甘い季節の終わりに
成瀬は、深雪に会うべく校舎を出た。
先ほど、駐輪場に居る姿を見かけたから、未だ外にいるのではないかと考えた。教室に行けば戻ってきそうだとも思ったが、千太郎がいるかもしれないし、なんとなく気まずくて足が向かなかったという理由もある。
きょろきょろと辺りを見渡しながら歩いていると、不意に斜め後ろから声がかけられた。
「成瀬ちゃん!」
「!」
思ってもいなかった方向からの呼びかけに成瀬が振り向くと、一階の廊下の窓から深雪が顔を出していた。
その後ろには千太郎の姿もあって、少しだけどきりとする。向こうも若干の気まずさがある様で、深雪と成瀬から一定の距離をとって立ち止まっていた。
「成瀬ちゃん、あのね、ちゃんと渡せたよ! チョコレート!」
頬を染め、はしゃいで報告してくれる深雪を見ていたら、なんだかほっとした。
うん、知ってるよ。見てたからね。
「そう・・・・・頑張ったわね」
素直に労えば、深雪は「えへへ」と頭を搔いた。きっと彼女は、自分が成瀬の背中を押してくれたことなど知らないのだろう。
嬉しそうにする深雪を微笑ましく思っていると、ふと彼女が鞄の中をごそごそと漁り始めた。
「それでね、成瀬ちゃんにお礼したくって」
「お礼?」
え、何の?と、成瀬は全く意図が読めずに困惑した。疑問符を浮かべる成瀬に、深雪は鞄の中から一つの箱を取り出した。
それは、先日成瀬家で作った日路にあげるチョコレートを包んだものとは違う、可愛らしい花柄の箱。
「実はね、家でお母さんとも作ってみたの」
深雪の笑顔が眩しくて、成瀬は目を眇めた。
「それで、成瀬ちゃんには、沢山協力してもらってるから、お礼がしたくって。 友チョコだよ」
「・・・・・」
いつの間に、そんなものを用意していたのか。驚いた顔をして固まる成瀬に、深雪は更に笑みを深めた。
「いつもありがとう、成瀬ちゃん」
まっすぐな言葉と瞳は、冷たくなっていた成瀬の内側を温めていく。
本当に、敵わないなと改めて思う。
「ありがたくもらっとわ」
努めていつも通りに、成瀬が上から目線でチョコレートを受け取ると、深雪は「うん!」と嬉しそうに頷いた。
「さ、さっさと帰りましょ」
「そうだね、そっち行くねー」
ぱたぱたと廊下を駆けて行く深雪の背中を、無言で見送る。少し遅れて、千太郎もいなくなったところで、成瀬は深く息を吐き出した。そのまま、壁に背を預けてしゃがみこむ。
冷静になってきたのか、先程までは気にならなかった外気の冷たさが、頬に刺さる感覚に意識が向く。
「さっむ・・・・・」
凍てついた空を見上げ、成瀬はぽつりと呟く。
ついでに白い息まで零れて、成瀬は冬の寒さに身を震わせた。
***
騒がしかったバレンタインの翌日の朝。
廊下を行き交う生徒達の中に、彼女を見つけた。
声をかけようとして、一瞬躊躇う。それは、昨日のことがあった所為もあったが、普段校内で見かける彼女とはいつもと違う髪型をしていたというのも、理由の一つである。
結局、こちらが声をかける前に、彼女の方がこちらに気が付いた。
「頼来」
「よお・・・・・成瀬」
向き合った成瀬と頼来は、しばし言葉を交わすことができなかった。
頼来はふと、目の前の彼女を見つめた。
最近伸ばし始めたらしい彼女の髪は、ヘアゴムで一つにくくられている。遠くから見た時には一瞬、髪を切った様に見えたので、昨日の出来事とも相まって少しだけ動揺した。
そわそわしている頼来に、成瀬は疑いの目を向ける。
「何よ、失恋して髪でも切ったと思った?」
「え、いやいや」
ちょっと思った。下手な誤魔化しはやはり通用しない様で、成瀬はふんっと鼻で笑って見せた。
「髪切ったイコール失恋とか、考え古いわ。 何で頼来何かの為に、切らなきゃいけないのよ」
「おっしゃる通りで・・・・・」
頼来の気まずさに反して、成瀬はいつも通りだった。別に強がっているという風にも見えないし、うっかりすると、昨日のことは夢だったのではないのかとさへ思えてくる。
しかし、彼女自身が“失恋”という単語を平然と使っているので、恐らく昨日の出来事は現実だったのだろう。
意地っ張りで口が悪く、素直じゃない。だけど、いや、だからこそ、放っておけない可愛い妹分。ずっとそう思っていて、向こうも同じ様に思っていると思っていた。しかし、彼女が自分に向ける感情は、自分のそれとは違っていた。一体、どれだけ傷つけてしまっただろうか。
女子生徒に囲まれていた時、彼女はいつも怖い顔をしていた。浴衣姿は、もっとちゃんと褒めてあげれば良かっただろうか。思い返せば、酷いことを沢山言った様な気がして、それ以上記憶を遡るのはやめた。
頼来が難しい顔をしたまま固まっていると、成瀬が不意に噴き出した。急なことに、頼来は目を白黒させる。
「え、何事?」
「だって、頼来ってば、めっちゃ気まずそうな顔してるんだもん。 頼来のくせに」
“頼来のくせに”という常套句と共に、成瀬は楽しそうに笑みを浮かべた。本当にいつも通りの彼女で、頼来は漸く少しだけ肩に入った力を抜くことができた。
「あ、成瀬ちゃん!」
「深雪」
成瀬の後方から、深雪が手を振りながら駆け寄ってくる。その更に後ろから、千太郎が眠たそうな顔で近づいてくるのが見えて、頼来は抜いた筈の肩の力をもう一度入れ直す羽目になる。
深雪は成瀬の元までやってくると、嬉しそうに微笑んだ。
「今日お揃いだね、成瀬ちゃん」
「そうね」
二人の会話の意味が分からず、首を傾げた頼来だったが、並んだ二人の後ろ姿を見たら合点がいった。
お揃いのヘアゴムをつけて、幸せそうに笑う彼女たちは、頼来の目に眩しく映る。
きらきらとした時間の流れが、目に見えたような気がした。
「じゃあ、記念に放課後、カフェでも寄りましょうか。 頼来が奢ってくれるって」
「え、何で?」
微笑ましく見守っていたところに、とんでもない成瀬の提案が耳に飛び込んできて、頼来は瞬間的に我に返った。
「頼来に拒否権とかないから。 あ、大神先輩も誘ってきてね」
「頼来サン、ごちです」
「人遣い荒いんだよ! 幼馴染凸凹コンビめっ」
「あはは」
変わったけれど、変わらない日常が、今日も翼蘭学園には流れていた。
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