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ぜぇぜぇと苦し気な息遣いが部屋に響く。
ルアーンは解毒剤を手にしたまま躊躇っていたが、横たわるウォルフにゆっくり近付いて濡らしたタオルで彼の顔を拭った。
「ウォルフ、解毒剤は飲めそう?」
「あぁ……」
苦しそうにしながらも体を起こしてくれたので、解毒剤を口元まで持って行って飲ませる。喉仏が上下して彼の体が力なくソファに沈み込んだ。
再びソファに身を預けたウォルフの額の汗を拭う。彼の頬には朱がさしていて、汗を拭うくらいしかできない自分が嫌になる。
「水を……」
解毒剤が効いてきたのだろう。苦しそうな息遣いが幾分かおさまったウォルフが掠れた声で言った。
おそらく三十分ほどしか経っていないと思うが、ルアーンとしては非常に長い時間が経過したように感じた。
ウォルフが半身を起こすのを手伝って水を口元まで持っていく。飲み終わるのを確認してコップをテーブルに戻そうとしたがウォルフに手首を掴まれた。
「あっ!」
ウォルフが予想よりも飲まなかったため、水が大半残ったコップからこぼれてウォルフのシャツに思い切りかかった。
「ご、ごめんなさい。お水足りなかった?」
「いや」
水だからシミにはならないが、冷たいだろう。慌ててシャツのボタンをはずしてタオルで拭いて……はたと気付いた。ウォルフはされるがままになっている。
私って今、ウォルフの素肌普通に触ってない? タオル越しだけど。シ、シャツのボタンを凄い勢いで開けてしまって……しかも二つくらいなら言い訳ができるのに五つほどボタンは開いており、鍛えて筋肉のついた腹まで見えかけている。
視線がそこに行きそうになるのを慌てて引き戻す。これってもう私、痴女では?
あまりの事態に固まって顔に熱が上る。そんなルアーンの頬にウォルフが手を伸ばして触れたので体が大きく跳ねた。
「君が無事で本当に良かった」
「あ、はい。ウォルフも……」
熱い手のひらで頬を撫でられ、余計に熱が集まる。ウォルフのこの状態は無事の部類に入るだろうか。
「あの王女が最終的にどんな手を使うか分からなかったから。刺激をしたら余計に」
タオルで彼の胸元にこぼれた水を拭く体勢で固まったまま、ルアーンは微かに頷く。この体勢そろそろやめていいかしら。でも、彼の肌はまだ濡れているし……。
「騎士団も動かす手前何も伝えられなかった。ごめん」
今度は首を横に振る。
分かっている。結婚しているならまだしもまだ婚約段階の女に、騎士団まで動かすような事案を言えるわけがない。そもそも王族のやらかしではあるのだ。情報漏洩なんてしたくないだろう。
もしルアーンが変な動きをして、計画が水の泡になってしまったらそれこそ不味いだろう。結局、予想外の行動をとってしまったようだが。
「エミリー嬢にルアーンを呼びに行かせることも知らなくて」
あぁ、なるほど。だから誰かと一緒にいてと去る前に言ったのか。
「殿下にはルアーンを絶対に危ない目に遭わせないでくれと言っていたのに。だからやばそうな薬だって飲んで大人しく捕まっていた」
ふぅと息を吐く様子は催淫剤のせいか、多大な色気を含んでいる。
「本当に無事でよかった」
「ウォルフも……あの王女に連れて行かれなくて良かった」
「まさかルアーンがこの部屋にまで乗り込んでくるなんて。心臓が止まるかと思った」
「いやだって……エミリーさん怪しかったから」
「しかも王女相手に啖呵切るんだから」
「だって。ウォルフと婚約解消しておいてオルレーヌに愛人として連れて行くなんて……ウォルフに対して酷すぎて」
「一夫多妻制の国だからってよくあんな発想に飛ぶよな」
頬にあった手のひらが頭の後ろに回って、ぐっと引き寄せられる。
タオルを掴んでいた手がずるっと滑って、ウォルフの素肌に手が触れる。ひぃっ正真正銘の痴女になってしまうと思っている間に唇を塞がれた。
ルアーンは思いっきり目を開けたままだが、ウォルフは目を閉じている。端正な顔があまりに至近距離にあってどこを見たらいいのか分からない。
婚約段階でキスは破廉恥ではないだろうか。い、いやらしくない?
しばらく息ができなかったが、やがて唇が離れる。
慌てて体を離そうとしたが後頭部をウォルフの手で押さえられていて無理だった。彼の目が開いて紫の綺麗な目と恐ろしいほどの至近距離で見つめ合う。彼の目は潤んでいて、しかも熱い。手のひらではなくて視線が熱い。
「こんな私でも結婚してくれるのか?」
今それを聞くの? 今、この抗いがたい色気を漂わせた状態でそれを聞くの? それにさっきキスまでしたのに?
「ウォルフはあの夜会でプロポーズしてくれたじゃない」
「あれは婚約者にして欲しいと懇願しただけだから」
そうだっただろうか。もうそれは貴族で言えばプロポーズだろう。お互い王族に振り回された二度目の婚約なので解消はあり得なかった。
彼の手が後頭部からまた頬に戻って来る。
「今日乗り込んできたルアーンを見てまた惚れ直したから」
「……だって、ウォルフがなかなか帰ってこないから。何かに巻き込まれたのかと」
最初はウォルフの浮気を疑っていたなんて言い出せる雰囲気ではない。でも、第五王子の時は彼がどれだけ浮気しようとどうでも良かった。ウォルフに関してはどうでも良くなかった。
「ルアーン・ヴィクトル嬢。私と結婚して欲しい。最初に見た堂々とした君も、さっき部屋に乗り込んできた君も、今の恥じらっている君もすべて愛おしい」
発火するのかと思うほど顔が赤いはずだが、ルアーンはウォルフと視線を合わせて頷いた。
あの時と状況は逆だ。喋っているのはウォルフだがルアーンが跪いていて、彼はお姫様のようにソファに寝そべっている。
「頷いてくれたということでいい?」
ルアーンがあまりの恥ずかしさに返事の代わりに視線をあらぬ方向に向けていると、またウォルフの手がルアーンの後頭部に回った。夜会のために完璧に整えられた髪はすでに乱れている。
その後「片付いたからそろそろ帰っていいって」と呼びに来たウィンク令息にばっちり見られることになるのだった。




