お願いは
皆からの言葉を受けて泣いているふりをしている私。
だが、ずっとこのままという訳にもいかない。
そういえば、にらめっこの勝負の行方。
思い返せば周りの兵士たちが笑い、それにつられたノアが笑い、ノアの笑顔を見たレオンが笑った。
笑顔の連鎖とでもいえるだろう。
だが私はというと、そんな彼らの笑顔を見て頬が緩んだのだ。
そうなると、勝負は私が勝ったことになる。
私が勝負の事を切り出したところで、はたしてレオンは敗北を認めてくれるだろうか。
私を嫌っている彼の事を考えると少し難しい気はするが、交渉を試みてみる価値はあるだろう。
そう思い立った私は、泣いているふりを止めて周りを伺うように顔を覆う手をゆっくりと横にずらした。
「そういえば、レオン君……さっきの勝負、私の勝ちって事でいいかしら?」
「……」
レオンは私の方にチラッと視線を向けると、すぐにまたそっぽを向いてしまった。
――これは……無言の承諾という事でいいのよね。
「認めたくないですが……言い訳や言い逃れもイヤですので」
「素直じゃないけど……致し方ないわね。それじゃぁ、どんなお願いをしようかしら――」
レオンは渋々と言った様子だが、勝敗を認めてくれた。
さて、どんなお願いをしようか。
私が少し考える素振りを見せると、レオンはノアの方に視線を向けながら彼女の前に両手を広げて立ちはだかった。
「今回の勝負、ノアは関係ありません。お願いなら、俺が聞きます。なので――」
――また、この目……。
何度目の事だろう。
レオンにこの鋭い視線を向けられるのは。
もう慣れてしまったと言えばそうかもしれないが、それでももう少し警戒を解いてほしいと思うのは私のワガママだろうか。
「レオン君、無理難題は言わないわ。その敵意を向けるのはやめて欲しいのだけど……」
「いつまたあんな風になるかわからないので」
「あんな風」とは、傲慢で皆にキツくあたる態度の事だろう。
それからヒステリックだ。
――たった一週間じゃ、まだ信頼がない……か。そうだよね……。
今の彼等との距離を考えると、勝負の条件を受け入れる事は苦痛な事だろう。
ならば、選択してもらおう。
時間はまだあるんだ。
今すぐ無理に距離を縮める必要はないのだから。
「それじゃぁ……お願いを言うわね。聞くかどうかは任せるわ」
「お願いを聞くかどうか……選んでもいいのですか」
「いいわよ。無理にお願いするつもりはないのだから」
「わかりました。それで、お願いはなんですか」
「今日の夕食、一緒に食事をして欲しいの。それだけよ」
「え……それだけ……ですか?」
「そうよ?
本当は5メートルの距離を縮めてとか、会える時間をもっと長くして……って言いたいところだけど、今は一緒にご飯、それだけで十分よ」
私のお願いの内容が意外だったのか、レオンは目を丸くして何度かまばたきをしたのち、広げていた両手が力なく下がり始めた。
そんなレオンの腕を、ノアが控えめに引っ張っている。
「どうした? ノア?」
「……」
ノアは言葉はないが、小さく何度も頷いた。
そして一瞬だけ私に視線を向けて、再びレオンに頷きを見せた。
「もしかして……お願いを聞くっていうのか?一緒にご飯食べるのか? あの人と……」
「……」
ノアはうつむき、レオンの問いに小さくだが頷いた。
「ノアが……そういうなら」
ノアの頷きにレオンは、一息ついて彼女の頭を優しくなでた。
そしてその後、体を真っ直ぐ私に向けて条件を聞くと言ってくれた。
レオンは警戒している様子を見せるが、ノアは彼と違って少しは信用してくれているのだろうか。
それとも、彼女なりの理由がなにかあるのだろうか。
声の出ない今は聞けそうにない答えだが、いずれにしてもノアの気持ちは素直にありがたい。
今日の楽しみがまた一つ増えたのだから。
話もまとまり、懐中時計を手に取って時間を確認すると、子ども達と会っても良いと許される時間がとうに過ぎていた。
このままここにいてクリスチャンに見つかるのはマズい。
そう思った私は立ち上がり、子ども達に「また夕食の時に」と軽く手を振って扉に足を向ける。
するとその時、ノックのする音と同時に扉が開かれた。
入ってきたのはクリスチャンだ。
――や、やばい。子ども達に10分以上も会っているのがバレるのでは。怒られるかなぁ。
「こちらにいらしたのですね……マリアンヌ様」
「え、えぇ……」
クリスチャンの姿を見た私は、規則違反という自覚から体が委縮してしまう。
そんな彼は私を見るなり、目を見開いてその場で固まってしまった。
「マリアンヌ様……その血痕。とうとう誰かを刺して……」
「あなたまでそんな……。私の鼻血よ。証言ならこの場にいる皆がしてくれるはず」
「そうでございましたか。
それにしても、そのお姿……はしたないと言いますか……不格好と言いますか。貴婦人の面影もないですね」
「返す言葉もありません……」
メイド服に血痕、それに鼻の詰め物。
これを見る限り、確かに貴婦人の面影はないだろう。
私自身、先ほどの勝負の際に女子を捨てたような発言までした。
だからと言ってここまで言われるとは、あまりにも冷たい反応ではないだろうか。
いや、この際、お咎めがないのを安堵するべきか。
彼は目を見開いていた様子から一変して、いつものポーカーフェイスに戻り、背筋をピンと伸ばした姿勢で部屋に入ってきた。
そして子ども達の近くまで行ったところで振り返り、何かを思い出したような様子を見せた。
「そういえば、クロエがマリアンヌ様を探しておりましたよ。
仕立て屋がどうとか言っていましたが……」
「きっと、前にニコラにお願いしていた仕立て屋ね。教えてくれてありがとう」
私がクリスチャンに笑顔を向けると、彼もまた私の笑顔に慣れないのか、戸惑った表情を見せた。
私はその事に「ふふっ」と小さく笑顔がこぼれた。
そしてこの場に残る皆に軽く手を振ってニコラと一緒にクロエのもとに向かったのだった。