第63話風の帰る場所
## 第63話「風の帰る場所」
朝靄のなか、静岡・興津の浜辺を風が吹き抜けていく。かつては津波にさらわれ、壊滅的な被害を受けたこの街も、今では復興特区の一つとして新たな命を宿していた。高台に新しく建てられた木造の交流施設。その前で、5歳の少女・凛が波打ち際を駆けていた。
「パパー! こっちにお魚いたよ!」
「おーい、行き過ぎるなよー!」と、タクヤが笑いながら声をかける。27歳になった彼の顔は、かつてよりも落ち着き、穏やかさを湛えていた。隣には由紀子、25歳。髪は肩まで伸び、彼女もまた、戦いの記憶を抱きながら、それでも前を向いて生きていた。
二人の娘・凛は、ゼロ・コアの破壊から半年後に生まれた。「再生の時代に生まれた命」。多くの人がそう言った。タクヤたちは、山梨県に設けられた復興特区「みらいの丘」で農業と教育に携わっていたが、今日はある“再会”のため、静岡までやってきたのだった。
その施設の入り口に、一台の電動バイクが止まった。がっしりとした体躯、手には古びた整備ツール。バイクから降りた男は、サングラスを外し、笑った。
「……相変わらず、子持ちに見えねえな、タクヤ。」
「お前こそ、少しは老けろよ、太田さん。」
太田直人、29歳。かつて共に戦った仲間。ゼロ・コアの破壊後、行方をくらませていた彼は、今は四国・愛媛で再生エネルギーの研究所を立ち上げていた。沈んだ四国が数年かけて浮上し、港湾や都市が再建され始めたと聞いた時、誰もが奇跡だと口にした。その奇跡を実現させた一人が、太田だった。
「……お前ら、ホントに生きてたんだな。」
今度は別の声がして、車のドアが開く。中から降りてきたのは、どこか少年の面影を残しながらも、鋭さを帯びた瞳の青年――佐藤タクト、26歳。
「佐藤……!」
「なんか、時間が止まってたみたいだよな。こうして顔を見てると。」
三人は固く握手を交わした。それは、五年という空白の時間と、無数の死者たちへの鎮魂の握手だった。
凛が駆け寄ってきた。「ママ、この人たちだれ?」
由紀子が微笑んで、しゃがんで娘に語りかけた。
「あなたが生まれる前にね、パパとママを守ってくれた、ヒーローたちよ。」
照れ臭そうに頭をかく佐藤と太田。だが凛は満面の笑みで「ありがとう!」と頭を下げた。
「……いい子に育ってんな。こんな世の中でも。」
「“だから”育てたんだよ。誰もが笑えるようにさ。」タクヤの声は、かつての焦燥ではなく、確信に満ちていた。
───
午後、四人と一人は交流施設の屋上に座っていた。眼下には再建された静岡市の街並みが広がり、遥か遠くにはかつて焦土と化した東京の輪郭も、復興の光で輝いていた。
「名古屋もようやく地下交通が戻ってきたらしいぞ。お前らのホームグラウンド、だろ?」佐藤が言う。
「舞木のアジト……今は資料館になってるよ。」タクヤが笑う。
「四国も、今年から本格的に人が戻りはじめた。今じゃ小学生たちが“沈んでた島の話”を絵本にしてるんだぜ。未来は、すげぇよ。」太田がそう言った時、皆が静かに空を見上げた。
かつて、すべてが終わったと思ったあの日。
焦土に咲いた桜。
そこから始まった新しい物語。
「なあ、これからどうする?」佐藤がぽつりと聞いた。
タクヤは少し考えてから答える。
「……守る。俺たちが取り戻したこの世界を。」
由紀子が頷く。「そして、繋げる。子どもたちへ。」
「……なら、俺は作るよ。」太田が笑う。「電気でも、水でも、橋でもいい。人が生きてく土台をさ。」
佐藤が腕を組みながら、いつもの皮肉を込めた笑みを浮かべた。
「じゃあ俺は、言葉を遺すよ。“あの戦い”を、物語にして。」
「お前が書くと、タクヤが5回くらい死ぬ話になりそうだな。」太田が茶々を入れると、皆が吹き出した。
夕暮れ。
太陽が西の海に沈みかけるなか、凛がまた波打ち際に走っていく。
「パパー! 明日も遊ぼうね!」
「……ああ、明日も。」
タクヤの言葉は、かつてのような約束ではなく、確かな“未来”の宣言だった。
やがて夜が訪れる。
だがもう、あの“絶望の夜”ではない。
無数の星が、穏やかな夜空に広がっていた。
**――風は帰ってきた。
この地に、命の声を運ぶために。**




