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そっと恋して、ずっと好き  作者: 朱ウ
そっと恋する一年生編
90/109

甘い季節の期待

 朝練を終えた日路が教室にやってくると、前の席に座る頼来がニコニコと笑顔を向けてきた。


「日路ちゃん、おはよ」

「はよ・・・・・」


 確実に何かを企んでいる顔の頼来に向かって、日路が猜疑心まみれの視線を向ければ、流石の頼来も傷ついた顔をした。


「挨拶しただけなのに。 嫌そうな顔すんなよ」

「いや、変な企みが透けて見えてるからさ」


 荷物を降ろしながら、引き攣った表情を浮かべる日路。偏見だ!と頼来は抗議の声を上げたが、日頃の行いの所為なので、特に謝罪をするつもりはない。


 ぐだぐだと文句を言う頼来の声を聞き流していた日路は、教室がいつもよりざわついていることに気が付いた。


 正確に言うと、クラスの女子たちが、どことなくはしゃいでいる。


「なんかあったのか?」


 自分が教室に来る前に、何か特別なことでもあったのかと頼来に尋ねると、彼は「何もないよ」と言いながら、その口元に笑みを浮かべた。


「まあ、女子のテンションが高いのは、アレが近いからじゃね?」

「あれ?」


 頼来の言う“アレ”がいまいちピンときていない様子の日路に、頼来は人差し指をぴんと立たせて笑う。


「二月と言えば! って言う日があるだろ?」


 じらしてくる頼来の嬉々とした表情を見つつ、日路は自信なさそうに小声で答える。


「・・・・・建国記念日?」

「せめて節分って言えよ、突っ込みづらいわ・・・・・」


 一気にテンションを下げた頼来は、ばんっと日路の席の机を片手で叩いた。


「バレンタインでしょうが!」

「ああ、そっちね」


 ははっと笑う日路。そっちと言っているが、そもそも選択肢にいたかどうかは疑問である。


 割と雑な反応を見せる日路に、頼来はちょっとむくれた。


「去年とか、日路めっちゃ貰ってたじゃん」


 モテ男!と囃し立てる頼来だが、お前こそ貰っていただろと日路は胸中でツッコむ。




 バレンタイン。甘いものはそれなりに好きだし、女の子たちがはしゃぐのも理解できる。


 しかし、日路にとってのバレンタインは素直に喜びきれないイベントでもあるのだ。




「宛名書いてないの結構あって、お返ししきれなかったな」


 日路は一つ、小さく息を吐き出した。


 貰いっぱなしは性に合わないので、きちんとお返しはしたい。しかし、机の上に知らぬ間に積み上げられたチョコレートのタワーの、全ての送り主を探し当てるのは至難の業。というか、ほぼ不可能であったことは既に昨年経験済みである。


 中学時代はお菓子類の持ち込み禁止だった。なので、高校生になって初めてのバレンタインにかなり動揺した思い出は、未だ色褪せていない。


 日路のモテエピソードをむくれ顔のまま聞いていた頼来は、すっと話の矛先を隣に座る人物に向けた。


「海織はー? バレンタイン誰かにあげんの?」

「・・・・・私に話を振るなと、言っているだろ」


 例によって読書をしていた海織は、心底嫌そうな顔をして舌打ちをした。


 しかし、日頃成瀬の暴言で耐性ができている頼来には、蚊に刺された程度のダメージすらない。嫌がられていることは棚の上の上の方に置いて、海織にウザがらみする。


「せっかくなんだから話ししようぜ! 誰かにチョコあげる予定ないの?」

「ない・・・・・」


 話かけるなと言いつつ、無視しきれずに律儀に回答する海織は、成瀬よりは優しいのかもしれない。そんなことを思いながら、日路はくすくすと小さく笑う。


「海織は、もらう側だもんな」

「え、ナニソレ」


 ぐるんと首を回して、日路に視線を戻した頼来は、この世の終わりみたいな顔をしていた。


「去年とか、女子から沢山もらってたの見た」

「まじかよ!」


 日路の話に、頭を抱える頼来。


 クールな剣道女子の海織に、同姓の支持者が多いことは周知の事実である。今年は後輩もいることだから、昨年より貰うチョコレートの数が多くなることは必至の筈だ。


「モテモテかよぉ。 羨ましいヤツめ!!」

「うるさい・・・・・」


 勝手に羨ましがられても困ると溜息を吐いた海織は、ギロリと日路を睨んできた。


「責任取れよ、大神」


 頼来を黙らせろと、皆までは言わずに訴えてくる海織に、日路は気づかぬふりをしてからからと笑う。


 そしてふと、バレンタインに浮足立つ女子生徒たちを見ていて思い浮かぶ。


 いつも慕ってくれているあの後輩は、誰かにチョコレートを渡すのだろうか。


 そんなことを思う自分に疑問が浮かんだが、日路は特に深く考えることはせずに、目の前で未だ喚いている頼来をそろそろ黙らせようかと、ふっと息を吐き出した。




***




 放課後、日路は部活の為、剣道場へと足を向けていた。


 日路の教室からだと、駐輪場横を通っていくのが一番近道なので、帰宅する生徒に交じって行く。


 部活に向かいながらも、今日の晩御飯は何にしようかと、完全に主夫思考の日路。


 魚が続くと千里あたりが嫌がりそうだなあ、などと考えながら歩く日路の視界に、見知った顔が映り込んだ。


 慎重に自転車を出庫させようとしている彼女の姿に、日路から自然と笑みが零れる。


 陰から見ているだけなのもなんなので、声をかけてみることにした。


「立花、今帰り?」

「!・・・・・大神先輩っ」


 ぱっと顔を上げた深雪は、緊張した笑顔を浮かべて頭を下げてくる。


 マフラーに口元を埋めている姿は非常に寒そうに見えたが、自転車のハンドルを握る彼女の手は素手。その違和感に、日路は首を傾げた。


「手袋は? 寒くない?」

「それが・・・・・」


 恥ずかしそうに手袋をしていない理由を話す深雪に和みつつ、心配が勝った日路は、ごそごそとカバンの中を漁った。


 目的の物を手にした日路は、柔らかな笑みととみにそれを深雪に手渡した。


 咄嗟に受け取った深雪が、それが何なのかを確認すると、暖色のパッケージに大きく印字された“カイロ”の文字が。


「自転車乗りながらじゃ、あんま使えないからだけど。信号待ちの時でも温まりな」


 日路の言葉に、深雪はぴっと背筋を伸ばして頷いたが、頭の中では永久保存の単語が巡る。


「じゃ、気をつけてな」

「あ、あの、大神先輩!」


 去って行こうとすると、深雪が呼び止めるので、日路は少し驚きながら振り返った。


 深雪ともう一度向き合うと、彼女は寒さに赤くなった鼻を隠すように俯いた。


 二人の間に、沈黙が舞い降りる。


 頭の中で話すことを整理しているのであろうその時間を、日路は嫌な顔一つせず待ってくれるので、深雪は深呼吸の後、思い切って顔を上げた。


「先輩は、甘いもの食べられますか?」


 質問の内容は突拍子もなかったが、今朝の頼来との会話があったので、なんとなく甘いものイコール、バレンタインという考えが日路の頭の中に浮かんだ。


 深雪がどうしてそんな質問をしてくるのか、その真意はわからなかったが、日路は単純に事実を述べることにした。


「食べられるよ。 くどくない程度なら、結構好き」


 果たしてこの回答は、深雪の期待していたものであったのだろうか。


 正解はやっぱりわからないが、寒さと緊張で固まっていた深雪の顔が、少しばかり綻んだのを見た感じでは、不正解ではなかったのだと思うことができた。


「そうですか、ありがとうございます」

「それだけ?」


 ぺこりと頭を下げる深雪に、日路はなんだか勿体つけられている様な気持ちになった。


 しかし、深雪としてはその回答だけで満足だったようで、ほんのり色づいた頬をマフラーで隠しながら「はい」と小さく頷いた。


 “はい”と言われては仕方がない。日路はそれ以上掘り下げることも出来ず、今度こそ剣道場に向かうべく踵を返す。


「じゃあな、立花」

「さようなら」


 先刻より、心なしか表情の柔らかい深雪を見ていたら、つい口が勝手に動いていた。


「・・・・・俺、期待してていいの?」

「えっ」


 いつもと雰囲気の違う、悪戯な笑みを浮かべる日路の言葉に、深雪の肩が一気に強張る。


 その姿が可愛らしいと思う程には、日路の中での深雪の存在は他とは違うのだが、ではそれが一体どういう存在なのかというと、明確な答えを出すことはできない。


 曖昧な感情の所為で、つい口から出てしまった言葉。日路自身こそばゆくなってしまい、誤魔化すようにいつもの爽やかな笑顔を浮かべて見せた。


「なんてな。 気を付けて帰るんだぞ」

「えぇ、あ・・・・・はいっ」


 言い逃げの日路の背を、深雪は呆然と見送った。




 甘い香りのするバレンタインまで、もう少し。

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