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異境譚  作者: おでき
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第五章 四節

 夜と朝の境のような空には、まだ星が見えていた。鳥の鳴き声は騒がしさから遠く、空気は冷えている。ほの明るい風景には、そこかしこに夜のなごりがあった。

 佐保は目を覚ました。誰よりも早いと思ったが、体を起こしてみれば風進と水丹の姿がない。二匹の犬は隅に寝そべっており、佐保が起きた拍子に耳を動かして彼女の様子をうかがっていた。噛みつかれないだけましか……と、佐保は髪の毛を指で梳いた。そろそろ邪魔になってきた長さにわずらわしさを覚えつつも背中にまとめて流し、次にそばで眠っている小琴を見下ろす。少女の姿はあどけなくてかわいらしく、同時に腹が立った。周囲の人に守られ、日々を安心して暮らし、明日をおびえずに迎えられる生活。

 佐保は溜め息とともに目を伏せる。同じ異客の西山も苦労していた。心痛も計り知れない。彼は、異客はよそ者だと言っていた。まさにそうだ。小琴のように、食料を分け与え、よくしてくれたとしても、それは一時のものだ。すぐに煙たがられる存在になるはずだ。

 佐保は小琴の顔をのぞきこんで、手をのばした。途端、伏せていた犬の片方が起きあがる。

「何もしないわよ」佐保は犬のほうを見ずに、小さくもらした。

 そうして安らかな寝顔をしている少女の頭を撫でながら思った。

 庇護される存在でありたい。誰かにそばにいてほしい。幸せな生活を送りたい。

 小琴はきっと、その願望をすでに叶えている。だからこそ佐保は小琴を、どうしようもない優劣の分け方で見ようとしていた。うらやましさと、ねたみだ。

 起きてからの虫の居所の悪さに、佐保は自嘲した。自分より小さな子供に心のなかだけで当たって、不快感を解消しようとしているのだ。なんというざまかと情けなさにあきれてくる。

 頭を撫でていると、身じろぎした小琴の肩から、かけていた布がずれた。あらわになった小さく細い首筋は寒そうに見える。佐保は自分が使っていたものをかけてやった。そうして彼女の行動に注意をよこす犬たちを尻目に立ちあがり、幌をめくって外に出た。

「おはよう。まだ寝ていてもいいのに」出てすぐ近くにいた水丹が声をかけてきた。

 佐保は挨拶をすると、彼女に近寄る。水丹は、くすぶっている火種をおこしていた。

「つっ立ってるだけなら川まで行って洗面でもしといで。それから手伝ってよ」水丹は茶目っ気たっぷりに言った。「朝から豪勢にするからさ」

 佐保は返事をして川に向かい、もったいぶるように遅く歩いて帰ってきた。

 水丹は料理を作っていた。石で囲んだ焚き火の上に鍋を置き、ぐつぐつと煮立たせている。佐保がのぞきこめば、汁のなかで白い小さな粒が踊るように姿を見せていた。米だ。

「おいしそう」思わず佐保がつぶやく。

「玉葉、あんたその様子じゃ米や肉は食べてないね?」水丹が嫌味のない苦笑で、佐保を見て言った。

「野菜も魚も」佐保は笑ってつけ足した。

 穀物と湯気だけで食欲がそそられる。自然と腹に手をそえた佐保は、匂いだけで満腹しそうなほど息を吸いこんだ。


 佐保の渡された食事は湯気を立てている。隣からは弾んだ少女の声がして、楽しい会話が耳に入ってきた。それがいやに佐保を刺激して、鬱々としたものが腹の底にこしらえられる。先ほどは食べるのが楽しみだったが、今は味わう気持ちもない。佐保は、小琴の笑顔にいらだった。目の前の光景が、舌打ちをしたくなるほど温かな匂いに包まれているのだ。それは佐保に、幸せな団欒(だんらん)の記憶を呼びおこさせた。

 佐保は話の中心になっている小琴をなるべく見ずに食事をして気持ちを落ち着かせる。

 食べ終わる頃になると、小琴が佐保をじっと見つめてにこりと笑っていた。何かと思えば、少女の口から「玉葉を送っていきたい」という言葉が出てくる。

 驚きに目を見開いた佐保は、次に困り果てた顔に変えた。

 すると風進が声をかける。「玉葉は白水に行くんだろ?」

「はい」

「俺らは今のところ行き先が未定でなぁ、昨日までに当面の商売も済ましちまったし」

「商売?」佐保はきき返した。

「紙を売ってるんだ」

「紙? 紙って……あの、字を書く紙ですか?」

 尋ねた佐保に水丹のほうが答えた。

「そうだよ。筆のすべりのよい紙は貴重だからね、売り歩くのさ」

「へえ」佐保は、仲介や問屋のようなものを想像しながらあいづちを打った。

 流通の手段が人力のみで成り立つ商売も多くあるのかもしれないこの世界では、人づての商売が幅広く行われているのだろう。事情にうとい佐保はいくつか尋ねたくなったが、質問することで常識のない人間に思われる可能性に行き着きやめた。何をきけば問題なく答えてくれるのか、何をきけば怪しまれるのか、佐保には判断できない。

 小琴が話を戻した。「(にい)さん。予定ないなら白水に行こう? いいだろ?」

 名案とばかりに大きく手を打ち合わせ、小琴が言う。佐保は内心よい方向に話が転んだと満足を得たが、小琴の発言に驚く仕草をし、戸惑いがちに視線をきょろきょろと動かした。

「そうだなぁ……」

 風進が、すっきりしない返答をして黙りこむ。

「ここまで来たら上流からのほうが近いの?」水丹が、風進に向かって言った。

 彼はあごに手をやり、考えながらつぶやく。「玉葉一人なら迂回したほうが、より安全なんだが……まあ、上流のほうからでも行ける」

 上流を見てきた佐保はつい口をはさんだ。「山道でもあるのでしょうか?」

 そのようなものを見つけてはいたが、何も知らないふりをして尋ね、風進が答えるのを待った。

「ある。以前は頻繁に使われていたみたいだが、最近はよく知らないな」

「そうですか」

 馬のある彼らについて行けば、ここ数日の苦労が無駄になる。だが小琴らとの出会いは、少なくとも今後においては得となったのだから、日がな一日をやるせなく過ごしていたのも報われるだろう。

「なら、白水に行こう。これで蓮勺ともお別れだな」小琴はうれしそうに声をあげた。

 風進と水丹が肯定の笑みを浮かべる。

 佐保は、ついに幸運が巡ってきたのだと愉快な気持ちになった。楽して旅のできる「仲間」を見つけ、安全性を確保したのだ。小琴の発言をあっさりと受け入れた二人の甘さには多少の羨望といらだちを覚えたが、子供の言葉も役に立つものだと考えて気持ちを静める。

「あいつらもいい思い出がないからな」小琴が離れていた犬のほうへ、あごをしゃくって言った。

 小琴のわずかな動作だけで二匹はすぐに近寄り、彼女の両脇に座る。

「何かあったの?」佐保は小琴を見た。

 二匹を左右の手でいっぺんに撫でる小琴は、軽やかな声で答えた。

「街に入るときに、でっかい役人が犬をお気に召さなくてさ、危険だからって中に入れてくれなかったんだ。管理代と二匹の通行料を渡せばいいけど、それなら野宿しようってことになった」

 それはもしかすると、あの役人ではないだろうか。きっと小琴と佐保が互いに指しているのは、同じ人物の可能性が高い。

「そう……ひどい人もいるのね」佐保は自分をないがしろにした男の顔を思いだして、冷ややかな笑みを浮かべた。

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