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1分小説~Oneminute

『記憶マーケット』

作者: わんみに
掲載日:2025/09/18

亮は毎晩、同じ悪夢にうなされていた。




中学時代の教室。クラス全員の視線と嘲笑。机に刻まれた落書き。




その記憶は、十年以上たった今も消えず、仕事や人間関係でつまずくたびに脳裏に蘇り、胸を締め付けた。






心療内科では「時間が解決する」と言われた。睡眠薬でも酒でも慰めにはならない。




「もし消せるなら、あんな記憶全部消してしまいたい」




そう思った夜、スマホに“記憶マーケット”の広告が流れてきた。






――「辛い記憶を売りませんか?」






まるで救済の声だった。亮は震える指で画面をタップした。






契約はあっけなかった。




白い無機質な部屋で椅子に座り、端末に額を当てるだけ。




脳がしびれる感覚のあと、長年まとわりついていた「教室の笑い声」がすっと消えた。




「あれ…俺、なんで悩んでたんだっけ?」




驚くほど心は軽く、視界は明るかった。






その夜、亮は十年ぶりにぐっすり眠れた。




――もっと早くやればよかった。






味をしめた亮は次々と売った。




失恋の記憶。就職での失敗。父親に殴られた記憶。




消すたびに心は軽くなり、笑顔が増えた。




会社の同僚にも「最近明るくなったな」と言われ、昇進もした。






だがいつからか、“辛い”だけでなく、“少し嫌だった記憶”までも気になり始めた。




些細な挫折、友人との喧嘩、恥ずかしい失敗。




「どうせなら全部、いらないだろ」






そうして記憶マーケットに通う日々が続いた。






半年が経った。




亮は確かに“幸せな記憶”だけを残していた。




だが――奇妙な感覚があった。






恋人との初デートの記憶。旅行で見た絶景の記憶。




それらは確かに美しいはずなのに、どこか色あせていた。




「どうして俺は、これを幸せだと感じていたんだろう?」




比較する“痛み”がなければ、“喜び”の輪郭も見えないのだと気づいたのはその時だった。






それでも亮は止まれなかった。




「幸せに意味がないなら、いっそ全部消せばいい」




亮は最後に残った“幸せな記憶”さえも、マーケットに差し出した。






処置が終わったとき、亮の瞳は虚ろだった。




彼は椅子に座ったまま、子供のように涎を垂らし、虚空を見つめていた。






マーケットの職員は淡々と端末に入力する。




「また一人、廃人化ですね。買い手はつきましたか?」




「はい。記憶はすべて高値で落札済みです」






亮はもう“亮”ではなかった。




自分が誰で、何を愛し、何を恐れてきたのか、その一切を思い出すことはできない。




ただ、空っぽの笑みを浮かべるだけ。






部屋の隅に並ぶ無数の椅子には、同じように“全てを売り払った者たち”が並んでいた。




虚ろな目で、静かに呼吸をしている。






記憶マーケットの扉の外には、今日も「辛い記憶に悩む人々」の列ができていた。






――「辛い記憶を売りませんか?」






看板の文字が、街のネオンにまぎれて光っていた。





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