第1話「憧れ、そして...」
―10年前―
茉桜「お母さん!早くテレビつけて!」
そうやって母親にせがむのは6歳の市原茉桜。彼女は正義感が強いこと以外他の子と何ら変わりのない普通の少女だ。
茉桜母「はいはい。今つけるからちょっと待って。」
そうテレビのリモコンを手にしたのは茉桜の母知予。長い髪をまとめて肩にかけ、優しそうな眉と仏のような垂れ目が印象的な母性溢れる女性だ。知予がテレビのリモコンを操作すると、画面には絶世の、世界レベルで見ても引けを取らない美女が映し出され、茉桜はそこに夢中になる。
アナウンサー「これはすごい!12球団全てからオファーだ!」
アナウンサー「まさに伝説!マネージャー界の至宝、才木真依!」
茉桜「うわあぁ…」
真依はその美貌から男性だけでなく女性ファンが数多くいるが、茉桜も例外ではない。その純粋な眼を輝かせ、いつか自分もこうなりたいと幼き心に誓うのだった。
茉桜「茉桜ね、いつか真依さんみたいになって、真依さんとお友達になってもらうんだ!」
知予「そうねぇ、いつかお友達になってもらえるといいわねぇ。」
正直知予は茉桜の夢を話半分で聞いていた。なぜなら真依の存在が絶対的すぎるためであったからだ。
そう茉桜は誓いを立てるのであった。数年後、この希望が打ち砕かれることになるとは、まだ誰も知る由もない…
そして時は流れ10年後―
茉桜「お母さん行ってきまーす!」
知予「茉桜!弁当忘れてるわよ!」
茉桜は15歳、高校一年生になっていた。都外の高校に進学することも考えたが、地元に、ここ10年で甲子園を狙える実力をつけてきた高校がいると知ったためである。その名も快晴高校。茉桜は快晴高校に入学したく、私立ではあるものの親を本気で説得し、それならばと思い進学を後押し、晴れて高校入学が叶ったのである。
茉桜「あ!そうだった。すっかり忘れてた!」
知予「全くもう、今日は野球部見学して帰るんでしょ?しっかりお昼持っていかないと。」
茉桜「テヘヘ、ごめんなさ〜い。」
茉桜はその高校の名に恥じぬ空色のブレザーに身を包み、おしゃれなチェック柄のミニスカートを履く。まるで成長して今から大空に羽ばたく鳥のような軽やかな身のこなしで家を飛び出して行った。
彼女が目指そうとしているのは応援マネージャーと言う職業。応援マネージャーというのは、昨今の野球ファンの高齢化により、日本のプロ野球が新たに設立した球団の顔である。今や一流アイドルと並び立つほどの人気を博していて、その広告効果は絶大である。
茉桜「ふわぁ〜、長かったなぁ〜。」
入学式の代名詞でもある校長の長い話を聞き終え、自分の教室に戻ってきた茉桜。
美桜「お疲れ茉桜ちゃん!」
茉桜「あっ、お疲れ美桜ちゃん!」
茉桜に親しげな感じで話しかけてきた少女の名は藤沢美桜。茉桜と名前が一個違いということやお互いフレンドリーな性格も相まってすぐに打ち解けたのである。
美桜「入学式長かったねぇ〜。」
茉桜「そうだね〜。私は早く野球部の練習見に行きたくて仕方がなかったんだ!」
2人は先生から隠れ列の隣同士になり、談笑に花を咲かせていた。
美桜「そういえば茉桜ちゃんはこれから野球部の見学に行くんだっけ?」
茉桜「そうそう!まだ仮入部期間じゃないけど、今のうちに、この高校の野球部がどんな感じなのか、雰囲気掴んでおかないとね!」
茉桜はそう言って得意げな様子で胸を叩く。まるで自分が野球部を甲子園に導かんとばかりに。
茉桜「美桜ちゃんも来なよ!そんなにかわいいんだからきっといいマネージャーになれるよ!
別に茉桜もただ仲良しだからという理由で、美桜を野球部に誘っているわけではない。事実美桜は、他の同級生と比べても頭抜けて可愛かった。吊り目でありながらきつい印象を与えることなく、むしろそれが彼女の魅力を引き立てる何よりのパーツになっている。まるで可愛らしいネコのような顔立ちである。しかも笑うと人懐っこい印象があるのだ。人気が出るに違いない。茉桜はそう確信していた。
しかし美桜の反応は、思ったよりも芳しくなかった。
美桜「やめとくよ、私は。実家の手伝いがあるし。そもそも私は実家を継ぐことになってるの。」
美桜の実家は、地元でも有名な百貨店だ。最近こそショッピングモールやネット通販などの影響により、客が減少傾向にあるものの、それでも地元住民からの信頼は厚く、十分に続いていける売り上げだ。美桜はそんな百貨店の後を継ぐことが決まっているらしい。
茉桜「ふぅ〜ん、そうなんだ。ってことはお店の看板娘になるってこと!?いいじゃん!若いお客さん大喜びだよ!」
美桜「そうだね。うちも年々お客さんが減ってきてるみたいだから、早く一人前になって頑張らないと。」
茉桜「そうだよ!きっと美桜ちゃんが継いでくれたら、ご両親も喜ぶよ!」
この茉桜の大声が決定打となった。
担任「こら!市原!何してる!さっさと列に戻れ!」
はぁ〜いと返事し、茉桜は渋々元の場所へ戻る。まだクラス内でお互い馴染みがない中の唯一の笑いの種となった。
それから担任の長ったらしい説明も終わり放課後になると、茉桜は一目散に、野球部の練習へと向かった。するとそこではすでに練習が始まっていた。どうやら一年生の担任・副担任に、野球部の顧問がおらず、入学式が終わってすぐ練習が始まっていたようだ。
茉桜「えっと、まずは顧問の先生を探さないと…」
そう言い、茉桜がフェンスの外から周りを見渡していると、右手側から、
??「あなた…見ない顔ね。もしかして一年生?」
茉桜はびっくりして振り向いた。そこにはどこか冷たげで大人っぽい女性が立っていた。おそらくここの生徒なのだろう。茉桜は勇気を出して、その女性に声をかける。
茉桜「あの…野球部の見学に来た市原茉桜って言います。顧問の先生はいらっしゃいますか?」
茉桜がそう聞く。そんなことか。と言いたげな表情で答えた。
??「あぁ、見学?随分行動が早いのね?今日は顧問の先生はいないわよ。代わりに三年生の私が練習を見てあげてるの。」
女性のその言葉に、茉桜は目を見開く
茉桜「えっ!あなた、野球部のマネージャーなんですか!?」
茉桜がそういうと女性は顔をしかめた。
??「そうだけど、何か問題でも?」
茉桜「あ、いえ!何も問題ないです!すみません!」
茉桜はそう言い、慌てて自分の無礼を詫びた。言われてみれば、確かに問題はない。その女性はどこか冷たげな流し目でありながら、私服を着ていれば女子大生かとも思える大人っぽさを兼ね備えている。まるで雪女が現代に蘇ったようだ。その女性は淡々と話を進めた。
??「まぁ、別にいいわ。見学は許可してあげる。でもまだ仮入部期間は明日からだから、ほんとに見るだけよ。」
そう言われると茉桜は背筋を伸ばした。正直、この先輩の儚く冷たげな眼は、茉桜にとっては自然と背筋が伸びるようだった。しかしこれだけは聞いておかねばと茉桜は消え入りそうな声で続けて質問する。
茉桜「あ…あの!ちなみにお名前は…?」
??「私?私は田鍋結。さっきも言ったけど、快晴高校三年で野球部のマネージャーをやってるわ。あなたも野球部の一員になりたいなら覚えておくことね。」
そういうと田鍋は静かに部員たちの方へ歩き出した。
茉桜「あ、は、はい!よろしくお願いします!」
茉桜はまるで軍人かのごとく直角にお辞儀をし、急いで田鍋の方へ向かっていった。田鍋の斜め後ろにつけると、茉桜は一つ気になっていたことを聞いた。
茉桜「あの…今日は外部コーチの方は来られないんですか?噂によると元日本代表だって聞いてますけど…」
茉桜がそう言うと、田鍋はまるで地雷を踏まれたかのように顔をこわばらせた。ぱっと見では表情の変化がないように見えるが、茉桜からすると雪女に般若が乗り移ったようだった。
田鍋「あの人は…今日から1週間旅行に行ってるわ。ちょうど仮入部期間が終わる頃に帰ってくるつもりよ。全く…これから甲子園を目指そうっていうのにあの男はほんとに…ちゃらんぽらんなんだから…」
そう恨み節を言う田鍋を、茉桜は気まずそうに見つめていた。その日、茉桜はせめて今日で一軍の選手の名前だけでも覚えて帰ろうと、田鍋に選手の名前、特徴を質問攻めにした。途中田鍋に何度もうざがられたが、それでも茉桜はしつこく質問した。それに観念したのか、田鍋も最後は懇切丁寧に、茉桜へ選手の特徴を教えていった。そうこうしているうちに夜へと移り、部活の練習が終わった。茉桜は最後に、田鍋にお礼を言った。
茉桜「今日はありがとうございました!色々と教えていただいて…」
そこまで言うと田鍋は遮るようにして言葉を返した。
田鍋「わかった。そういうのいいから、気をつけて帰りなさいよ。ただでさえアナタは狙われやすそうな見た目してるんだから。」
茉桜「はい!わかりました!では失礼します!」
茉桜は元気よく返事をすると、スカートが揺れんばかりに勢いよく振り返り帰っていった。その背中を見ながら、田鍋はぼそりとつぶやく。
田鍋「ほんと、気をつけなさいよ。あなた、可愛いんだから」
茉桜「お母さんただいまー!」
茉桜はそう言うと靴を乱雑に脱ぎ捨て、急いでリビングに向かった。するとそこには、まるで幽霊でも見たかのごとく青ざめる知予の姿があった。
茉桜「お母さんどうしたの?」
茉桜がそう言い切らないうちに、知予はゆっくりとテレビの方を指差した。茉桜は不思議に思ってその指の指す方向を見ると、そこには信じられないニュースが報道されていた。
アナウンサー「先日、都内某所で、東京の応援マネージャーO Bの才木真依さんが自宅で首を吊って亡くなっているところをマネージャーに発見されました。死亡時刻は昨日の夜11時ごろとされています。28歳でした。」
茉桜「えっ…?」
――第一話完――