表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

1分小説~Oneminute

『記憶マーケット』

作者: わんみに

亮は毎晩、同じ悪夢にうなされていた。




中学時代の教室。クラス全員の視線と嘲笑。机に刻まれた落書き。




その記憶は、十年以上たった今も消えず、仕事や人間関係でつまずくたびに脳裏に蘇り、胸を締め付けた。






心療内科では「時間が解決する」と言われた。睡眠薬でも酒でも慰めにはならない。




「もし消せるなら、あんな記憶全部消してしまいたい」




そう思った夜、スマホに“記憶マーケット”の広告が流れてきた。






――「辛い記憶を売りませんか?」






まるで救済の声だった。亮は震える指で画面をタップした。






契約はあっけなかった。




白い無機質な部屋で椅子に座り、端末に額を当てるだけ。




脳がしびれる感覚のあと、長年まとわりついていた「教室の笑い声」がすっと消えた。




「あれ…俺、なんで悩んでたんだっけ?」




驚くほど心は軽く、視界は明るかった。






その夜、亮は十年ぶりにぐっすり眠れた。




――もっと早くやればよかった。






味をしめた亮は次々と売った。




失恋の記憶。就職での失敗。父親に殴られた記憶。




消すたびに心は軽くなり、笑顔が増えた。




会社の同僚にも「最近明るくなったな」と言われ、昇進もした。






だがいつからか、“辛い”だけでなく、“少し嫌だった記憶”までも気になり始めた。




些細な挫折、友人との喧嘩、恥ずかしい失敗。




「どうせなら全部、いらないだろ」






そうして記憶マーケットに通う日々が続いた。






半年が経った。




亮は確かに“幸せな記憶”だけを残していた。




だが――奇妙な感覚があった。






恋人との初デートの記憶。旅行で見た絶景の記憶。




それらは確かに美しいはずなのに、どこか色あせていた。




「どうして俺は、これを幸せだと感じていたんだろう?」




比較する“痛み”がなければ、“喜び”の輪郭も見えないのだと気づいたのはその時だった。






それでも亮は止まれなかった。




「幸せに意味がないなら、いっそ全部消せばいい」




亮は最後に残った“幸せな記憶”さえも、マーケットに差し出した。






処置が終わったとき、亮の瞳は虚ろだった。




彼は椅子に座ったまま、子供のように涎を垂らし、虚空を見つめていた。






マーケットの職員は淡々と端末に入力する。




「また一人、廃人化ですね。買い手はつきましたか?」




「はい。記憶はすべて高値で落札済みです」






亮はもう“亮”ではなかった。




自分が誰で、何を愛し、何を恐れてきたのか、その一切を思い出すことはできない。




ただ、空っぽの笑みを浮かべるだけ。






部屋の隅に並ぶ無数の椅子には、同じように“全てを売り払った者たち”が並んでいた。




虚ろな目で、静かに呼吸をしている。






記憶マーケットの扉の外には、今日も「辛い記憶に悩む人々」の列ができていた。






――「辛い記憶を売りませんか?」






看板の文字が、街のネオンにまぎれて光っていた。





---

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ