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「エレノーラ様、お戻りになられてよかったです。お迎えにあがろうと思っていたところでした」
アリーチェさんがほっとした顔であたしを出迎えてくれた。
「心配かけちゃってすみません」
素直に謝る。
「いいえ。なんだか顔色が良くなっているので安心いたしましたよ」
にこにこと返事をしてくれるアリーチェさんに、あたしも安堵した。
やっぱりゴシップ紙のことが気にかかっていたからだ。
「お荷物は?」
アリーチェさんが不思議そうに聞いた。あたしが散歩に持って行ったゴシップ紙のことだ。
「それが、あの研究員の人が処分してくれるって言うからお願いしちゃいました」
「そうでしたか。顔色が良いのもその方のおかげなのですね」
アリーチェさんはなんだか嬉しそうだ。心配をかけてしまったことを反省する。
「その人の名前って、アリーチェさん知ってますか?」
「ベリンダさんですね。もちろんわたしくどものエレノーラファン同好会に勧誘いたしました」
ちょっと得意げに微笑むアリーチェさんがだいぶクセになってきたあたしは、すごく嬉しかったけれど、多分人違いだ。
「ベリンダさんってあの女性の方ですよね。昨日のもう1人の男性の方なんですけど。あたしがぶつかった」
「男性の方は存じ上げず申し訳ありません。あとで調べておきますね」
アリーチェさんを巻き込むわけにはいかない。あたしのファンには素直にあたしの踊りを見てほしい。
「それなら大丈夫です。今度本人に聞きますから。それより、近いうちに王宮で皆さんに踊りを披露する機会をつくりたいと思っていて」
アリーチェさんに先程の計画を話すと、嬉しそうに一緒に考えてくれた。
あたしはあの男に少し、そう、ほんの少ーし執着してしまったけれど、王宮にいる間に王宮内のエレノーラファンを増やすために動かなければならないのだ。
その一環にあの男をファンにさせるという目的があるだけで、1番の目的はあたしが国1番の踊り子になるということ。
そうこうしているうちに、クラリーサ様との約束の時間になった。
お針子さんと一緒にクラリーサ様がやってきて、あたしの体を採寸した。2、3着なんて言っていたけれど、クラリーサ様とお針子さんの会話の内容的には5着くらいありそうだった。
正直、あたしはそんなにドレスはいらないんだけどなぁ。
それよりも、踊りの衣装をもう少し増やしておきたいなぁなんてぼんやり考えていたら、クラリーサ様が鼻息を荒くしてあたしにデザイン画を見せてくれた。
「さぁエレノーラ様、次はこちらですわ」
てっきりドレスのものかと思いきや、それは踊り用の衣装だった。異国のようなベールをつけたもの、おへそを大胆に出したもの、片足だけのぞくスカートなど、この国では珍しいデザインばかりだった。
「すごい……」
あたしは思わず感嘆の声をあげていた。
「いつものお衣装もとっても素敵ですけれど、どちらで仕立てていらっしゃるのですか?」
クラリーサ様の問いかけに、アリーチェさんも「私も気になっておりました!」と小さい声で小さく手を挙げた。
「いつもの衣装は、組合のお針子さんが作ってくれたものです。デビューしたての頃なんかは、お姉様方のお下がりでしたけど」
持っている衣装は、胸から下に薄い生地を何枚か重ねて、蝶の羽のようなアームバンドに、同じ生地のスカートだ。もちろん胸元から太ももまでは透けないようにタイトな生地でインナーを着けている。スカートの中は、チラリと見えても良いようにしてあるというわけ。
そんな見た目の衣装だから、貴族のご婦人方には良い顔をしない人もたくさんいる。だからこそ、クラリーサ様やアリーチェさんのように貴族のお嬢様のファンがいることが新鮮だしとても嬉しい。
「あの、どうしてクラリーサ様もアリーチェさんもあたしのファンになってくださったんですか? 貴族の奥様方って、あんまり踊り子が好きじゃない方が多いでしょう? 踊り子に良い印象なんてないと思って。失礼なこと聞いてすみません」
勇気を出して聞いてみる。こんなチャンスは、もしかしたら今後ないかもしれない。いつ王宮を出ることになるかわからないし。
「そうなのです。わたくしのお母様もあまり好ましいとは思っておりません。けれど、わたくしはエレノーラ様の踊りに魅了されたのです」
少しお茶でも飲みながらお話ししましょうとアリーチェさんがテーブルにティーセットを用意してくれた。
「あれは学院からの帰り道でした。馬車の窓からエレノーラ様のステージが見えたのです。笑顔がキラキラと輝いていて、そこだけ光が降り注いでいるかのようでしたわ。わたくしは馬車を止めて遠くからステージを見せていただきました。その頃、殿下の婚約者候補であったわたくしは、ままならない出来事に辟易しており、学院へ通うことも悩んでおりました。けれど、エレノーラ様の踊りはそんなわたくしを応援してくださるようで、とても励まされたのです。おかげでわたくしは学院に残ることを選び、殿下との絆も確かなものとなりました。エレノーラ様には感謝しかないのです」
そこまで話してくださったクラリーサ様はひとくち紅茶を口に入れた。あたしもそれに倣う。クラリーサ様のように音を立てずにカップを置くことはできないけれど。手汗もすごいし。
「ステージを拝見させていただくたびに違う衣装を身に纏い、まるで妖精のように舞う姿がとても美しく、貴女の笑顔にたくさん勇気をいただきました。わたくし、エレノーラ様のお姿をもっと近くで見たいとわがままを言って、わずかな時間でしたけれども、変装してステージの近くで拝見させていただいたこともあるのですよ」
うふふと茶目っ気たっぷりに言うクラリーサ様がとても嬉しそうで、あたしはとても照れてしまった。
「もちろん殿下もお忍びでわたくしとご一緒してくださいました」
「そんなことまで!」
やっぱり王子様もお忍びで街に繰り出したりするんだ! 物語の中だけじゃないんだ! となんだか喜んでしまうミーハーなあたし。
喜ぶところはそこではないと「ファンになってくださってありがとうございます」と深々と頭を下げた。
「そんなふうに言っていただけて、本当に嬉しいです。これからの励みになります。クラリーサ様にずっと好きでいてもらいたいから、あたしももっと頑張らなきゃいけないですね」
貴族令嬢だからと、あたしの方が壁を作っていたのかも。
見てくれる人の嫌なことが少しでも忘れられたら、楽しい気持ちになってくれたら嬉しいと思って踊ってきた。だから、励まされたという言葉は本当に嬉しかった。
「次はアリーチェさんのお話も伺いたいですわ」
にこにことクラリーサ様が少し後ろにいるアリーチェさんに声を掛けた。
「ええもちろんです!」
アリーチェさんも嬉しそうに笑顔が輝く。腰のあたりでガッツポーズしているように見える。
「そんな後ろにいらっしゃらないで、こちらで聞かせてくださいな。好きなお方の話をするのはとても美容に良いと聞きますし、わたくし以前から同志が欲しかったのです」
クラリーサ様がアリーチェさんを手招きした。
んんんー? それって恋バナ的なヤツじゃないんですか?
と思ったけれど、あたしは口には出さなかった。
「ありがとうございます。クラリーサ様にもぜひエレノーラファン同好会に入っていただき、名誉会長に就任していただきとうございます! やはりエレノーラ様の好きなところを語り合うと元気が出てくるのですよね!」
もしかすると、美容というよりは、好きなことの話をすると健康にいいってことかなと思い直した。
「私がファンになったのは王宮勤めを始める前でございました。あの日は急に雨が降り出して、みんなが撤収していく中、エレノーラ様だけが雨の中踊り続けていたのです。私はそんな姿を応援したい、と。そこから私のエレノーラ道が始まりました……」
エレノーラ道ってなんだろうと思ったけれど、アリーチェさんの言葉選びってなんだか面白いよねと納得することにした。クラリーサ様は「まぁそんな事が」と口元に手を当てて聞き入っている。
まさか、お二人があたしのファンになったきっかけをこんなに早く聞けるなんて思わなかったな。ファンからの評価はとてもくすぐったくて心地よい。ありがたいし、嬉しくてもっと頑張ろうと思える。だけど、あたしに都合の良い言葉だけ聞いているわけにはいかないということも、もちろんわかっている。
大丈夫。初心を忘れるな、だよね。