譲れない
リチャードの手を引きながら急ぎ足で向かった先は、クリスがいる執務室だ。
彼は、子ども達の勉強を見る時間以外の一日の大半を執務室で過ごしていると、メイド達の仕事を手伝っている時に情報を知り得た。
屋敷の人事をクリスは担っている。
故に、今回の職場改変の件を彼に相談しようと考え、足を向けているわけだ。
途中、クロエとニコラの二人と廊下で鉢合わせた。
その際ニコラに、急ぎ足でどこに向かっているのか聞かれたので内容は省いてクリスのいる執務室に向かう事だけを伝える。
「そうだ! ちょうどメイド達の事も聞きたかったの! 二人も一緒に来て!」
――メイド長のクロエにも意見を聞かなきゃ。
「か、かしこまりました……」
「?」
クロエとニコラは私の意図がわからないままお互いに顔を見合わせ、戸惑いながらも後ろを付いてきてくれた。
執務室までもう少しという所で、リザとロミーナとも廊下で出くわした。
そんなに大勢でどこへ行くのか聞かれたので、ニコラ達と同じように内容を省いて目的地だけ伝える。
「クロエさんやニコラさん……リチャードさんまでいて、執務室。
マリアンヌ様……とうとう何かやらかしたんですか?! これからクリスさんにお叱りを受けに?!」
「違うわよロミーナ! きっと別の事よ! また何か面白い事を始めるのだわ。
それに、マリアンヌ様はすでにいろいろしでかしているじゃない」
「たしかに、それはあるわね」
――こ、この二人……最近、本人を前に箍を外し過ぎじゃない?
「ロミーナにリザ! たしかにマリアンヌ様はここ最近、いろいろしでかしているけれども、これでも奥方様なのよ! 失礼極まりないわ!」
――おぉ……ニコラもか。
「ちょっと、三人とも! いくら最近のマリアンヌ様が大層変わられて接しやすくなったとはいえ、言動は慎みなさい!」
私の口がついて出るよりも、クロエが三人を叱ってくれた。
そこはさすがとも言える。
それから、叱りを受けた三人に変わってクロエが私に頭を下げて詫びを申し出た。
「クロエが頭を下げる事はないわ。私は大丈夫よ。
だけど……そうね、三人には罰を与えなきゃね。
今日のお昼のデザートはなしという事にしておきましょう」
「そ、そんな! マリアンヌ様、あんまりです~~」
「デザートがない一日なんて、何を生きがいにしたらよいのですか?!」
「先ほどの事はお詫びしますので、デザートなしは考え直してくれませんか!」
罰としてデザートがないという事だけで、これほどまでの反応が返って来るものだろうか。
私は呆れて息を吐いて、未だ懇願をしている三人をよそにクロエとリチャードに先を行く事を促す。
クロエやリチャードはこのままで良いのかと困惑しながら私の後を付いてきたが、例の三人は懇願しても無駄だと諦めたのか、がっくりと項垂れながら後を付いてきた。
ようやく執務室にたどり着き、扉を軽くノックして中からの返事を待つ。
すぐさま返事が聞こえ、「失礼しま~す」と声を出しながら扉を開けて中に入ると、何やら大量の書類とにらめっこをしているクリスがいた。
彼は、こちらに視線を上げると酷く驚いた表情を浮かべた。
かと思えば、みるみるうちに怪訝なものへと変わっていく。
「マリアンヌ様、このような所へいかがされましたか。
それに、皆を連れていったいどうされたというのです」
「えっと、屋敷の事で相談があって……クリスや皆の意見も聞きたいなと」
「マリアンヌ様が相談……ですか。
あいにくではございますが、追われている仕事がありますので、お引き取りを」
私からの相談事と聞いて、彼の眉間により一層深いシワが出来た。
ロクな事ではないと思われているのだろうか。
それでも聞いてほしい私は、彼の前まで歩みを進めた。
「「お引き取りを」と申したはずですが」
「ごめん、今回ばかりは譲れない。どうしても聞いてほしいの」
「「今回ばかりは」ではなく、「今回も」の間違いでは?
いつも強引ではありませんか。
ですが、今はそれどころではありませんので」
「屋敷で働く皆に関する事なの。書類整理でもなんでも手伝うから……お願い」
私の言葉を聞きいれる気配もなく、再び書類に目を通したクリス。
こちらも負けてはいられず、真剣なのだと伝わるように彼をまっすぐに見つめて訴え出る。
私の気持ちが彼に伝わったのかはわからないが、少なくともクロエには届いたようで、後ろの方から擁護する声が聞こえた。
「ねぇ、クリス、あのマリアンヌ様がここまで言っている訳だし。
話だけでも聞きましょう?
最近のマリアンヌ様は理不尽な事はないし、屋敷のために尽力しているわ。
追われている仕事なら、私も手伝うから」
「……」
クロエの言葉にも煮え切らない表情を見せるクリス。
彼の中では、相当にマリアンヌへの信頼がないのだと改めて痛感する。
彼が何か考える素振りを見せ、息を吐いたのと同時に、クロエの声が部屋中に響いた。
「あ~~もう! いつまでも子どもみたいに嫌がってないで、いいかげんマリアンヌ様が変わろうとしている事を認めなさい! だからあなたはクリスちゃんなのよ!」
彼女が声を発したかと思えば、つかつかと足音が聞こえてきそうな速さで、私の隣に立ち並んだ。
「え、ちょ、クロエ?! 落ちつい――」
「マリアンヌ様、ここはこのおバカさんにビシッと言わせてください!」
「は、はい……」
クロエの言動に驚き、落ち着くように声を掛けたのだが、それは彼女の言葉によって制止され、あまりの剣幕にたじろいでしまった。
クロエは私に向けていた体を、今度はクリスに向ける。
そして机をバンっと叩いて身を乗り出した。




