同情
「文はなし」そう言っただけなのだが、クリスチャンを始めとして二人のメイドまでも目を丸くしている。
そんなに可笑しな事を言っただろうか。
だが、他にもやりたい事があるのは事実。
クリスチャンもわかってくれたようだが、驚きを隠せないままの様子で書斎を出て行った。
「ふぅ、お咎めなしで助かったわ。
そういえば、どうしてあなた達、私をかばおうとしたの?
私の事を良くは思ってないはずだけど」
「それはですね……」
「え~っと……」
「何か発言したからってクビにはしないわ」
言いにくそうに視線を泳がせているという事は、この二人もクビという言葉に恐れているのだろうか。
それとも、マリアンヌの姿だからだろうか。
「えっと……では。
先ほどの給湯室での一件で、今までのマリアンヌ様とは違うのだと信じてみたくなりまして」
「私も右に同じです」
「信じようとしてくれてありがとう。
それから、クリスチャンから逃がそうとしてくれた事もありがとう。
そうだ! あなた達の名前も教えて欲しいわ」
ゆっくりとだが自分の気持ちを話してくれた二人のメイド。
私はこの二人とも仲良くなろうと、名前を聞いてみた。
目覚めた初日から多くの名前を聞いているが、人の名前と顔を覚えるのは保育園で務めていた時に鍛えられたのでお手の物だ。
私の質問に戸惑いながらも、二人は答えてくれた。
一人は長男であるレオンの侍女で、名はリザ。
そしてもう一人は長女であるノアの侍女、名はロミーナというらしい。
今後、子ども達に関する事は二人に聞くなり相談するとしよう。
「さて、この後はどうしようかな。
と……その前に、先にこの部屋から出ないと」
これ以上、子ども達の勉強の邪魔をしてはいけない。
そう考えてニコラに視線を送ると、彼女はポットを軽く振った。
おそらくお茶を淹れ終わった合図だろう。
そうなれば、もうここにこれ以上はいられない。
私の出来る事はもうないのだ。
私はその場で子ども達や兵達に軽く会釈をして書斎を後にした。
その少し後、ニコラもティーセットを持ちながら急ぎ足で私の後を追いかけて来てくれた。
そしてなぜだか、リザやロミーナまでもついてきたのだ。
「マリアンヌ様、この後はいかがなさいますか?」
「そうね~……このお屋敷の事をもっといろいろ知りたいし、あとは……メイドさんたちが普段、どんな仕事をしているのか知りたいかな」
「本当に変わられましたね……。そのような事が気になるなど」
「まずは皆の目線に立ってみないとね!」
「それでしたら私達も、今まで拒まれた事に関して、遠慮はなしでもいいでしょうか……」
「いいわよ。何かあれば私にも手伝わせて」
「ありがとうございます! そうしましたら、お屋敷の内装から手を加えます!
以前のようにお花でいっぱいにしたいんです!」
「お花でいっぱい……ふふっ、楽しみね」
私たちは給湯室に向かうまでの間、屋敷内の内装の話で盛り上がった。
マリアンヌのした事が消えるわけではない。
だが、こういう時間がもっと増えていくように、いずれは屋敷の人達が日常から笑顔でいられるように、私はそう願わずにはいられなかった。
そうしてしばらく歩いて、給湯室に着いた私たち。
リザとロミーナはというと、他の仕事に行くとの事で給湯室の前で別れる事になり、私とニコラはティーセットを片付けてテーブルの前に腰かけた。
私は給湯室にあった紙とペンを用いて、ニコラに質問攻めを始めた。
お屋敷で働くメイドや執事たちの仕事内容や勤務時間、仕事道具の置いてある場所、それからお屋敷の簡単な見取り図など本当に様々だ。
こうしていると、まるで就業前の面接みたいだなとふと思った。
ニコラはというと、時折こんな事まで興味持ったのかと、驚いた表情を見せた。
それでも彼女は嫌な顔せず、質問に答えてくれた。
どれくらい話し込んでいただろうか。
ニコラが給湯室の時計に視線をやると、慌てた様子で椅子から立ち上がる。
「マリアンヌ様! もうお夕食の時間ですよ!」
「ご飯?! やったぁ! 楽しみ! そうと決まれば行きましょう!」
「……そのお姿で行くおつもりですか?」
「え、うん、そのつもりだけど……なんか変?」
「一応、このお屋敷の奥方様なのですよ?」
「でも……ドレスが何かの拍子に汚れるのイヤだし、このままで行くわ」
「マリアンヌ様がドレスの事を気になさるなんて……。
ドレスは使い捨て、使用人も使い捨て……のような発言をされていましたのに」
――あぁ……それでクビ発言。人材こそ宝なのに。
「今の私は違うんだけどな。とりあえず、このままで行くわ。なんなら、ニコラも一緒に食べる?」
「い、いえ……さすがにそれは」
それもそうか。
普通は上に立つ者と使用人はともに食事をしない。
何かで得た知識でわかってはいるが、やはり、寂しいものがある。
だが、そんなわがままもこれ以上は言えず、私は先を歩くニコラについて行くかたちで食堂へと足を運んだ。
「わぁ……テレビで似たような光景を見たけど、本物は違うなぁ。広くてすごく豪華な装飾……」
食堂に着くなり、私は気持ちが高ぶり、思わず声が出てしまった。
目の前に広がったのは、貴族が出る映画や漫画の世界のように広い食堂だったからだ。
天井の豪華なシャンデリア、キレイに並べられた椅子達。
壁の装飾や燭台など、すべてがキラキラして見えるほど素晴らしいものばかりだ。
だが、次に目に入った光景に、高ぶった気持ちは次第に落ちていく。
それは、広く長いテーブルにポツンと、一か所にだけ置かれた銀食器だった。
その瞬間、現実を突きつけられた気がした。
自業自得の行いであるのは承知だが、マリアンヌがこの広い食堂で誰かと食事をする事もなく、ただ一人で黙々と食事をしているという事を寂しいと同情してしまう自分がいる。