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「バートン公爵家が支援している芸術家たちの作品も展示されているから、ぜひ君にも鑑賞して欲しかったんだ」
「こちらは独創的な色使いですね」
「この人は特に変わった人でね、年に絶対三回は引越しするんだ。ずっと同じところにいるとインスピレーションが湧かなくなるって」
「引っ越しが刺激なのですね。奥様は大変ですね」
「奥方も変わった方で、物件を自ら探してくるらしいんだ。今は山の中に住んでいるんじゃないかな」
「あぁ、だからこんなに緑の描写がリアルなんですね。まるで森の中にいるのかと思うくらい」
ウォルフにエスコートされて美術館を歩く。
今回は非常に有名な展示品はないので、それほど人がいない。有名な展示品がある時はむしろごった返していてちゃんと鑑賞できない。
コアなファンと見られる老紳士や芸術家らしき若者たちが展示品をゆっくり見ている。
「絵に興味があるか不安だったけど楽しんでくれたかな?」
「芸術に詳しくはないのですが、今まで見てきたものとは違ってとても色鮮やかでした。刺繍にも活かせそうです」
「他国で新しくできた絵具を画家に提供していてね。それがこれまでと違う色使いに一役買っているんだ」
美術館を楽しんだ後は貴族がよく利用するカフェに入って絵画の感想を言い合う。個室になっているので話が漏れない。
話がふと途切れたところで二人とも喉の渇きを潤すために、飲み物を飲む。
私は意を決して口を開いた。
「あの……この間の夜会では……ごめんなさい。私、自分のことばかり考えていて」
「うん? 第五王子に言いたいことは言えたんじゃないのか? 私のことは気にせず言えばいいよ」
「あ、その。自分のことばっかりに一生懸命でウォルフの気持ちを考えていなかったの」
「君が言いたいことを第五王子に言っているのは出会いの時から小気味がいいと思っているよ。私がしゃしゃり出ることもないだろう?」
「……ウォルフに対する陰口について……よ」
「……あぁ、そのことか。夜会などに行くとどうしても口さがない人々に言われてしまう。気に病ませてしまったかい?」
言いにくそうにした私に対し、ウォルフは少し口ごもってから安心させるように笑った。
「そうね、私はウォルフがあんな表情をするくらい悩んでいるのを察することができない自分が嫌になったわ。それに今、気を遣ってそんな風に痛々しく笑うウォルフは好きじゃない」
ウォルフはほんの少しだけ傷ついた顔をした。
「だって婚約者なのにそんな風に気を遣われたら、近くにいるのに遠くに感じるわ。一緒にいるのに孤独を感じるなんて……嫌じゃない?」
ウォルフは目をそっと伏せると、コーヒーを飲んだ。長いまつげが影を作る。
今流行りだというほろ苦いコーヒーの香りを何度も吸い込めるくらい長い沈黙の後、彼は口を開いた。
「医者に言われた時はショックだったんだ。目覚めてから言いづらそうに告知されて……その場で自分の血の気が引いたのが分かったよ。ショックなことが起きると体が冷たくなる」
ウォルフはコーヒーの液面を物憂げに眺めている。
「そこからはあまり……意識しなかったんだ。婚約解消はむしろ喜ばしいことだったし……。普通に生きていたら忘れている、というか。やっぱり年齢のせいかな。『もう少し年月が経てば自然に子供ができるんじゃないか』ってうっかり期待してしまうんだ。というか子供ができないなんて考えたことなかったんだ、舐めてたんだ」
ウォルフはコーヒーからやっと視線を外して、私を見た。
「でも、この間みたいに夜会で他人に言われると……あぁ、やっぱり自分は不能なんだって改めて突き付けられた気がして……きついんだ。まだ自分の中で消化しきれない思いがある。『もしかしたら大丈夫なんじゃないか、気のせいだったんじゃないか』という幻想を潰された気分になる」
ウォルフの言葉には戸惑いと苦悩があった。嘘ではない。
彼の言葉を聞いた時、私の心に湧きあがったのは安心だった。男性の弱音を聞くと、もっと嫌な気分になるのかと思っていた。でも、違った。第五王子の愚痴を延々聞いている時は嫌で嫌で仕方がなかったのに。
「……私はうまく言えないけど、私はあなたのその気持ちが聞けてなぜか嬉しいの。信用されているみたいで」
「……君が嘘を言っているとは思わないが、幻滅してない? こんな過ぎてしまってどうしようもないことをグチグチ言う男に」
「しないわ。私の母も子供ができないことで散々言われていたのに……私が生まれてからもまだ言われていたのに……それなのに私は今のあなたになんて言葉をかけるのが最適か分からないの。でもね、私はあなたが不能だとしても婚約していたいし、グチグチ言っていたとしても寄り添いたいと思った。それが今言える私の答えよ」
「そうか」
ウォルフの答えは一言だけだった。でも、膝に置いた私の手に彼はそっと手を重ねた。
美術館をエスコートされていた時よりも距離は遠いはずなのに、今の方が不思議と近く感じた。




