マリアンヌという女性
メイドの二コラと屋敷内を歩きながら大広間に集まるように、屋敷の使用人たちに声を掛け始めた私たち。
どういう訳か皆、声を掛けると顔から血の気が引き、慌てた様子で駆けて行った。
「……あの~、皆さんどうしたんですか? 広間に集まれるか聞いただけなのに顔色悪くなって」
「……マリアンヌ様のせいでございます」
私はそれほど変な事をしでかしてしまったのだろうか。
仕事中のため、集まれないならそれはそれで十分と思っていたのだが。
それに、気になる事はいくつかあり、その中の一つは大広間に集まるように声を掛けた使用人は数人だけなのだが、まだまだいるであろう他の使用人の姿が見えない。
この広い屋敷で使用人を少数体制であるのは考えにくい。
これもあとでニコラに聞くとしよう。
だが、私が聞くまでもなく一つ目の疑問は解決された。
数分かけて着いた大広間には、すでに大勢の使用人たちが集まっていたのだ。
「えっと~……私達、数人にしか声を掛けていないのに、これだけの人数が集まっているのはどうして?」
――この人数……屋敷内にいる人全員って感じだ。ざっと30人くらいかな。
「……マリアンヌ様は一日に一度、私達使用人を大広間に集めるのですよ」
「え、日頃から? 何のためにですか?」
「それは……」
ニコラはすごく言いにくそうにしている。
やはり、マリアンヌの姿をしている私の前では言いにくいのだろう。
だが、知るためには彼女達からいろいろ聞かねばならない。
「お願いします! 私の事、教えてください!」
私が頭を下げて、しばらくしたのち頭を上げると、使用人の皆はひどく驚いた表情を浮かべていた。
さらには小声だが、ひそひそと話し声が聞こえる。
「あのマリアンヌ様が……」
「うそ、信じられない……」
ニコラだけにとどまらず、他の使用人にもこのように言われる始末。
マリアンヌは本当にどんな人物なのだろう。
ますます気になる。
「……ニコラ?」
「……致し方ありません。記憶がないのですから、お教えします。ですが、後悔なさらないでくださいませ」
――後悔ってどういう事?
ニコラは集まってくれた使用人たちに、私の記憶があいまいだという事を説明してくれた。
皆はさらに驚いた様子だったが、ニコラは気にせずに私に体を向けてマリアンヌの事を説明した。
「マリアンヌ様は……正直に申しますと、大変横暴な方でいらっしゃいます」
「……え?」
私の聞き間違いだろうか。
侯爵家に嫁いだ令嬢が横暴。
だが、今なお説明しているニコラは噓偽りを言っているようには見えない。
真剣なまなざしなのだ。
彼女の説明によると、マリアンヌは一日に一度、大広間に使用人を集めては、仕事の出来で揚げ足を取るように使用人に執拗に叱責をして、クビ発言をすると言うのだ。
クビといった所で、実際にはリシャール家の当主専属の執事が人事など、屋敷の運営を行っている為簡単にクビには出来ないが、心を痛めて辞めて行った者もいるそうだ。
さらに、普段は使用人に興味はなく、名前すら覚えないのに、気に入らない事があると使用人に対して嫌味な発言をすると言う。
「ちなみに、マリアンヌ様はご自分の事にしか興味ないのです」
「え、どういう事ですか?」
「一日中お化粧のお直しをしては鏡の前でうっとりされ、さらにはドレスやアクセサリーなどの衣替えをしております」
「え、一日中?」
「はい、一日中。さらには、旦那様に何通も恋文を書かれたり……あとは、お坊ちゃまやお嬢様たちにもキツくあたっておられます」
何て事だ。
聞かなければよかった。
彼女が言っていた「後悔」とはこの事だったのだ。
――マリアンヌ……あなた、そりゃぁ、使用人たちの反応に納得がいくわ。
ニコラは説明が終わると、ハッとした表情を浮かべ、次第に身をかがめてうつむいた。
「ニコラ? どうしたの?」
「い、いえ……。記憶がないとはいえ、こんなにも図々しく説明をしてしまったので。やはりクビでしょうか?」
「こんなことでクビにはしないですよ。教えてくれてありがとうございます」
「マリアンヌ様が……お礼を言った」
――なるほど。マリアンヌという女性の事が大体わかった。お礼も言わないんだね。
そうなると、謝罪もしないんだろうなぁ。
ここに来て転生した先の人物を知る事が出来たのは幸か不幸か。
自分に甘く、人には厳しいなど。
ましてや子ども達にも当たり散らしているという。
それでは悪役継母ではないか。
「えっと、ちなみに皆さんは何をされたのですか? その……私に」
私は他の者からもマリアンヌの事を聞こうと、最前列から順番に聞いて行った。
他の者からの発言。
それは痛々しいほどの出来事だった。
ある者は罵声を浴びせられたり、またある者はぬるいからと紅茶を掛けられたりと本当に様々だ。
――そんなのパワハラじゃない!
「ひどいわ! そんなことするなんて! どこの誰よ!」
「……マリアンヌ様です」
「……そうだったわね」
私がした事ではないけれど、マリアンヌの体で、マリアンヌがした事なら、人として誠意を見せるべきだ。
よって私は、皆の前に立ち、深々と頭を下げた。
「今まで、ひどい事をしてごめんなさい。許してもらえない事はわかっています。
だけど……せめて、謝罪をさせてください」
自己満足とかなんとか思われても致し方ない。
だがこれは人としての問題で、謝罪があるかないかで変わるものもある。
「すぐには……信じられません」
「私も……すみません。今はまだ」
それもそうだ。
これが普通の反応だと思う。
下げた頭の先で聞こえてきた声は戸惑いながらも、正直に気持ちを話してくれるものが大勢いた。
今はそれで十分だ。
「……お顔を上げてください、マリアンヌ様」
聞こえてきたニコラの言葉で頭を上げると、彼女は私の前に立ち、今度は彼女が深々と頭を下げた。
「正直、マリアンヌ様におびえていました。今も……怖い部分はあります。
ですが、以前のマリアンヌ様と違う事を信じて、私はマリアンヌ様に付いていきます。
それにあたりまして、先ほどの数々の無礼大変申し訳ございませんでした」
「ニコラ……あなたの言葉、裏切らないように頑張ります。よろしくお願いしますね」
私は頭を下げるニコラにそっと右手を差し伸べた。
気配を感じたのか、彼女は顔を上げ、私の手を左手で取ってくれた。
私が目覚めて間もなく、いろいろわかった事がある。
マリアンヌは屋敷の皆から恐れられ、口にはしなかったが、おそらく嫌われているだろう。
幸い、ニコラは正直に話してくれて、付いて行くと言ってくれたのだ。
私はこの信頼を守り、いずれは屋敷の皆に認められるように振舞っていこう。
そう、心に決めたのだった。