特別なバースデー
誕生日の日はいつも、そわそわしたまま一日が終わる。
自分の誕生日を忘れる程、忙殺した日々を過ごしているわけでもなく、かといって、胸を高鳴らせて待ち望む程に楽しみにしているわけでもない。
今年も一つ、歳を取ったと思う一日。それでも、何か特別なことが起こるのではないのかというほんの少しの期待。
そんな風に気もそぞろな日が、今年もやってきた。
***
「おはよー。 成瀬ちゃん、双葉君」
未だ寒さの続く、二月二十七日の朝。人もまばらの教室で、深雪は友人二人に挨拶をしながら自分の席に着く。
スマホを弄っていた成瀬は、深雪の登場にちらりと視線を向けて「おはよ」と短く返してきた。
通路を挟んで、隣に座る千太郎はというと、机に突っ伏していた頭を軽く上げて「・・・・・っす」という挨拶かどうかも分からない様な返事をすると、再びの眠りについた。
いつもと変わらない光景。深雪は防寒具を解きつつ、冷え切った鼻の頭を右手で摘まんだ。
その仕草を見ていた成瀬が、何故か同じ様に自身の鼻を摘まむ。
「鼻摘まんじゃって、何してんの?」
「う、いや、赤くなってるかなって・・・・・」
昔から鼻が赤くなりやすいので、つい鼻を隠す癖がついてしまっているのだ。過去に赤くなった鼻を揶揄われたこともあったので、少々コンプレックスにもなっている。
深雪は、更に隠すように両手で鼻を覆った。早く元に戻れ、と心の中で唱えるも、そんなに簡単にいくわけもない。「うぅ・・・・・」と深雪が唸っていると、成瀬が眉を顰めた。
「放っておけば戻るでしょ。 そんな気になんないわよ」
「・・・・・本当?」
成瀬が「気にならない」と言ってくれたことに多少の嬉しさを感じつつも、疑いが頭から離れない。
猜疑の目を向けてくる深雪に、成瀬は首を傾げた。
「何よ、何でそんな疑うの」
「・・・・・言い方が怖いんだよ、羽澄は」
挑む様な成瀬の口調を、たまらず千太郎が横から窘めてきた。成瀬自身も、きつい言い方をしてしまったことを自覚していたようだが、それを千太郎に指摘されたことが気に食わず、ちっと短めの舌打ちを鳴らした。
そこからは幼馴染同士がやいのやいの言い合うのを、深雪は苦笑いを漏らしながら見守る。
二人の応酬に一区切りがついたころ、深雪は「昔ね・・・・・」と、鼻が赤くなることがコンプレックスになったきっかけを話し始める。
幼いころの経験は、いつまでも記憶と心に居座り続けていた。話している途中でも鼻が気になって、覆った手を外すことができない。
全て聞き終えたところで、成瀬が忌々しそうにふんっと鼻を鳴らした。
「くだらないこと言う輩がいるものね。 人の顔、そんなじっくり見てんじゃないわよって感じ」
「ははっ」
いつも通りの成瀬の言葉に、深雪は思わず笑い声を上げた。
ぴしゃりと言ってのける成瀬といると、胸がすかっとすることがある。それと同じくらいはらはらさせられることもある訳だが、今回に限っては前者だ。
明るく笑う深雪を見て、成瀬も満足げに両腕を組む。
成瀬の言う様に、気にするのはやめよう。自分ではどうしようもないことを、ぐるぐると悩んでも仕方がない。深雪は、鼻を隠していた両手をそっと離した。
漸く赤い鼻を気にするのをやめた深雪に気を良くした成瀬は、再びスマホへと視線を戻して口を開く。
「そんなくだらないことはほっといて・・・・・今日は、深雪の誕生日でしょ」
「!」
唐突に振られた誕生日ネタに、深雪は多少動揺した。成瀬とは、お互いの誕生日を教え合ってはいたが、まさかこのタイミングで話を出されるとは思っていなかった。心の準備ができていなかったので、深雪もぎこちない反応になってしまう。
そのぎこちなさが伝わったのか、成瀬がふっとこちらを向いて深雪の顔を覗き込む。
「どうしたの、黙っちゃって」
「え、いや、急だったからさ・・・・・」
実を言うと、友達から誕生日を祝われる感覚に免疫があまりない。いつも誕生日は、なんとなくそわそわしながら、なんとなくケーキを食べて、なんとなく過ごすものだった。日路の誕生日会を開いた時も、自分の誕生日でもないのに、少しそわそわしていたぐらいだ。
あはは、と引き攣った笑いを漏らしながら頭を搔く深雪。成瀬の表情が、訝し気なそれに変わる。
「自分の誕生日だっていうのに、急も何もないでしょうよ。 ねえ、千太郎」
急に話を振られた千太郎は、のっそりと顔を起こすと、自身のスマホをポケットから徐に取り出した。
何度か親指でスクロールした後、彼は欠伸を噛み殺した。
「十五時半だっけ。 間に合うのか?」
成瀬に振られたその千太郎の発言は、深雪には心当たりのないものだった。一体何の時間で、何に間に合うのか。
疑問符を浮かべる深雪とは対照的に、成瀬はふふんと鼻を鳴らした。
「部活無いしね。 HR終わったら、速攻行くわよ」
「もっと余裕持っておけよ・・・・・」
二人の間では噛み合っているらしいが、深雪は話について行けず、すっかり傍観者になってしまう。
黙りこける深雪に気が付いて、成瀬はやれやれと首を振った。
「ぼうっとしてちゃ、ダメよ深雪。 主役が遅れたら、話にならないんだから」
やっぱり理解が追い付かない成瀬の言葉。 深雪は堪らず口を開いた。
「ごめん、何の話?」
「は? 何の話って・・・・・」
それまで眉根を寄せていた成瀬だったが、そこまで言って、初めて小さく「あっ」と何かに気が付いたような声を上げた。
そして、ちょっぴりバツの悪そうな顔をする。
「やば、深雪に言ってなかったかも」
え、何を?と思う深雪の傍らで、千太郎は「は?」と食い気味に怖い声を出した。
深雪は訳が分からず、首を傾げるばかりだ。
あちゃー、と頭を搔く成瀬を、千太郎がジト目で非難した。
「一番大事なところ、抜けてんじゃん。 ホント羽澄の計画性って、あるようでないよな」
「うるっさ。 あんたもちょっとは、気を回しなさいよ」
本日二回目の凸凹コンビによる言い争い。正し、二人とも面倒くさがり屋な為、然程長いものにはならなかった。
直ぐに争いが落ち着いたところで、深雪は漸く口を挟むタイミングを掴む。
「それで、何の話だったの?」
未だに話の全容が掴めない深雪の問いかけに、成瀬は指で髪先を弄りながら「だからさ」と説明を始めた。
「誕生会よ、深雪の。 お店予約してるから、放課後は、みんなでパーティーよ」
「えぇっ!?」
突然の打ち明けは、深雪に衝撃を与えるのには十分だった。その反応に気を良くしたらしい成瀬は、くいっと口角を上げて笑みを浮かべる。
「楽しみでしょ? ナイスサプライズになったわね。今のうちに、祝われる準備しておきなさい」
びしっとその細い指先を向けられ、深雪は反応に困り果てた。
誕生日を祝福してもらえることは素直に嬉しいが、成瀬の不敵な笑みには裏がありそうで怪しさ満載だ。成瀬の隣では、千太郎が「何がナイスサプライズだよ」と呆れ顔をつくっている。
画して、人生で初めての誕生日が始まった。




