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そっと恋して、ずっと好き  作者: 朱ウ
そっと恋する一年生編
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大神兄弟の問題~解決編~

「ここまでやってやったんだから、ちゃんと仲直りしなさいよ!」

「千里君、頑張ってね」


 黒の高級車から緊張気味に降車した千里の背中に、女子二人が各々声をかける。千太郎は気を遣ってか、無言で見送ってくれた。


 ふっと見上げた見慣れた筈のアパートが、今日はいつもと違うように見える気がする。


 上の空で送ってもらったお礼を口にし、千里は重い足を引きずって下宿先の部屋の前に立った。

こげ茶色のドアを見つめ、大きく深呼吸。


 日路ときちんと話をしようと、覚悟を決めていたのだが、いざここまで来て足が竦んでしまう。


 しばらくドアノブと睨めっこをしていると、部屋の内側から人の気配がした。


 ぐるっと半回転したドアノブに飛び上がり、外に開いてくるドアを避けるようにして、千里は一歩後ろに下がった。


 乱れた自身の鼓動に更に動揺しながら、千里は部屋から出てきた人物の顔を確認する。


「あれ、ちぃ君。 お帰り」

「蓮兄・・・・・」


 蓮季の美しい顔を見た千里は、体に力を入れて構えていただけに、拍子抜けしてよろめいた。



 そういえば、蓮季には日路と喧嘩したことは話していない。相談してみようかとも考えたが、今から出かけようとしている身の兄に時間を取らせるわけにはいかないと、喉まで出かかった言葉を飲み込む。



 代わりに、わかりきったことを聞いてみる。


「蓮兄、これから塾?」

「うん、そうだよ。 行ってくるね」


 ニコリと笑った蓮季は、千里の横を通り過ぎる直前で「そういえば」と立ち止まる。


 千里はドキリとしながら、蓮季の続く言葉を待った。


「日路と、何かあった?」

「え」


 ずばり聞かれて、千里は二の句が継げない。


 固まる弟を、蓮季はふふと笑みを浮かべた。


「日路が帰って来てから、ずっと料理しててね。 千里の好きな物ばっかり作ってたよ」

「え」


 再び千里が声を詰まらせる。


 日路は一体、何を思ってそんなことをしているのだろうか。


 疑問符を浮かべる千里に、頭脳明晰な蓮季が解を出してくれる。


「千里と仲直りしたいんじゃない? 千里に何か言い過ぎたっていう時は、いつもそうしてるよ」

「・・・・・」


 知らなかった。


 しかし思い返してみれば確かに、日路に何か散々に言われて不貞腐れていた日には、そんな落ち込んだ気持ちを相殺させるように、好物が食卓に並んでいた気がする。


 ずっと気を遣わせていたことに今更気が付き、千里は更にバツが悪くなる。


「じゃ、そろそろ行くね」


 すっかり萎れてしまった弟を、蓮季は無情にも置いていくつもりらしい。


 蓮季が仲介役を買って出てくれる人物ではないことは、千里もよくわかっていた。上の兄は偶に鬱陶しい程干渉してくるが、この下の兄は、すっと肝が冷える程一線を引いてくる。


 食い下がるだけ時間の無駄だ。千里は頭を切り替えて、横を通り過ぎて行こうとする蓮季を見送った。


「行ってらっしゃい、蓮兄」

「うん」


 送り出された側の蓮季は、その去り際に千里に向かって「行ってらっしゃい」と小さく言って、難しい顔をした弟の頭を、優しくぽんぽんと叩いていった。


 ちゃんと仲直りしろよと、言われたような気がした。




***




 がちゃん、と極力音をたてない様にドアを閉めた。


 人の気配のする部屋に帰ってくることが、こんなにそわそわすることもないだろう。


 千里はゆっくりと靴を脱いで、忍び足で部屋の奥へと進んだ。


 リビングに足を踏み入れ、そっと荷物を床に置く。キッチンの方からする調理音に、体中を巡る血の熱さが増していく気がした。


 息を潜めてキッチンに向かい、顔だけを覗かせてみると、蓮季の言う通り、日路が黙々と料理をしているようだった。


 流石に千里の帰宅には気が付いているのだろうが、声をかけてこないどころか振り向きもしない。


 仕方なく、千里から声をかけた。


「ただいま」

「おかえり」


 シカトされることを想像していた千里だったが、日路もそこまで子供ではない。振り返ってはくれなかったが、平坦な声で返事はしてくれた。


 そのことにほんの少しだけ安堵しつつ、千里はずっと言いたかったことを話し始めた。


「日路兄、あのさ」

「何?」


 少し尖った声に多少怯んだ千里だったが、ここまで背中を押してくれた人たちのことを思い出して、何とか勇気を奮い立たせる。


 大丈夫。わかってもらえる。わかってもらいたい。


「・・・・俺、サッカーは中学で辞めようと思ってる」

「え?」


 初めて、日路が手を止めて振り返る。予想通り、驚きに瞳を大きくしていた。



 当然の反応だと思う。


 文武両道、料理もできて人柄も良い日路と違って、自分からサッカーを取ったら何も残らない。何もかも兄や姉たちに劣っていた中で、サッカーだけが唯一、姉弟の中で一番になれることだったから。


 だから別に、サッカーでなければならない理由はなかったのだ。たった一つでも、兄より秀でたことがあるということを、自分の自信にしたかった。


 でも、周りにはずば抜けた天才が、ごろごろといるのが現実だ。そこそこ上手いレベルの千里には、埋もれて行く将来が早いうちから見えていた。


 それに、



「俺さ、サッカー好きだけど、それだけでいたいんだよね」


 胸の内を吐露する弟を、日路は黙って見つめていた。



 兄に勝てるという理由だけで始めたサッカーは、いつしか千里にとって癒しという名の逃げ場になっていた。ここにしがみついていれば、何もない自分を忘れられる気がしていた。


 ある時、クラブのチームメイトに言われたことがある。



「千里はいつも、どっかでサッカーしているみたいだな」



 その言葉を一緒に聞いていた他のチームメイトは、意味が分からずに首を捻っていたが、千里だけはヒヤリと嫌な汗をかいた。


 サッカーに限った話ではないが、何をするにも千里の頭の片隅には、いつも兄たちの姿がちらつく。


 優秀な姉弟の中で、置いて行かれるのが怖かった。


 だから、常に兄や姉を意識して、取り繕う為に、没頭できることが欲しくて。



「千里はサッカー上手だな」



  チームメイトに指摘された後、昔兄たちと遊んでいた時に、日路に言われた言葉が蘇った。


 すごく嬉しくて、親に頼み込んでサッカーのクラブにも入れてもらった。あの時は確かに、ただサッカーが好きで、楽しくて、日路にまた褒めて欲しくて・・・・


 純粋に、好きなままでいたいと思った。


 これ以上、自分が見栄を張る為に利用したくない。



 未だに耳元でうるさい脈拍を感じながら、千里は更に言葉を続けた。


「だから俺、サッカーの推薦で高校は行かない」


 きっぱりと言い切る千里を、日路は無言で見つめていた。


 壁にかかった質素な時計の音が、こんなに気になるものなのかというほどの静寂が訪れる。


 日路に何と言われるのだろうと、千里の緊張は最高潮に達した。


「そっか」


 あっさりと短く返事をした日路は、すっと調理を再開させる。


 千里はたまらず俯いて両手を握り締めた。


「ごめん、日路兄」

「? なんで、謝るんだよ」


 謝罪の言葉の意図するところが分からず、日路が再び振り向いた。


 急に謝りだした弟を心配する兄の顔を見られないまま、千里は靄のかかった胸の内を零していく。


「俺なんて、サッカーぐらいしか取り柄ないのに。推薦も辞退して・・・・・」

「千里は取り柄、沢山あるだろ」


 千里の弱音を、日路が食い気味に一蹴した。


 まさかそんな風に言ってもらえるとは思っていなかった千里は、間の抜けた顔で少しだけ顔を上げた。


「友達沢山いるし。 動物にも好かれる。機械にも詳しいから、いつも助かってるし」

「そりゃまあ、日路兄よりはね・・・・」


 日路の機械音痴は、兄崇拝者の千里でさへ、ちょっと呆れる程のレベルである。


 日路が下宿するようになって約二年弱、本来の寿命を全うできなかった家電製品たちの数は少なくない。


 苦く笑う千里をおいて、日路は細かく千里の取り柄を挙げていく。最後に「ああでも」と言って、怖い笑みを浮かべた。


「態度悪いところは、直した方が良いよ」

「はいはい」


 そういうところだよ、と日路がくすくすと笑いながら、またキッチンに向かった。


 何となく解けた空気に、千里の表情も自然と緩んだ。


 日路の後ろから顔を覗かせて、調理状況を確認する。


「晩御飯何?」

「ハンバーグ。 カレーもやろうか?」

「やる。 ハンバーグカレーにして」


 弟に甘い日路に存分に甘えて、千里がにかっと笑う。


 調子良い奴だなと笑いながら、日路もまんざらではない様子で笑った。


「わかったから、今日はサッカー行くんだろ? さっさと準備しろよ」

「ほーい」


 くるりと踵を返す千里の足取りは軽く、その様子に日路もほっと肩を撫で下ろす。


 一時はどうなることかと思ったが、本音を聞くことができて良かったと思った。



 まさかこの和解の為に、後輩まで巻き込んでしまっていたことを日路が知るのは、もう少し先の話である。

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