セレンディピティ
「さっむ」
車から降りた成瀬は、開口一番そう言って身を震わせた。
次に車から降りた深雪も、コートとマフラーの隙間から入り込んだ冷気に、ぎゅっと肩に力を入れる。
今日は、成瀬と千太郎と共に、初詣に訪れていた。
この辺りでは一番大きな神社で、既に多くの人が行き交う。
「千太郎! 早く降りなさいよ」
成瀬が、未だ車から降りてこない千太郎に向かって声をかける。
車内を覗くと、寒さを嫌がって外に出ようとしない千太郎が、恨めしそうな顔をしてこちらを見つめ返してきていた。
「寒いし、人多いし。 行きたくない」
「ここまで来て、何言ってんの?」
我が儘を言う千太郎に対して、成瀬はどこまでもドライだ。
深雪は車内に少しだけ身を乗り出し、断固として動こうとしない千太郎に小声で耳打ちする。
「双葉君がいなかったら、成瀬ちゃんが変な人に絡まれちゃうよ? お正月だし、お酒飲んでる人とかもいるかもしれないし」
だから、双葉君が守ってあげなきゃと唆せば、千太郎は暫く押し黙っていたが、結局ずるずると車から降りてきた。
素直に降車した千太郎に、成瀬が意外そうに目を大きくした。
「深雪、何言ったの?」
「えへへ、内緒」
くすくすと笑う深雪を、成瀬は怪訝な顔をしつつも、それ以上追及してこようとはしなかった。
千太郎はというと、深雪にいいように乗せられたことを自覚していただけに、いつにも増してぶすっとした顔をしている。
その光景も深雪としては新鮮で、微笑ましさに更に目を細めた。
何はともあれ、三人でゆっくりと歩きながら参拝の列に並びに行く。
行く途中で、千太郎が急に進路を変えた。
「俺、ちょっとトイレ」
「ええー。 来る前に行っておきなさいよぉ」
母親の様なことを言う成瀬に背を向けた千太郎は、振り返りもせずにトイレに直行する。
「早く戻って来てよ!・・・・・もう、ナンパ避けなのにぃ」
「あはは」
最後に小さく零した本音を聞いて、深雪は苦笑を漏らした。
しかし実際、千太郎がいないだけで、成瀬の周りには軟派者が闊歩し始めた。
「君たち、女の子二人だけ?」
「せっかくだし、一緒にお参り行こうよ」
「可愛いね。 名前教えてよ」
その数々の軽い誘いを、成瀬はガン無視という対応で跳ねのける。
いつかの文化祭の時とは違い、ここで声をかけてくるのは、およそ今後も関りのない人である為か、成瀬の対応も三割増し程冷え切っていた。
隣でおまけ扱いされる深雪も、正直辟易してきた頃、背後からまた声をかけられた。
「よっ、モテるねお二人さんっ」
「「!」」
聞き覚えのある声に、深雪と成瀬が同時に勢いよく振り返る。
振り返った先に居たのは、ダウンジャケットを着た頼来だった。
「吉井先輩!?」
「何で頼来?」
後輩二人に、珍獣でも見つけたかのような扱いを受けた頼来は、「そんな驚くなよ」と肩を揺らして笑う。
「普通に初詣に来ただけだって。 成瀬と深雪ちゃん、二人だけ? 千太郎は?」
きょろきょろと当たりを見渡す頼来に、深雪が経緯を説明する。
大体の状況を把握した頼来だったが、納得した後にすぐ首を傾げた。
「こんなイベントに三人だけって、珍しい。 いつもなら誘ってくれんじゃん。 寂しいなあ」
これ見よがしに泣くようなそぶりを見せる頼来を、成瀬の冷めた視線が貫く。
「・・・・・うっざ」
「成瀬さん、心の声が聞こえてます!」
小さな成瀬の心の声をしっかり聞き取った頼来が、五月蠅く喚く。
その後も一人で嘆いていた頼来だったが、永遠と言っていても仕方がないと、途中で溜飲を下げて「でもさあ」と話を切り替えた。
「やっぱり運命だよな。会えちゃうんだもん」
「はァ? きもいんだけど、頭大丈夫?」
頼来の“運命”という言葉に、成瀬が心底気味悪そうな顔をして毒づく。
めげない頼来は、やれやれと首を横に振った。
「俺らじゃなくってさ、深雪ちゃんの話」
「私ですか?」
急に名前を出され、深雪は困惑して眉を顰めた。
一体何の話だろうと、頭の中で思考を巡らせる深雪の視界に、とびきりの光を放つ人物が写り込んできた。
「頼来?・・・・・急に走って、どうしたんだ━━━━って、あれ?」
頼来の後方から現れたその人に、深雪は冷たい空気を思い切り吸い込んでから声を上げた。
「大神先輩っ」
深雪の呼びかけに、紺色のダッフルコートを着た日路が立ち止まる。
深雪と成瀬の顔を順に見て、少しだけ驚いた顔のまま口を開いた。
「立花と成瀬。 二人も来てたのか」
そう言ってから、ふわりと笑顔を浮かべた。
思わぬ偶然の出会いに、深雪は平静を装うことに全神経を使う。
「そうなんだよー。 これ、もう運命じゃんって話してたんだよ」
「頼来はちょっと黙ってなさいよ」
いつも通り適当な頼来を、成瀬が苛立たし気に制止する。
そこからまた二人の不毛な争いが続いたが、今度の頼来はなんとか食い下がった。
「でもでも、せっかくだしさ、一緒にお参り行こうぜ。 人数多い方が楽しいだろ?」
「・・・・・」
頼来の提案に、成瀬は微妙な顔をして沈黙した。
にこにこと笑顔を浮かべる頼来の姿が、成瀬の目にどう映っていたかは定かではないが、やがて短いため息を一つ吐き出した。
「まあ、今日は千太郎だけじゃナンパ避け足りなさそうだし、いいわよ」
「超上から目線で承諾したなぁ」
女王様の許可が下り、頼来がほっと肩を撫で下ろしている横で、日路が辺りを見渡していた。
「双葉もいるんだな。 見当たらないけど・・・・」
「今、お手洗い行っていて」
説明する深雪の声にかぶさって、重低音が心地よく耳に届く。
「あれ、立花さんと成瀬さんだ」
日路の後ろからひょっこりと顔を出したのは、目の覚める様な美しい天女。
「王子じゃん!!」
成瀬が跳び上がって喜びを表す。
王子と呼ばれた蓮季が「明けましておめでとう」と微笑を浮かべると、そういえば未だ新年の挨拶をしていなかったと、四人揃って今更な挨拶を交わす。
「こ、今年も宜しくお願いしますっ」
「うん、宜しくな」
深雪の挨拶に、日路が爽やかな笑みと共に応えてくれる。
その幸せをかみしめる横で、成瀬は蓮季と談笑を始めていた。
「王子も来てたなんて」
「うん。 今日の朝、実家から帰ってきたんだ」
いつもとは違う種類の笑顔を浮かべる成瀬を見た頼来が、不貞腐れた様に頬を膨らませる。
「成瀬、俺の時とテンション違い過ぎん?」
頼来の指摘に、成瀬は「当然でしょ」とにべもない。
「一般人と王子よ? 反応が違うのは当たり前じゃない?」
「あ、はい・・・・・」
完全に意気消沈した様子の頼来の肩を、日路が笑うのを必死に耐えながら三回叩く。
頼来には悪いと思ったが、深雪も同じ様に笑ってしまうのをなんとか堪える。
途中で、日路とふと視線が交わった。
深雪は目が合ったことに動揺したが、日路は同じく笑いを堪えていた深雪を見て、耐えられなくなったのか、楽しそうに声を上げて笑い出した。
急な爆笑に、その場の視線を一身に浴びる。
「酷い! 日路爆笑じゃんっ」
「だってさぁ・・・・・」
目に涙を浮かべて笑う日路を、頼来が不満げに責め立てる。
新年から和む光景である。
深雪は束の間、寒さを忘れて一緒になって笑った。




