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それにしても――。
男爵令嬢にしては上等なドレスだ。
ルアーンはついていきながら前を歩くエミリー・ジュール男爵令嬢を観察する。
差別的な意味ではない。高位貴族であればあるほど服の生地は高級品だ。前を歩く令嬢の生地も高級品に見える。
男爵令嬢なら成金でお金があるのかしら? それならもっと浮かれてフリルやレースをつけるだろうし、こんな落ち着いたデザインを選ぶかしら。今の令嬢の流行りはこんなにシンプルなものではないはず。
「ねぇ、彼は何と言ってあなたに伝言を託したの?」
「ヴィクトル様をどうしても連れてきてほしいとしか……」
エリミー・ジュールは困ったように答えた。
「私はあまり社交が得意じゃなくて。あなたをお見掛けしたことがないのだけど、よく夜会には出席するの?」
「はい、父の仕事の関係でよく招待を受けます」
落ち着いた返答だ。本当に男爵令嬢なのかしら。でも、根っからの商売人ならこの落ち着きも納得できる。ご令嬢で家の仕事手伝っている方けっこういるものね。
でも。ウォルフがこの人に本当に伝言をお願いするのかしら。
小説を趣味で書くからもちろん、本を人よりも読んでいた方だ。
大体の本の中で、ヒロインが知らない人に「○○が呼んでいる」とか「○○に頼まれた」と言われてついて行ってピンチになっていなかった?
この屋敷に住んでいるわけでもないのに、彼女の足取りには迷いがない。
やっぱり怪しいかも。疑いすぎとも考えられるけど……。
ルアーンはそこで初めて周囲を見渡す余裕ができた。どんどん人気のない方向に進んでいっている。
あ、これはマズイ。どうしようかと周囲に目を走らせる。
たまたま立っていた、下げた食器を持つ給仕らしい使用人と目が合った。彼は私を見て首を振る。
なんだか本当にマズイようだ。さて、どうするか。
それ以上思考する時間はなかった。これで考えすぎだったらもう後でいろんな方面に誠心誠意謝るしかない。
ヒールのある靴をその場で脱いでかがんで回収すると、ルアーンは令嬢に背を向けて元来た道を走った。令嬢らしいなどということはかなぐり捨てて。
「あ! ちょっと!」
後ろから男爵令嬢の慌てた声がするが、振り向かない。
こういう時はおそらく、ウォルフから遠ざけようとするはずよね。今更戻ってさっきの給仕を捕まえるわけにもいけないし……あぁ、今更だけどちょっと失敗したかも。早まりすぎた?
夜会会場に近くになるとさっと靴を履く。
運よく、ウォルフを呼び出したはずの同僚が会場へと入っていくところだった。
「あの。ウォル……アダルウォルフ・バートンは今どちらへ?」
わき目も降らず駆け寄ると、同僚は不思議そうな顔をした。
「休憩室近くの廊下で少し話をしてすぐに別れましたが……まだ戻っていませんか?」
「少しというとどのくらいですか?」
「ここから出て話して戻る時間まで考えると、十分くらいでしょうか」
「では、どこかですれ違ってしまったのかもしれませんわ。ありがとう」
同僚からは葉巻の臭いがした。吸っていたのだろう。
さて、ウォルフはどこに行ったのか。
知り合いと談笑していて時間はよく見ていないが、十分以上は絶対にお喋りしていたはずだ。同僚の方も信用できるのかもしれないけど……彼が発端でウォルフがいなくなったのだし。
ちらと後ろを振り返ったが、男爵令嬢は追いかけては来ていないようだ。
ちょうど今から行こうとする方向には化粧室がある。
笑顔で同僚に挨拶すると、男爵令嬢に連れて行かれそうになったのとは反対方向にルアーンは歩き始めた。




