人生に、一度きりのバレンタイン~彼女と彼編~
職員室での用事を済ませて、生徒会室へと向かうと、部屋の前に数人の女子生徒が集まっていた。
「お、やっときたか、吉井」
その女子生徒達と何やら会話をしていた生徒会長が、頼来の姿を見つけて声をかけてくる。
何事だ?と少しばかり慄きながら近づいてくる頼来に、生徒会長がニヤニヤと笑みを浮かべた。
「モテモテの副会長に、バレンタインのチョコを渡したいんだとよ」
生徒会長の言葉に、集まっていた女子生徒達が恥ずかしそうに静かに笑う。手にはそれぞれ、可愛らしいラッピングの施された箱や袋が握られていた。
いきなりのことに虚を突かれた様子の頼来の横腹を、生徒会長が肘で突く。
「人気者だな、副会長は」
「って、会長もめっちゃ貰ってんじゃん」
生徒会長の腕の中には、既に沢山のチョコレートの箱が埋まっていた。
「俺は義理だとよ。 ほら、ちゃんと全員の分受け取らないと、生徒会室は入室禁止だぞ」
なんだ、そのルールは、と突っ込みたくなるが、精一杯の勇気を振り絞って来てくれた子たちの想いを無下にすることも出来ない。
一人ひとりにお礼を言いながら、丁寧に受け取っていると、ふと自分に向けられた視線に気が付いた。
顔を廊下の奥へと向けると、少し離れたところで立ち尽くす成瀬の姿が目に入った。
少し息を切らせた様子で、呆然とこちらを見ている。
何か用でもあったのだろうか。この状況を見られたら、成瀬のことだから皮肉の一つや二つ言いにやってくるかもしれない。
そんな風に考えていた頼来の予想を裏切って、成瀬はそのままくるりと踵を返して、勢いよく走り去っていく。
「あ、おいっ、成瀬!」
何故か逃げる様な素振りを見せる成瀬を、頼来は思わず呼び止めた。しかし、成瀬は呼びかけには答えず、廊下の角を曲がって視界から消えて行ってしまう。
一体何なんだ、と今度は頼来が呆然とする番になる。
集まってくれた子たちからのチョコレートを全て受け取って、彼女たちが立ち去ってから、成瀬を追いかけようかと少しだけ考えた頼来だったが、頭を振ってその考えを振り払う。
生徒会の仕事が残っているし、さっきの成瀬は、頼来を拒絶しているように見えた。変に追いかけない方が良いだろうと、考えを改める。
切り替えて、生徒会室に入ろうとした頼来を、生徒会長が入り口のところで通せんぼしてきた。
「え、何。 入れてよ」
「ダメダメ、立ち入り禁止」
部屋に入れてくれない理由がわからず、困惑する頼来に、生徒会長はびしっと人差し指を向けてきた。
「ちゃんと、全員の分を受け取れって、言っただろ」
「え?」
確かに、生徒会長にはそう言われたが、チョコレートは全て受け取った。条件はクリアしたはずだ。
未だに首を傾げたままの頼来。生徒会長は「じれったいな!」と頭を左右に振った。
「さっきの子も、チョコ渡しに来たんだろ。 行ってやれよ」
「え、成瀬のこと?」
そんなわけない。生徒会長は知らないだろうが、成瀬は頼来にバレンタインのチョコレートを渡すような柄ではない。さっきは、たまたま通りかかったに違いない。
そのことを頼来が生徒会長に軽く説明すると、何故か盛大な溜息が返ってきた。
「吉井って、察しのいい奴だと思ってたけど、女心の理解度は、いまいちだったな」
「ええ・・・・・」
急にディスられて、顔を引き攣らせた頼来だったが、少し前の成瀬の様子を思い返してみた。
何か言いたげな、でも言いたくないような、複雑そうな表情。
最近、避けられていることは何となく感じていた。冷たいのはいつものことだが、絡むのも拒む様な彼女の様子に、少しばかり怯えていた自分もいた。嫌われているのではないか、と。
だから、追いかけなかったのは多分、拒絶されるのが怖かった所為もあった。そのことに気が付くと、自己嫌悪感がこみ上げてきた。
「ほら、さっさと行ってこい」
突っ立ったままの頼来の腕の中から、先程貰ったばかりのチョコレートたちを引き抜くと、生徒会長はずかずかと部屋の中へと入っていく。ついでにドアまでぴしゃりと閉められてしまい、頼来に有無を言わせてくれない。
「ったく・・・・・どこ行ったんだよ、あいつ」
片手で頭をぐしゃぐしゃとかき回して、頼来は廊下の向こうに消えた成瀬の行方を探し出した。
***
逃げるように、校内を歩き回った。
千太郎に縋られて、頼来を探していたのだが、遂に見つけた彼は遠いところに居た。
可愛らしい女子生徒に囲まれていて、ああ、私の居場所はないのだと思い知った。
結局、チョコレートを渡すどころか、声をかけることすらできずにその場を後にした。頼来に呼び止められた様な気もしたが、無視してきてしまった。
散々、深雪のじれったさを叱咤してきた自分が、こんな風に弱気なのはいい笑いものだ。チョコレート一つ、渡すことができない体たらく。本当に今日は最低な一日だと、成瀬はぐっと歩く速度を速めた。
行く当てなどない。教室に戻ったところで、千太郎と何を話せば良いかもわからない。深雪を探そうかとも思ったが、きっと日路にちゃんとチョコレートを渡せたであろう彼女に合わせる顔がないと、諦めた。
そうやってひたすらに廊下を歩き回っていた成瀬の背後から、一つの足音が近づいてきていた。
結構勢いよく歩いているな、と避けようとした成瀬の腕を、後ろから誰かが強引に引いた。
「わっ」
「成瀬」
腕を引いてきたのは、少し息を切らせた頼来だった。よろめいた成瀬の体をそっと支えた後、ぱっとその手を放す。
どうして頼来がいるのか、意味が分からなかった。
見回りか何かだろうか。だとしたら、どうして自分を呼び止めたのか。単に見かけたから声をかけた、という雰囲気でもない。
強い色の瞳と見つめ合っていると、頭の奥がくらくらした。
正直、逃げたくなって、成瀬は素早く頼来の脇をすり抜けて、小走りに廊下を進んだ。しかし、勿論振り切れるわけもない。徐々に近づいていく頼来との距離に、成瀬は堪らなくなって使用されていない空き教室に飛び込んだ。
そのまま窓際まで駆け寄って、桟に手を掛けてしがみつく。
頼来が、ゆっくりと教室に入ってくる気配を感じた。
「成瀬・・・・・」
声掛けにも、後ろを振り返る勇気はなかった。
うっすらと窓に反射する、背後の様子を見ているので精いっぱいだった。
頼来も、追いかけてきたのは良いが、何を話せばいいのか、わからないといった様子だった。
沈黙の中、ふと窓の外の人物に目がいった。
ここからは、丁度駐輪場が見える。角度的にしっかりとは見えないが、あの後ろ姿は恐らく深雪だと見当がついた。
そして、深雪の前には日路がいた。その手には、深雪が日路に渡すためにつくったチョコレートの箱が収まっている。
ああ、ちゃんと渡せたんだ。やっぱりすごいな、と成瀬はふっと笑みを零す。
後ろからでも、緊張している様子が窺えた。それでも、見事ミッションをやり遂げた彼女の勇気に、少しだけ背中を押された気分になる。
成瀬は、深呼吸をしてから、徐に頼来の方を振り返った。
「頼来」
「何?」
この状況で、成瀬から声をかけられるとは思っていなかった頼来は、少しだけ驚いた様だった。
成瀬は、震えそうになる手足に力を籠めて、鞄の中から一つの箱を取り出した。
ピンク色のリボンがかかった、自分には似つかわしくない可愛らしいラッピングに、ぐっと緊張感が高まった。
成瀬は頼来と視線は交えず、ぐいっとその箱を彼の前に差し出した。
「あげる」
「えっ」
反射で受けっと頼来が、素っ頓狂な声を上げる。「何、これ」と聞いてくる頼来に、成瀬は小さな声で更に続けた。
「・・・・・チョコレート。 バレンタインだから」
「あ、ああ・・・・そうか」
成瀬の言葉を、頼来はどうとったのだろう。少し戸惑った反応の後、にこりと微笑みを浮かべた。
「さんきゅ。 成瀬にもらえると思ってなかったから、嬉しいよ」
「・・・・・」
その“嬉しい”は、どういう嬉しいなのか。多分、いや絶対、成瀬が期待するものとは違うのだろう。
告わなくても、わかっていた。だから、避けていたのだ。叶わないのならば、今の関係のままでいたかった。
でももう、潮時なのかもしれない。
成瀬は、ふっと諦めの笑みを浮かべた。
「成瀬?」
ひょっとしたら、泣きそうな顔でもしていたのかもしれない。頼来が心配そうな顔をして顔を覗き込んできていた。
ああ、やっぱり好きだ。貴方の瞳も、声も、何もかも。
だから、願わくば。
「・・・・・で呼んで」
「え?」
小さすぎた声を、頼来は聞き取れずに聞き返してきた。
言わなければ、また同じ関係を続けられる。
でも言わなければ、一生叶うことも無い。
今日だけ、今だけでいいから、
「・・・・・名前で呼んで?」
たった一度きりで良い。貴方の声で、呼ばれたらどんな気持ちになるだろう。
頼来の声なんて死ぬほど聞いてきた筈なのに、その声が自分の名前を呼ぶのはどうしてもイメージできなかった。
成瀬のお願いは、頼来の耳にちゃんと届いた。
彼は、どう捉えただろう。成瀬が「好きな人にしか名前を呼ばれたくない」と思っていることは知っている筈だ。
そのことを踏まえて、彼は一体どう思って、どう対応してくれるのだろう。
不安な沈黙が流れた後、頼来は真剣な瞳に成瀬の姿をしっかりと映した。
「チョコ、ありがとな、羽澄」
「っ━━━━」
胸が苦しくなった。
もう、聞くことのできない声の様な気がした。
今までの頼来との思い出が、走馬灯のように流れて、この恋の終わりを告げる。
でも不思議と、後悔はなかった。すっきりとまではいかないが、納得のいく最後になったと思った。
「ありがと・・・・・じゃあ、私帰るね」
それだけ言い残して、教室を出て行こうとする成瀬を、頼来は「あ、ちょっと・・・・・」と遠慮がちに呼び止める。
振り向いた成瀬は、必死に笑顔を取り繕った。
「明日からは、またちゃんと成瀬って呼んでね」
バイバイ、と続ける成瀬を、頼来はもう引き留めることはできなかった。
自分の名前を呼ぶ頼来の声が、耳にこびりつく。幸せな筈の響きは、今は未だ、哀しい音色にしかならない。
成瀬は、深雪を探した。
振り絞り切った勇気の所為で、足元が揺らぐほど震えが止まらない。一人でいては、崩れ落ちてしまいそうだった。
今は、一刻も早く、深雪に会いたくなって、廊下を走った。
もうすぐ100話ということで、リクエスト募っております。
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