辞めないで欲しい
食堂に着いた私は、食堂の内装に気持ちが昂ったり、一か所にしか置いていない銀食器に現実を突きつけられ、気持ちが沈んだりしていた。
この広く長いテーブルにポツンと置かれた銀食器。
それはマリアンヌのために用意されたものなのだが、なんとも寂しい光景だ。
自業自得だとはわかっているが、子ども達がいるというのに、一人で黙々と食べる姿を想像すると、やるせない気持ちになり、同情すら覚えてしまう。
そんな事、彼女に言えば、余計なお世話だと言われるだろうか。
物思いにふけっている私の傍らで、ニコラは私が座る所であろう椅子を引いた。
特に促される事もなかったのだが、自然と体は動き、ニコラにお礼を伝えながら引いてくれた椅子に腰を掛ける。
私が椅子に腰を掛けてから数分後。
一人の執事がトレーを運びながら私の方に近づいてきた。
彼は私の姿を見るなり一瞬驚いて、その場で立ち止まってしまった。
「え~……マリアンヌ様……ですか?」
「そうよ?」
「そのお姿はいったい……」
「いろいろあってこの姿にしたの。変かな?」
「い、いえ、とてもよくお似合いです」
「ありがとう」
彼はぎこちない様子で再び歩き出し、料理をゆっくりと目の前の空いているスペースに置いてくれた。
彼が最初に置いたのはスープだ。
今あるテーブルマナーの知識は、転生前に両親に連れて行ってもらったレストランで見よう見まねで覚えた記憶だ。
その記憶を使って銀食器を手に持ち、スープをすくって口に運んでいく。
口の中に広がるうまみに、小さくだが、思わず声がこぼれてしまった。
そして一度は言ってみたかったセリフがある。
「ねぇ、ニコラ……料理長を呼んでくれる?」
私の言葉にニコラは、先ほどまでの柔らかい表情とは違い、強張った表情になりながらお辞儀をして、厨房の方へ軽く走って行った。
ニコラが厨房の方へ行ってすぐの事。
顔を真っ青にしながら慌てた様子のニコラと、料理長らしき人物が私の傍まで駆け寄ってくる。
「マ、マリアンヌ様、お呼びでしょうか。また料理が至らなかったでしょうか……」
「あなたが料理長?」
「は、はい……ライムと申します」
「あなたの料理――」
私は立ち上がり、ライムと名乗った料理長を真っすぐに見据えた。
彼は緊張しているのか、ごくりと固唾を飲む。
だが、次の私の言葉によって彼やニコラは呆気にとられた表情に変わったのだ。
「あなたの料理、素晴らしいわね! すっごく美味しいわ!
こう~……食材の味が濃厚で、香りも口の中にぶわぁ~っと広がって!
この料理を日ごろから作っているのよね! すごいわ! 子ども達にもこの料理を出しているの?」
「え、いや、あの、あ、……はい」
「ぜひ私を弟子にしてくださらない?! あなたのもとで料理を習いたいわ! そして私も作ってみたいの! こんなにも濃厚なスープを!」
「あ、あの……」
――はっ、やってしまった。あまりの美味しさについ興奮してしまった。
私のはしゃぐ様子に彼らは若干引いている様子だ。
だが、青ざめていた表情はどこかへ行き、戸惑う様子もうかがえる。
「えー……マリアンヌ様、お咎めなしですか?」
「えっと……どういう事?」
ライムの発言に、私は言葉の意図が分からず首をかしげる。
そのライムも他の者と同じように視線を泳がせながら、言葉を選んでいる様子だ。
マリアンヌはきっとここでもクビ発言をしたり、キツくあたっていたのだろう。
これは改善しなければならない。
「ライム……さん? クビにはしないので、何かあるのなら聞かせていただけませんか」
「は、はい……。マリアンヌ様はいつも私の料理がマズいと仰られるので。
ある時は味が濃ゆいだとか、ある時は味がしないだとか。
三か月もそのような事が続きましたので、今日付でお暇を頂こうかと」
「……。お暇?! やめるって事?! ダメよ、そんなの! こんなに美味しい料理を作ってくれる料理長が辞めたら、私はどんな料理を楽しみに生きていけばいいの?!」
「で、ですが……」
「今までの事は本当にごめんなさい! この通り、お願いします!」
「そ、そこまで……」
やはりマリアンヌは、料理長に対してもキツくあたっていたようだ。
誰に対しても似たような言動を振舞うマリアンヌ。
そのせいで優秀な人材が減ってしまうのは実に惜しい事だ。
それなら、頭を下げて許しを請おう。
もともとはこの体の持ち主、マリアンヌのした事だ。
「マリアンヌ様、頭を上げてください。熱意は伝わりました。
今までに見た事のない、本当に美味しそうなお顔……嬉しかったです」
「ライムさん、今まで本当に申し訳ない事をしたわ。
あなたさえ良ければ、このまま辞めずにこのお屋敷で働いてほしいのだけど」
私は顔を上げて、彼に精一杯の気持ちを伝えた。
これで辞めるというならば、もう止める事は出来ないだろう。
だが、叶うならば。
「わかり……ました。ここまで仰られて、辞めるのは……悔しさが残ります」
「本当?! 本当に辞めないでくれる?!」
「は、はい」
「よかった~! お願いを聞いてくれてありがとう! これからもお料理が楽しみよ」
「本当に……変わられましたね。以前とはまるで別人だ……」
「今後は今の状態でいくから改めてよろしくね、料理長のライムさん!」
私は彼に右手を差し伸べて握手を求めた。
それを見た彼も、戸惑いながら、それでいて照れくさそうにおずおずと手を差し伸べてきた。
私は彼の手を取り、改めて笑顔で伝えると、残りの料理を食べるために再び椅子に腰かけた。
そして再び料理を口に運んでいき、スープを始めとしてデザートまでのフルコースを平らげた私は満足げにお腹をさすった。
私が料理を頬張っている間、ライムとニコラは終始驚きを隠せない様子で私を見ていた。
食べる様子をジッと見られるのは恥ずかしいものだが、出てくる料理すべてが美味しいので、それさえも気にならないほど食べる事に夢中になったのだ。
二人の口からは、マリアンヌがこれほどまでに美味しそうに食べるのは一度としてなかったと言っていた。