると、喉が酷く乾いた。〈十傑〉の第十席に座する者――即ち、この新世界で十番目に強い者が目の前にいるという現実に、圧倒されていた。
「あ、ああ……この孤児院から解放した子供達をどうしようかと……」
漸く絞り出した声に、杠葉槐が小首を傾げる。
「解放……ですの?」
その直ぐ隣で、執事の青年――黒崎影丸が静かに一歩前へ出た。
「槐お嬢様、樒お嬢様、僭越ながら、先程拘束されている奴隷商の男を見掛けました。聞き出したところ、この教会のマザー・エニスが孤児院を騙り、孤児を奴隷として売り捌いていたようです」
「残酷なことをしますわね……」
「……ひ、酷いね」
黒いレースのドレスを纏った方の少女――杠葉樒が、小さく震える声で呟く。水色を基調に桃色が混じるツートンの髪。抱えたクマの縫いぐるみが、彼女の腕の中で一緒に震えていた。
「そうですわね……。私達の屋敷で引き取っても良いのですけれど、それが子供達の望む形かはわかりませんわね」
「……そ、そうだね」
「あなた、名前は何と仰るの?」
「……雪村雪渚だ」
杠葉槐の琥珀色の瞳が、真っ直ぐに俺を射抜く。その奥には、軽薄さと同居する、獣のような鋭さがあった。ああ、この人は本当に強いのだと、理屈ではなく肌でわかった。
「では雪村様、一つ、提案がありますの」
「提案……?」
「〈十傑〉に噴下麓様という方がいらっしゃいますわ」
「……う、うん、麓さんなら安心……」
天音が僅かに目を見開く。黒崎影丸が、事務的な口調で補足を入れた。
「僭越ながら補足させていただきます。噴下麓様。〈十傑〉・第六席に座する方で、世界最強の横綱、角界最強の力士とされるお方です。慈善事業として、お寺で孤児を預かられています」
――〈十傑〉・第六席――噴下麓。ユニークスキルの使用を禁じられた相撲――二百四十二回の取組での勝率は完全無欠の百パーセントを誇るという。勝率九十六・二%を誇る江戸時代最強の力士・雷電為右衛門すら彷彿とさせる。
「影丸、噴下様は今、どちらにいらっしゃいますの?」
「取組で〈温泉郷エリア〉に滞在されていると伺っております」
――〈十傑〉か。確かに〈十傑〉程の影響力を持つ人物なら安心か。
杠葉槐がこくりと頷く。
「それなら話は早いですわね。雪渚様、そういう訳で一度ワタクシに子供達を預けていただけるかしら?」
「……麓さんは〈十傑〉一優しいから……だ、大丈夫だよ……」
杠葉樒が小さく微笑む。天音も力強く頷いた。
「――せつくん、〈十傑〉様でしたら問題はないかと」
「……わかった。子供達を頼む」
「承りましたわ」
杠葉槐はカーテシーの要領で淑やかに頭を下げる。その仕草は何処か芝居掛かっている癖に、妙に板に付いていた。
続けて、杠葉槐は懐から紙袋を取り出す。中には湯気を立てるコロッケ。
「ところで影丸、見てくださる?ワタクシ、樒と露店でコロッケを買ったのですわ。影丸の分もあるんですのよ?」
「……か、影丸もその、ど、どうぞ、食べて……?」
「槐お嬢様、樒お嬢様、お心遣い、痛み入ります」
杠葉槐は勢い良くコロッケに齧り付き、目を輝かせた。
「んっ……!うめぇですわ!影丸、これうめぇですわよ!」
「……え、槐お姉様……下品だよ……」
「ふふ、槐お嬢様、お口元が汚れておられますよ」
――なんだコイツら……。
目の前で繰り広げられる「世界最強一行」の遣り取りに、思わず現実感が揺らぐ。だが、その異様に和気藹々とした光景が、張り詰めていた場の空気を少しだけ緩めてくれたのも事実だ。
俺は、その場に踞み込み、フランと目線を合わせて告げる。フランはジト目のまま、親指を口に咥え、ぼうっとこちらを見つめていた。
「フラン、後は〈十傑〉の人達の言うことを聞いて、いい子で暮らすんだぞ」
「おにいたま、おねえたま……行っちゃうの?」
「ああ、行かなきゃいけない」
俺がそう告げると、フランは顔をくしゃくしゃにして、わんわんと泣き出してしまった。
「やだぁ、おにいたまたちとはなれたくないぃ……!」
天音が優しく抱き締める。小さな手が、彼女のメイド服の背中を必死に掴んでいた。
「おにいたまたちといっしょがいいぃ……!」
その様子を見守っていた杠葉槐は、コロッケを食べる手を止める。そして、口角をにやりと持ち上げた。
「あらあら、雪村様、いけませんわね。そんな小さな子を泣かせては」
「……む、無理矢理離れ離れにするのは……か、可哀想だよ……」
「……つってもな、この危険な新世界で子供を連れて行く訳にはいかないだろ」
「家でお強い方と留守番をさせていればいいのですわ。連れていかなければ危険もありませんもの」
「その家がないんだよ……。今は宿屋暮らしだからな」
杠葉槐の目が、面白そうに細められる。
「……そう。じゃあ、雪村様、SSNSのIDを教えてくださる?」
「……え?なんで」
「明日、連絡しますわ。今日は宿屋でお休みなさい?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「おにいたま、おんぶ」
「仕方ないな。ほら」
――〈王手街エリア〉の宿屋への帰り道。おんぶを要求するフランを背に乗せ、天音と並んで石畳を歩く。小さな腕が首に回され、背中に伝わる体温が温かい。
俺の手には一枚の紙――マザーロマリオ教会から頂いてきたフランの戸籍だ。そこには空白の苗字と共に「不卵」と記されている。
「せつくん、槐様は何をお考えなのでしょう?」
「さあな……。世界最強様の考えることはわからん」
「おにいたま、おなかすいた」
「わかったわかった、宿屋でご飯食べような」
「あい!たべる!」
「ふふ、フランちゃん、可愛いですね。親子を見てるみたいです」
「はは。……まあ、フランが俺達と一緒にいたいなら、突っぱねるのも、確かに酷な話だよな」
天音は微笑み、ふと夜空を見上げた。王都の明かりの向こうに、星が微かに滲む。
「とはいえ、フランちゃんもいるなら、いつまでも宿屋暮らしという訳には参りませんね」
「ああ、拠点となる家が欲しいな」
「それに、仲間も集めなければいけませんね」
「課題は山積みだな……」
クランを設立した。だが、まだ本当に旗を立てたに過ぎない。家も、人も、役割も、これから揃えていかなければならない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――宿屋のロビーにて。大きなテーブルの上には、肉料理とスープ、焼き立てのパンが並び、湯気が立ち上っている。フランが慣れない手付きで唐揚げを口に運び、頬を膨らませた。汚れた口元を、シルクの布巾でそっと拭ってやる。
「フラン、美味しいか?」
「おいち。おにいたま、おねえたま、ありがと、です」
フランが両頬に手を添えて満足そうに笑顔を見せてくれる。その姿はまるで天使のようだ。
「フラン、俺達には無理に敬語で話さなくていいからな」
「あい!」
「フランちゃんは本当にいい子ですね……。胸がキュンキュンします」
「おにいたまも、たべて。おいち」
フランがフォークで唐揚げを不器用に突き刺し、俺の皿の上にぽとりと落とす。天音がにこにこしながらその様子を見守っていた。
「おう、フラン、ありがとう」
「あい!」
「フランちゃん、後で私と一緒にお風呂に入りましょうか」
「あい!おねえたまとおふろ!」
宿屋の一室。風呂。食事。寝床。ほんの一晩だけのことなのに、妙に生活の輪郭がくっきりしていた。
その夜、フランは天音と風呂へ入り、そして最後には、俺の腕を抱き枕代わりにして眠りに就いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――翌朝。宿屋の一室にて目を覚ますと、俺にしがみつくフランが、親指を咥えたまますやすやと眠っていた。寝癖で跳ねた銀髪が、どうにも憎めない。
天音は一足早く起きていたらしく、テーブルの上で二杯の紅茶を用意している。朝の光がカーテンの隙間から差し込み、メイド服のフリルを柔らかく縁取っていた。
「おはようございます、せつくん」
「おはよ、天音」
「紅茶です、どうぞ」
「ああ、ありがとう。いただくよ」
紅茶を一口含みながら、枕元に置いてあったスマホを手に取る。そこには一件の通知が。SSNSにDMが届いていた。差出人は――杠葉槐。
「お、槐からだ」
杠葉槐とのDM――その画面を開くと、地図の位置情報と共に「正午に三人でここに来てくださる?」とメッセージが送られていた。地図が指し示すのは、この〈王手街エリア〉からエクスプレスに乗って数分の〈真宿エリア〉。
「槐さんは何と?」
「よくわからんな。位置情報だけ送り付けて『ここに来い』だとさ」
「んん……」
視界の端にあった布団がもぞもぞと動き出す。そこから顔を出したフランが、まだ寝惚けたような面持ちのまま、俺の腕に抱きついた。
「おにいたま、おねえたま、おはよ」
「おう、フラン、おはよう」
フランの頭を撫でてやると、フランが気持ち良さそうに目を細める。猫みたいだ。
「フランちゃん、おはようございます」
「おにいたま、おねえたま、おでかけ?」
「ああ、フラン、昨日の〈十傑〉さんからお呼び出しだ。フランも一緒に行こうか」
「あい!」
返事だけは、矢鱈と元気だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「来ましたわね?」
――〈真宿エリア〉。八十五年前と変わらず、そこには都心の光景が広がっていた。その住宅街――杠葉槐が示した位置情報の場所へ向かうと、一際目を惹く三階建ての建物が姿を現した。
真っ白な外壁。上から見れば正八角形になるであろう、幾何学的な輪郭。八つの角ごとに細い尖塔飾りが伸び、朝の光を反射している。
庭には低い生け垣と白・薄紫を基調にした花壇が整然と並び、石畳のアプローチが玄関へと真っ直ぐ伸びていた。
「〈神威結社〉の皆様、お待ちしておりました」
執事・黒崎影丸はそう言ってくすりと笑った。
「……失礼しました」
――馬鹿にしてんのか。この野郎。
「センスを疑うクラン名ですわね」
「……わ、私はカッコいいと思う」
「雪村様、一点ご報告を。マザー・エニス、それに奴隷商の男ですが、警察に確保され、現在収監されております」
「ああ……そりゃ何よりだ」
杠葉槐と杠葉樒が門の前で待っていた。フランは俺の袖を掴んだまま、きょろきょろと建物を見上げている。
「それで槐、何の用件だ?」
「雪村様、昨晩あなた、『家がない』と仰っていましたわね?」
「ん……?ああ……っておいおい……まさか……」
杠葉槐が、如何にも愉快そうに口角を上げる。
「そのまさかですわ。こちらの物件、〈オクタゴン〉を――差し上げますわ」
風が吹いた。花壇の白薔薇が、音もなく揺れる。
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