人生に、一度きりのバレンタイン~幼馴染編~
勢いよく走り去っていく深雪の背中を呆然と見送り、成瀬は重い足取りで教室までの道のりを歩いていた。
『ま、いいんじゃない。 バレンタインなんて、ただのイベントに過ぎないし』
かけた言葉は、果たして深雪を慰めるための言葉だっただろうか。
自身に対する、言い訳ではなかったか?
「冗談じゃないわ」
ぽつりと呟いて、成瀬は頭を振る。
チョコレートを渡す勇気が無いのは、深雪だけではなかった。
成瀬は、肩に掛けた自分の鞄を外側からそっと手で押さえた。中には、渡すことのできない想いの籠ったチョコレートが入ったまま。
朝は頼来の無垢な言葉に傷つけらて、すっかり渡す気力は削がれていた。深雪も渡せないのなら、自分が渡せないことも正当化できるような気がして、あんな言葉をかけたのだと思う。
最低な友人だと、成瀬は沈鬱な面持ちのまま教室まで辿り着く。
「お帰り」
誰もいないと思っていた教室の中からかけられた声に、飛び上がるほど驚いた。下を向いていた成瀬が顔を上げると、そこには気だるそうな幼馴染が一人、席に座っていた。
「千太郎・・・・・」
「渡せた?」
興味ないくせに、そんなことを聞いてきてどうしたのだろう。幼馴染の普段とは違う様子に戸惑いつつも、成瀬はふっと息を吐き出して腕を組んだ。
「最後までは見届けてないけど、渡せたんじゃない? 深雪は大丈夫でしょ」
いつも背中を押していた彼女は、すっかり強くなっていた。今日も、最後は自分の力で好きな人の後を追いかけて行った。
自分とは違う。きっと深雪はこれからどんどん先に進んでいくのだろう。
自嘲気味に笑う成瀬に向かって、千太郎は眉を顰めた。
「立花のことは心配してない。 羽澄の話だよ」
「はァ? 私?」
何で?と続けて首を傾げる成瀬。どうして今、自分の話がでるのかがわからない。千太郎が何を考えているかがわからず、成瀬は千太郎に詰め寄った。
「意味わかんないんだけど、私が誰に、何を渡すわけ?」
喧嘩を売る様な態度は、本心を隠したいから。痛いところを突かれたくなくて、精いっぱい虚勢を張る。
そんなことが、この幼馴染に通用するはずもないのに。
「羽澄が、頼来サンに、チョコを渡せたかって、聞いたんだよ」
「なっ・・・・・」
真っ向から言ってくる千太郎に、成瀬は言葉を詰まらせた。頭の中が真っ白になって、何も言い返せない自分に腹が立って俯いてしまう。
情けなくて、泣きたい気持ちにもなったが、そんなことは自分のプライドが許さない。成瀬は一呼吸置いてから、作ったチョコレートの入った箱を鞄から取り出した。
渡されることのない、このラッピングされた箱が可哀そうに見えて、成瀬はそのままその箱を千太郎の前に突き出した。
「千太郎にあげるわ。 残飯処理、宜しくね」
胸はずきずきと痛んだが、このままチョコレートを持ち帰る方が辛い気がした。千太郎になら、言わなくてもこの気持ちは伝わるだろうと思った。
当然、軽く受け取ってくれるだろうと思っていた成瀬だったが、千太郎はぶすっとした顔のまま立ち上がる。
「・・・・・ヤダ」
「は?」
何で?と、再びの問い。まさか拒まれるとは思っていなかった。「要らない」とは言いつつ、貰ってくれるものだと思っていた。
「言っとくけど、毒なんて入ってないわよ。 味見もしたし・・・・・」
成瀬には珍しく、少しだけ焦った様子で捲し立てる。しかし、千太郎は頑なに頷いてはくれなかった。
「そういうんじゃない」
頭の上から降ってくる言葉に、成瀬は噛みつこうときっと顔を上げたが、千太郎の目と合うと、何も言えなくなってしまった。
見慣れた幼馴染の瞳の色が、揺れていた。
「他の男の為に用意したチョコとか、絶対ヤダ。」
「・・・・・はァ?」
真剣な声色で、我が儘めいたことを言う千太郎は、いつも知っている幼馴染ではない気がした。
成瀬は、慌てた様に視線を逸らした。
「何言ってんの? 意味わかんないんだけど」
「じゃあ成瀬は」
食い気味に声を上げた千太郎は、そこで一旦言葉を切った。
それから、落ち着きを取り戻すように瞳を伏せる。
「成瀬は、頼来サンが他の女子に渡そうと思ってたプレゼントを、あまったからあげるって言って渡されたもの、欲しいって思うわけ?」
「・・・・・」
何を言っているのかは分かったが、何を言いたいのかはわからなかった。
「・・・・・要らないけど」
「そうだろ。 それと一緒」
小さな成瀬の返事に、千太郎はそう答えたが、成瀬としては納得がいかない。
だって、それじゃあ・・・・・
「一緒じゃないでしょ。 私は頼来のことが・・・・・その、好きっていう前提があるから」
自分で言うのも恥ずかしい。今更、頼来のことを好きなんて言う自分は滑稽だ。
再び俯く成瀬を、千太郎は上からじっと見つめる。
「あるよ」
短い言葉は、意味をくみ取るのに時間がかかった。
「え?」と反射で顔を上げた成瀬と千太郎の視線が、もう一度ぶつかり合う。
「俺にもあるから、その“前提”」
「・・・・・」
沈黙が流れた。
世界中の時間が、止まったような気がした。
成瀬は、ゆっくりと唇を震わせた。
「なに、言ってんの?」
「・・・・・」
問い詰めても、千太郎は何も答えてはくれない。
交わった視線を、先に逸らしたのは千太郎だった。片手で荒く、髪を掻きまわす。
「とにかく、それは頼来サンに渡せよ。 後悔したくないだろ」
「・・・・・」
急に話を逸らされて、成瀬の思考が追い付かない。今の流れで、頼来にチョコレートを渡すよう促されるとは思わなかった。
困惑する成瀬の肩を、千太郎は前から雑に押した。
「とにかくオレは、オレの為じゃないチョコなんて要らない」
軽い力で押されたのだが、成瀬の体はあっさりと後ろによろめいた。
なんとか踏ん張ったところで、言い返そうと口を開けた成瀬の両肩に、千太郎は両手を置いて顔を伏せた。
「・・・・・行ってこい。 頼むから」
「・・・・・」
そんな縋る様な声で言われたら、いつもの様に言い返せなくなるではないか。
ずるいよ、と小さく呟いてから、成瀬は教室を後にした。
残された教室で、千太郎は深いため息を吐き出しながら、椅子に座り直す。
「ホント、何してぇんだろ」
不器用なのはお揃いだ。幼馴染だから、文字通り染ってしまったのかもしれない。
これで彼女は、前に進めるだろうか。




