わかったようでわからない
見知らぬ部屋で目覚めた私は、状況を把握しようと部屋の中を一通り見てまわった。
ここがどこだか知るために、窓に近づいて外を眺めてみたが、整った木々が見えるばかり。
見慣れた街並みが一向に見えてこない事に、ここは住んでいた街とは別の場所なのだと瞬時に理解した。
そして次に、部屋に備え付けてある三面鏡に近づいた。
カバーを外して鏡を覗くと、整った顔立ちに頭には包帯が巻かれ、パステルカラーの青い瞳を持ち、そして胸まである金色の長い髪の美女だった。
「え、これ……私? じゃなくて、えっと、マリアンヌ……だっけ? 美人顔だなぁ――」
鏡に映る見知らぬ姿。
その姿をまじまじと見るが、容姿以外にも頭の包帯に目が移る。
そう言えば少し頭に痛みを感じる。
鏡の前で見知らぬ顔のほっぺたを横に引っ張ってみる。
ほっぺたにも少しの痛みを感じるという事は、夢ではないらしい。
正真正銘の異世界転生というものだ。
現代日本で暮らしている時に小説や漫画、アニメなどのメディア媒体でよく目にしていたが、まさか自分自身の身に起こるとは思いもしなかった。
そもそも、今思えばおかしな話だが、付き合っていた恋人に浮気されて「重い」と振られ、その後に児童をかばって事故にあって。
命を落として見知らぬ土地で見知らぬ女性に転生。
踏んだり蹴ったりとはこのことだと思う。
――思い出したら落ち込んできた……。
時間差はあれど、児童を思って落ち込めなかった分、今更ながらに気持ちが沈む。
「あ~もう! なんっであんな人と付き合ってたの私~!!!」
付き合った経緯はいろいろあるけど、彼の子どもっぽいしぐさとか、見ていないと危なっかしいところを好きになったんだと思う。
母性本能というやつだ。
――まぁ、日本での茉里奈の体はもう駄目だろうし、私は私でマリアンヌとして生きていくしかないんだよね。はぁ……。
場所の把握も、自身に何が起こったのかもなんとなくわかった。
だが、残る問題は一つ。
マリアンヌとはいったいどんな人物なのだろうか。
先ほどのメイドの様子も気になる。
先ほどのメイドからいろいろ話を聞こうと部屋の外に向かって声を掛けてみた。
すると、恐る恐る扉が開かれ、控えめな様子で部屋の中に先ほどのメイドが入ってきた。
「……お呼びでしょうか」
「あの~、いくつか質問が――」
「はい! なんなりと! 腹はくくりました! なんでも申してくださいませ!」
「えっと、あの……そんなにかしこまらなくても」
「ですが、私はクビですよね! もうお暇を出す決断を出したのですよね!」
先ほどからメイドの言動に話が見えない。
話を進めるために落ち着いてもらわないと困る。
「話が見えないので、一度落ち着いてください」
目の前の彼女は落ち着きを取り戻そうとしてくれているのか、深呼吸を何度か繰り返す。
「すみません……落ち着きました」
「よかった。さて、聞きたいのだけど――」
彼女が落ち着いたのを確認して、知りたかった事をいくつか質問すると、恐る恐るといった様子でゆっくりと答えてくれた。
問題のマリアンヌとは、26歳で半年前にこの屋敷、リシャール家の当主に奥方として突然連れてこられたとの事。
いわば、政略結婚だ。
「貴族のトップであるリシャール侯爵家に嫁ぐことは大変喜ばしい事なのですよ。
貴族の皆さまの憧れの的……それなのに、マリアンヌ様ときたら――」
「え? 後ろの方、上手く聞き取れなかったのですが……」
「い、いえ、なんでもございません!」
彼女の最後の方の言葉は聞き取れず疑問に思ったが、彼女は慌てた様子で話をそらし、私の質問の続きを話してくれた。
リシャール家の当主はマリアンヌより七つも年上で、二人の子を持つ者らしい。
「えっ、子ども……いるのですか?」
「えぇ、おります。いつもお会いしているではありませんか……」
そんな事を言われても、マリアンヌの時の記憶はないのだから致し方がない。
それにしても、子どもがいるのならぜひとも会ってみたい。
どんな子達なのだろうか。
そんな事を胸に、期待を寄せていたのだが、彼女は少し不満げな表情だ。
何か理由があるのだろうか。
「あの……その子達に会えますか?」
「お会いできますが……警護が厳重でございます」
――それは……侯爵家の生まれだから?
「それでも、いずれは会いたいです。あ、そうだ! 私がケガをしている理由は?」
「それは……」
何か言いにくそうにしている彼女だが、しびれを切らした私が少し強めに問い詰めると、腹をくくったように瞳に力を込めてまっすぐに視線を合わせて説明した。
「私の不注意で花瓶を割ってしまいまして……。
流れ出た水によって、通りすがったマリアンヌ様が足を滑らせて頭を打たれたのです。
申し訳ありませんでした!」
「……なるほど、滑って頭を」
――あ、だからクビがどうのと言っていたのか。それにしても……。
「間違いは誰にでもある事ですよ。どうしてそんなにおびえているのですか?」
「マリアンヌ様、どこか打たれましたか……お叱りにならないなんて」
「……あいにく、頭を打ちました」
「そ……そうですよね」
少しだけ沈黙が訪れた中、おずおずと視線を上に向けたり、下に落としたりしながら彼女は小さな声で呟くように言葉を発した。
「……お暇の件は」
「お暇? クビって事? こんな事で? まさか、そんな! しませんよ! むしろいろいろ教えてください! あ、あと、あなたの名前も!」
「……ニコラと申します。マリアンヌ様は、本当にマリアンヌ様ですか?
お叱りもせず、許してくださり、名前を聞きたがるなんて」
いろいろ質問したが、わかったようでわからない。
いったい彼女をここまで言わせるマリアンヌとは、どういう人物なのだろう。
もっと知らなければいけない。
私はいろんな人の口からマリアンヌという人物を知るために、彼女に一つ無理難題をお願いしてみる事にした。
そのためには、記憶があいまいという事にする必要がある。
「えっと、どうやら記憶があいまいなので、私という人物を知るためにどこか広いところにお屋敷の使用人全員を集めてもらってもいいですか?」
「あ、それならいつもの事ですので、すぐに声をかけてまわりましょう!
記憶もあいまいという事であれば、いつもの大広間まで私も一緒に参ります!」
「は、はい……お願いします」
いつもの事?
私はてっきり断られるか、渋られるかのどちらかと思った。
なぜなら、お屋敷の使用人全員という事は、お屋敷内で働いている使用人たちの事を言ったのだ。
それなのに、彼女はお安い御用とでも言うように軽やかに返事をした。
ますます謎は深まるばかりだ。