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異境譚  作者: おでき
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第七章 一節

 佐保は栄古と再び別れ、風進にしたがい白水へ着いた。風進が佐保の通行料も宿代も負担したが、彼女には返すあてもなく厚意に甘えるしかなかった。しかし宿に滞在して二日目、早くも転機が訪れた。

 ちょうど風進と水丹が出払い、小琴と二人でいるときだった。部屋の外がにわかに騒がしくなり、複数の声が聞こえてくる。何事かと小琴と顔を見合わせるうちに部屋の扉が開き、現れた人物に佐保は目を見開いた。

「なんだ! 人の部屋だぞ!」

 小琴が声を張りあげる。だが扉を開けた主は小琴を相手にせず、佐保だけを見据え、怒鳴り返した。

「この大馬鹿者、よくもこれだけ心配かけさせたな!」

 飛泉だった。

 あっけにとられてつかの間の静寂が訪れたが、三人のなかで誰よりも先に動いたのは彼だった。飛泉は佐保の前に歩み、言い放った。

「迎えにきた」

「はい」

 佐保が神妙な面持ちで答えると、そこでようやく飛泉は小琴へ注意を向ける。

「この女に話がある。悪いが、出てくれないか」

「何者だ。突然やってきて、えらそうに」小琴が飛泉をにらんだ。

「急を要することだ。無理ならば、このまま行こう」飛泉が佐保へ目を転じた。「さっさと別れの挨拶をしろ」

 思わず小琴が面食らい、佐保も「待って」と告げたが飛泉はもう一度同じ言葉を発した。

「いやだ! ふざけたことを言うな」

 小琴は目をむいて、噛みつくように言い返す。

「ちっこいのは黙ってろ」

 飛泉は丁寧な物腰を保つのもやめ、乱暴な口調で小琴をあしらった。小琴は怒るが、彼女が何か言う前に佐保は声をかけた。

「小琴」

 かがみこんだ佐保は両手を伸ばし、少女の右手を包んだ。

 迎えにきてくれたのなら、佐保が手を取るべき相手は決まっていた。

 小琴が佐保の顔を見ている。佐保はしっかりした声音で伝えた。

「大丈夫。彼はこのまえ話した、屋敷の人たちの一人だから」

「でも……」

 それだけ言って口を閉ざした小琴に、佐保は続ける。

「急だけど、私、行くね。風進さんと水丹さんが帰ってきたら、お礼も言わずに申しわけありません、それから、感謝しておりますって伝えてほしい」

 寂しい気持ちを抑え、佐保はつとめて明るく振る舞った。

「玉葉……」

 小さな呼びかけに佐保は微笑む。その名前を呼ばれても、もう苦しい気持ちにはならなかった。小琴に言われるのはくすぐったくて、心地がよかった。

「小琴。いつかまた会おう」

 現実的に可能かは、わからない。けれど佐保にとっては心の底から伝えたい言葉だった。

 小琴がうつむく。「友達できたの初めてなんだ。だから、お別れしたくない」

 震える声で告白する少女の姿が、佐保にはいつもより幼く見えた。

「わがままでごめん。でも、小琴に見送ってもらいたい。私の友達だから」

 弾かれたように顔を上げた小琴は、少しのあいだそのままでいたが、ふてくされた表情を作った。

「やっぱり玉葉は、たちが悪いぞ」

「ごめんね」

 佐保が言うと、小琴は結んでいた手を離し、机にある佐保の短剣を取った。風進に手入れしてもらったそれを、佐保の前まで持ってきて渡す。そして身一つの佐保に向けて、彼女は言った。

「いいよ。行けばいい。でも、会う約束は絶対だぞ」

 佐保はたまらず小琴を抱きしめた。

「約束する。今までありがとう。本当にありがとう」

「悲しいから別れの言葉はなしだ」

 耳のそばでそう言った少女に、佐保は黙って頷いた。


「世話になった。急にすまなかったな」

 飛泉はそう言って、小琴に文と金銭を渡した。少女は文だけを受けとる。彼はしかたなく奥の寝台に銭を放り投げた。

「礼を尽くす約束をしたためてある。文に記した場所まで行くように」

 飛泉の言葉に小琴は何も言わない。外へ出た佐保は室内を振り返った。立ち尽くす小琴が見える。けれど扉を閉めきる寸前、少女は手を振ってくれた。木のきしんだ音がして、部屋との隔たりができる。

 佐保は感傷にひたる間もなく、歩きだした飛泉のあとを追った。

「……あの、どうやってここに?」

 久しぶりの挨拶もなしに、佐保は端的にきいた。すると彼のほうもすんなり教えてくれる。

「栄古殿だ。夜中に主のもとにいらして、教えてくださった」

 どうやら李彗と会えたらしい。が、泊まる宿屋の話をいっさいせずに別れて、なぜ栄古が佐保の居場所まで知っていたのか。飛泉に尋ねようとしたが、どうも話しかけにくいので、佐保はそれきり黙ってついていった。

 いくぶん早足で街のなかを歩く彼のあとを追えば、だんだんと人通りの多い道からそれていく。人の高さほどある塀の並びの一角で、ようやく飛泉は足を止めて振り返った。数歩ほど遅れていた佐保は、飛泉に駆け寄る。彼は佐保をにらむように見ていた。

「あの」

 思わず出た佐保の声をさえぎり、飛泉が言う。

「あらためて見ずとも、世話のかかる格好をしているな」

 暗に汚いと言われ、佐保は恥じ入った。保てる範囲で身奇麗にはしているつもりだった。街のなかではそれも違和感なかったが、確かに屋敷にいた頃はもう少し年相応だった気がすると佐保は思った。畑仕事や水仕事をしていたといっても、分量では彼らが甘やかしてくれていたのが今さらながらに実感できる。

「どうせ額は土で汚れるが、やはり身なりは整えておきたいものだな」

 佐保がわずかに顔を伏せても、飛泉は続けた。

「見栄えが悪いぞ。落ちこむ暇があるなら、謝罪と言い訳でも考えておけ」

「言い訳?」

「口の立つ年寄りが笑みを浮かべて待ちかまえているからな」

 冗談ともとれる言い方だったが、彼なりの忠告なのだろう。飛泉が前を向いて「行くぞ」と声をかける。佐保は自業自得だと納得しながら、彼に返事をした。

「つらい脅し文句ですね」

「こっちもぞっとする」

 飛泉の、前よりも背が伸びて大きくなった後ろ姿を、彼女はぼんやりと見て歩きだした。


 角を曲がってしばらくすると、屋敷の出入り口が見えてくる。門を開けた飛泉に続いて、佐保は中に入った。ずいぶん先まで石畳が伸びて、辺りにはかつて手入れされていたような庭が広がっている。今はまるで生えたら放りっぱなしの草木にしか見えないが、それでも目を楽しませてくれる花がちらほらと咲いていた。

 石畳を奥に行くと、建物の前に老爺が立っていた。飛泉の、待ちかまえているという言葉は嘘ではなかった。人好きのする笑みを浮かべた老爺は、あごに蓄えたひげをひと撫でして佐保を見ている。彼女は緊張しながら歩いて、数歩の距離を取って立ち止まった。

「これはこれは」苑海がわざとらしいほどゆっくりした口調で言う。「よくお戻りになられた」

 はたしてどちらの意味か。無事に姿を見せたことを指すのか、あつかましくも戻ってきたことを指すのか。佐保は後者にしか思えなかった。

 開口一番、佐保は頭を下げて謝った。「このたびは大変ご迷惑をおかけいたしました。本当に申し訳ありません」

「迷惑などとは思っておりませぬ。ただ、娘さんと最後に会ったのが私のようでしたから、少々困りましてな。若君に説明を求められてからというもの、娘さんがあの時点で消えたのが、どうも私を悪者にするためではないかと勘ぐる日々が続いてしまい、老体には酷な不眠が発生しまして毎夜つらい思いをしておっただけです」

 ちくりと突いてくる苑海の言葉に、佐保は再び頭を下げた。

「馬鹿なことをしてしまい、申し訳ありませんでした。反省しています」

「そうですか……としか言いようがありませんのう」苑海はおかしそうに笑った。

 怒りもせず、謝っても受け止められたと思えないような答えが返ってくるので、佐保はひたすら頭を下げるしかなかった。釈明も弁明もせずに謝ったが、これでは言い訳の一つもしたくなる。

 すると、ずっと黙っていた飛泉が間に入った。

「この者の謝罪を受けとっていただけませんか」

 苑海が、おやと眉を上げた。「孤立する娘さんに支援が入りましたな」

 佐保はそのとき、苑海に――ああ、見抜かれていたのだな、と理解した。彼の発言は、一人というものを連想させる言葉だ。孤立や一人を恐れ、甘えることに夢中になる佐保を、この男はわかっていて意地の悪い口調で投げかけてきたのだ。きっと今までの彼女なら、誰かが仲介に入ってくれるのを期待したり、うつむいて終わるだけだった。

「飛泉さんを軽んじる発言はよしてください」

 佐保の言葉に、飛泉だけでなく苑海も驚きをあらわにした。

「そのまま飛泉の背中に隠れるのが娘さんには得策では? 得た味方をかばうのは有益ですかな?」

 挑発に聞こえる文言を苑海は述べるも、今や佐保のなかには毅然とした態度が生まれていた。

「有益の有無や得策などより私にとって大切なのは、もうそのような関係性を強要しないことにあります」

 佐保はまっすぐと苑海を見つめる。彼のほうも目をそらさなかった。

 刻んだ年数が違う。口で言い負かせないのはもとより明白だ。だがようやく、佐保は目の前の老人が何を求めていたのかほんの少し知った気がした。

「あなたの期待にそうような、かわいい娘さんでなくなってごめんなさい」

 それが今の彼女にできる、最大の皮肉だった。

「言いますな」苑海が笑う。

「どうでしょう、これから成長の余地があります。いずれ茶飲み友達が務まるかもしれません」

 佐保はそう返しながら考える。この老人相手では、たとえつきあうのが一杯でもくたびれることだろう。

「なるほど。いずれと言わずお誘いしたいが、今日はご一緒できますまい。何より優先されるべき方がおりますゆえ」苑海は観念したとばかりに笑って小さく会釈する。「のちほど案内させましょう」

 折れた老爺へ、佐保は久しぶりに満面の笑みを浮かべた。

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