冬の花屋にて
とある日曜日、深雪は母親の遣いで花屋に訪れていた。
なんでも友人が展示会を開く様で、そこに持って行く花束を頼んだらしく、本屋に出掛けようとしていた深雪を呼び止めて、その引き取り役に抜擢してきた。
おつりはあげるからという誘惑に負けて、深雪はその花束を受け取りにやってきたという訳である。
「いらっしゃいませ」
中年の女性が接客してくれて、花束を用意しに店奥へと消えて行く。
「店内、見てお待ちくださいね」
そう声をかけられ、深雪は色とりどりの花々を見て回ることにした。
花屋に来ることはあまりないし、花に詳しくもないが、綺麗なものは見ているだけで癒しだ。深雪は美しい花を目の保養にしながら、その香りも一緒に楽しむ。
ふと、店の隅でしゃがみこみながら花に手を伸ばしている男性が目に入った。
精悍な顔立ちの横顔と、服の上からでも見て取れる体躯の良さ。こんな強面な人も花を買いにくるんだな、と深雪が勝手な偏見を胸中で垂れ流していると、こちらに気が付いたその男性が、ぱっと視線を合わせてきた。
うわ、じろじろ見過ぎちゃった!と深雪が内心焦っていると、男性はすっと立ち上がって深雪と向き合う。
「いらっしゃいませ」
その言葉に、店員だったのかと初めて気が付いて、深雪は更に動揺した。
お客さんを店員と間違えるという話は聞くが、逆をやってしまった恥ずかしさに、深雪は誤魔化すように会釈を返した。
勿論、深雪の勘違いなど露知らないその店員は「何かお探しですか?」と実に自然な形で声をかけてくる。深雪は口ごもりながらも、予約した花束を引き取りにきた事実を口にする。
「そうですか、ごゆっくりどうぞ」
ゆっくりとした動作で深雪の隣をすっと通り過ぎて行く店員に、深雪は力の入っていた肩をほっと撫で下ろした。花屋に限ったことではないが、お店の人との会話にはいつも緊張してしまう深雪。
窮地を脱した深雪は、先程店員が手を触れていた花の前に歩み寄る。
幾重にも重なった花弁を見て、遠くから見た時は薔薇かな?と思っていたが、よく見ると別物で、プレートには“ラナンキュラス”と書かれていた。
花の知識に乏しいので、そんな花もあるのかと、じぃっと見つめる深雪。集中しすぎて、後ろにある人の気配に気が付かなかった。
「お気に召しましたか?」
「えっ」
かけられた声に驚いて振り向くと、先程の店員が後ろに立っていた。
「あ、いや、そのっ」
買う訳でもないのに、変なことは言えないとおどおどする深雪。
そんな深雪の挙動不審さを、店員はさして気にしていない様で、すっとラナンキュラスに手を伸ばした。
「茎が弱っているものがあったので、抜いておきますね」
「え」
店員はそう言いながら、まだ美しく咲いている薄づきの赤色をしたラナンキュラスをそっと抜き取っていく。
まだ綺麗なのに捨ててしまうのかと、暗い顔をした深雪の気持ちを察した店員が、ふっと笑みを漏らした。
「一番綺麗な状態は、お客様の手に届いた時でないといけないので」
そう言って、慈しむように一輪の花を持つ店員の姿に、ああこの人は本当に花が好きなんだなと深雪は心が温かくなる。
でも、やっぱり捨ててしまうのは勿体ない。そう思っていると、店員は「大丈夫」と控えめに微笑んだ。
「レジ前に飾るので、ご心配なく」
そう言いおいて、再び去っていく店員。あの人に扱われる花は幸せだろうなと思う深雪を、花束の用意をしてくれていた中年の女性が声をかけて来てくれた。
清算をするためにレジまで来ると、先程のラナンキュラスが一輪挿しに飾られて置かれていた。
心なしか、さっきより美しく見えるような気がして、深雪は思わず笑みを漏らす。
「ありがとうございました」
花束を受け取って店を後にするとき、姿は見えなかったが、先刻の店員の挨拶の声だけが聞こえた。
***
予約した花束を引き取りに来た少女が店を出てから数分後、ドアベルがお客の入店を知らせた。
「いらっしゃいませ」
「タイイ君」
現れたお客は、花を見るより先に店員の名前を呼んできた。
「日路か。 いらっしゃい」
「定期来店だよー」
店員━━━━鷲尾大尉は、知り合いの来店に顔を綻ばせた。
お客として来店した日路の目的を察している大尉は「用意するから、ちょっと待ってろ」と言って一旦店奥に捌ける。
戻ってきた大尉の手には、幾つかの種類の切り花が。
簡易作業場で、慣れた手つきで花を包んでいく大尉の姿を見ていた日路が、小さめの溜息を漏らす。
「杏姉、弟に月一でお使い頼むくらいなら、自分で買いに来れば良いのに」
「悪いな」
日路は、大尉の元カノの弟。レストランで働く元カノは、別れてからも大尉の実家の花屋から定期的に花を買ってくれているのだが、決して自分で買いには来てくれない。いつも弟を遣いに出してくるのだった。
元カノの三人いる弟だが、一番上の弟である日路が高確率でここにやってくる。
「俺は良いんだけどね。 大尉君にも会えるし」
日路の指摘に肩を竦める大尉の様子を見て、日路はくすくすと笑う。
それから、少しからかい口調になる日路。
「早くより戻せば良いのに」
「そう簡単にはいかないさ」
ふっと笑う大尉。そんなもんか、と日路はちょっと寂しそうな顔をする。それからふと、視線をレジ前に飾られた一輪の花に目を留めた。
「綺麗な花だね。薔薇・・・・・じゃないよね?」
「ラナンキュラス」
即答された花の名前を、日路は聞いたことがないようだった。
「へえ。 大尉君だから、薔薇かと思った」
日路の何気ない言葉を、大尉はむず痒い気持ちで受け取る。
それからは他愛ない話をいくつかして、大尉は包んだ花を日路に手渡した。
「あ、ねえ大尉君。 俺も今度、花を買いに来たいんだけどさ」
清算を終えた後の日路の発言に、大尉はちょっと驚いた。
いつも姉のお遣い係の日路が、そんなことを言うのは初めてだったからだ。
「女の子が喜びそうなのって、どんなのかな?」
日路の質問を聞いて、大尉がおおっと目を大きくして更に驚く。
「日路にもそういう相手ができたのか」
にやりと笑う大尉の反応に、日路は暫くきょとんとして、それから慌てて首を横に振った。
「え?・・・・・あ、いや! そんなんじゃなくってさ」
慌てる様子が可愛らしく、今度は大尉がくすくすと笑う側に回る。
頬を少し染めながら口を窄めている日路がちょっとかわいそうになり、大尉は早々に笑いを引っ込めて彼の相談に真剣に乗ることにした。
「花束以外にも、アレンジメントとかもあるからな。 どんな人にあげるんだ?」
「ええとねえ・・・・・」
照れながらも語り始める日路。
大尉は可愛い義弟の、可愛い相談に乗っている様な気分になって、優しい笑みを零した。




