疲労からくるもの
パーティーの準備と称して足裏マッサージを受ける事になり、地獄とも思える出来事はこれだけにとどまらなかった。
数分後。
――つ、疲れた。数分間、痛みで発狂し続けて喉カラカラ……。
「マリアンヌ様、お疲れ様でございました。こちらをどうぞ」
そう言って満面の笑みでニコラから手渡されたのは、水の入ったグラスだった。
その水を口に含むと、少し酸味と風味を感じた。
この味は、恐らくレモン水だろう。
カラカラの喉を潤してくれるだけでなく、スッキリと心地が良く気持ちをリラックスさせてくれる。
だがこれは、彼女たちによる飴だ。
これからさらに鞭があろうとは思いもしなかった。
ニコラによる地獄の足裏マッサージを終え、ぐったりしていると今度はいつの間にか部屋の中央に用意された簡易的なシングルベッドに、うつ伏せになるように促される。
これまたいつの間に用意していたのか、今度はダリアやバレッタ達による全身マッサージが始まったのだ。
何やら背中に温もりを感じ、さらには手を滑らせる感触が伝わってくる。
――これは気持ちいいかも……。
そう思ったのもつかの間。
「いっっったーーーい!!! 何?! なんで背中が痛いの?!」
「痩身マッサージでございます。体内に溜まった老廃物を足に向けて流しているのですよ」
「マリアンヌ様のお体、お疲れのようでございますね。これはいかがでしょうか?」
痛みに耐える中、バレッタの声が聞こえたかと思いきや、今度は背中だけではなく、足のふくらはぎや、膝裏に痛みを感じた。
「いたたたた!!! 痛いよ~~~!!!」
「膝裏やふくらはぎにも老廃物が溜まりやすいので、それを流しております」
「わかった! 説明はわかったから、もうやめて~~~!」
「「「「「まだまだでございます」」」」」
私が痛みで悶絶する中、彼女たちの嬉々とした声が聞こえた。
この地獄とも思える全身マッサージは一週間続き、さらにはクリスによるスパルタダンスレッスンや、各貴族に関する知識なども合わせて行われたのだった。
その期間、ダンスによる筋肉通などの痛みとマッサージの際の発声により、全身に疲れを感じていたが、どうにか子ども達に会う時間をつくった。
だが、相変わらず子ども達と会話はなく、黙々と一人折り紙を折る日々を過ごした。
***
そうしてパーティー当日。
連日続いたマッサージの影響で、朝から疲れ果てている私。
そんな中でも正午からのパーティーに間に合うように、ニコラによって身支度が着々と行われているのだが、やつれているように見えたのか、何度も背筋を伸ばすように言われている。
まず、手始めにコルセットを装着された。
装着の際、少しばかり体を縛られる痛みに襲われたが、マッサージ程ではないため、不慣れながらも無事に着ること事が出来た。
コルセットの次はドレスだ。
シンプルなデザインに生地の色は淡い水色、白いレースが部分的に使用されており、これがなんともマリアンヌの肌の白さと金髪を際立たせている。
ドレスを身にまとった後は髪をまとめ上げられた。
髪飾りには、小さなダイヤが散りばめられたものがあしらわれた。
動くたびにダイヤがキラキラと光る仕様のようだ。
そして、お化粧も彼女によって普段とは違う、パーティー使用に仕上げてくれた。
「準備が整いました! また一段と雰囲気が異なりますね! ご令嬢みたいです!」
「ほんと、どこかのお嬢様みたい……」
「――そこは否定してくださいまし。ご令嬢なのですから」
「そ、それもそうだったわね。おほほほほほ……」
ニコラのおかげでなんとか全ての準備を終え、予定通りの時間に家を出られそうだ。
今回のパーティーには、ニコラとクリスが同席してくれる事になった。
前日まで貴族に関する知識を入れていたとはいえ、不安がよぎる。
それは、クリスも同じ考えのようで、隣でサポートしてくれると言ってくれた。
初めてのパーティーでも、この二人がいてくれると思うと大変心強い。
ニコラの準備も整った所で、クリスが待っているであろうエントランスに向かった。
慣れていないヒールを履き、尚且つドレスの裾を踏まないように歩くのはいささか辛い。
普段とは違い、高価なものに身を包まれるというのは、こんなにも気を遣うものかと、内心平穏無事ではなかった。
たどたどしくもどうにかエントランスに着くと、クリスだけでなく、屋敷の使用人たち皆がその場にそろっていた。
クリス以外の皆は通路に沿って並び、お互いに向かい合っている。
貴族物のテレビなどで見る、あの映像そのままの光景に感動すら覚える。
――こ、これがいわゆる「いってらっしゃいませ」の状態ってやつ? 圧巻……。
そう私が感動していると、クリスから思わぬ発言が飛び出した。
「えー……どちら様でしょうか」
「――なんか、デジャヴね。私よ、マリアンヌよ」
「申し訳ございません。見慣れないお姿でしたので」
「馬子にも衣裳と言うやつですね」
クリスに続いて言葉を発してきたのは、なんとレオンだった。
レオンとノアは、奥の扉から姿を現し、こちらに近づいてくる。
「「馬子にも衣裳」って難しい言葉を使えるなんて、すごいわね」
意味合い的には複雑な感情だが、小さい子が使うには難しいと思う。
それをさらりと言えた彼に関心を抱いた。
「……別に。難しくもなんともないですよ。侯爵家の後を継ぐのですから」
私の言葉が予想外だったのか、彼は少し目を見開き、だけどすぐにいつものぶっきらぼうな表情に戻った。
だが、今回はそれだけではなく、少し照れているように見えるのは気のせいだろうか。
「せいぜい、リシャール家の恥にならないようにしてください」
「う……そ、そうよね。頑張るわ」
「マリアンヌ様、頑張ってくださいまし!」
「応援しております!」
「ご武運を!」
レオンは少し突っぱねた言い方だったが、心配してくれているのだろうか。
そうであれば、言い方はともかく、少し嬉しさを感じた。
彼とは逆に、屋敷の皆は応援の言葉をくれた。
私もそれに応えるべく改めて気を引き締める。
「慣れないパーティー、当たって砕けろよね! それに、私のせいで子ども達の評判が下がるのはよくないわ!」
「そっちの心配ですか?」
「そりゃぁ、そうよ! あのお宅の子は……なんて言われるのイヤだもの! 頑張るわよ~!」
「マリアンヌ様の気合いが入った所でそろそろ参りましょうか」
「あ、そうだ――」
クリスの言葉に一歩踏み出した時、とある事を思い出した。
それをクロエに伝えるべく、彼女に体を向ける。
「クロエにお願いがあるの――」
クロエはキョトンとした表情を浮かべたが、私のお願いを快く引き受けてくれた。
そのお願いとは、ここ数日折っていた折り紙の事だ。
折っていたのは花やイチゴ、ショートケーキに女の子など、おままごとに使える内容ばかりを折っていた。
それを後で、子ども達に渡して遊んでもらおうと言う算段だ。
「籠に入って私の部屋にあるから、よろしくね」
「承知いたしました」
「それじゃ、行ってきまーす!」
クロエに後をお願いして、意気揚々と歩を進める。
その際、使用人の皆から頭を下げられ、声がそろった「行ってらっしゃいませ」を聞く事が出来たのだった。
ニコラやクリスと馬車に乗りながら、前日まで頭に入れていた奥方としての振る舞いをおさらいしていた。
ここで恥をかくわけにはいかない。
なんとか乗り切らなければ。
そうして馬車に揺れる事、数十分。
到着の合図が聞こえ、クリスによるエスコートを受けながら馬車を降りた。
馬車を降りて目の前に広がるのは、侯爵家とは比べ物にならないほどの佇ずまいをした煌びやかで立派なお城だった。
――す、すごい……。本物のお城だ。綺麗だなぁ。
あまりの場違いさにその場から動けずにいると、ニコラに手を取られる。
そして彼女は優しく微笑みを見せた。
「大丈夫でございますよ。私達がおります」
「……そうね。ありがとう」
彼女に励ましをもらい、ようやく歩き出せた私は、緊張を抱きながら会場へと歩を進めた。
王宮に入ると、一人の執事が歩み寄ってきた。
おそらく参加者の確認のためだろう。
ここはクリスの出番だ。
燕尾服の内ポケットから招待状を出し、名乗り出て確認してもらう。
すると、さすが名が通っているからなのか、素性がわかるとその執事は深々と頭を下げてきた。
そして会場まで案内してくれた。
私達が会場に着くと、参加者のほとんどがすでに来ているのか、その場は大いに賑わっていた。
「ひ、人の数がすごい……。これはちょっと……」
「ご安心くださいませ。マリアンヌ様は私の傍で笑顔を浮かべて頂ければ結構ですので」
「クリス……頼んだわ」
ここは場慣れしている彼に任せる事にしよう。
会場入りして数分後。
私達が入ってきた扉から整った顔だが威厳のある風格の男性と、その隣を優雅に歩く幼い男の子が姿を現した。
身なりや雰囲気からして、国王陛下と殿下だろうか。
二人は会場の奥に設置されている玉座に向かって歩いていく。
会場にいる皆も、その二人に合わせて体を玉座に向ける。
「えー皆の者、此度は我々主催のパーティーに参加頂き、誠に感謝する――」
玉座に向かって歩いていた二人は、玉座の前に立つと、会場を見まわして一言挨拶を発した。
そして今回のパーティーの違例と称して、一つ説明を加えた。
それは、王妃が体調不良でパーティーに参加できない代わりに、殿下が参加するとの事。
――殿下って言ってもまだ小さいし、レオン君と同い年くらいかな? それなのに気品があるのは、さすが次世代の国を背負うお方ね。
そんな事をぼんやりと考えていると、急にお腹の具合が不調を訴えた。
おそらく連日の疲れや、今日の日の緊張などからくるものだろう。
我慢しようにも次第に状態は悪化するばかり。
ここはニコラに頼んで一緒にお手洗いに行く事をお願いした。