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そっと恋して、ずっと好き  作者: 朱ウ
そっと恋する一年生編
76/109

ココアとチェリーパイ

 コース料理を最後まで楽しみ、会計を終えた深雪たちはレストランを出ようとしていた。


「おいしかった~」

「バメちゃん、外寒いから、ちゃんと上着着て」

「蓮季、お母さんじゃん」


 黒田と蓮季のやりとりに頼来が突っ込んでいると、奥から杏香が小走りに現れた。


 どうやら、最後に挨拶しにきてくれたらしい。


「皆、今日はありがとね~」


 小さく手を振る杏香の前に、成瀬がすっと立って一礼した。


「美味しかったです。 ありがとうございました」

「こちらこそ。 こんな美少女においしいって言ってもらえて嬉しいわ」


 絶対美少女の成瀬と超絶美女の杏香という並びは、視界の破壊力がとてつもない。


 深雪が直視できずに薄眼でその光景をみていると、同じ様に目を細めていた黒田と目が合い、お互いに吹き出す。


 急に笑い出した深雪と黒田の様子に首を傾げていた日路に向かって、杏香が声をかけた。


「あ、日路」

「何?」


 日路が振り向くと、杏香は右手に提げていた白のケーキボックスをこちらに差し出してきた。


「これ、千里に持って帰って」

「何、これ?」


 受け取りながら日路が質問すると、杏香がお茶目に舌を出す。


「チェリーパイ。 キッチン借りちゃった」

「職権乱用じゃん」


 姉の台詞に苦笑を漏らした日路だったが、そのまま素直に受け取って「さあ」と深雪たちに向かって呼びかけた。


「お待たせ。 帰ろうか」


 日路を先頭に、全員がレストランを出る。


「「ごちそうさまでしたー」」

「また来てね~」


 にこにこと手を振る杏香に見送られ、七人はレストランを後にした。



***



 車で帰る成瀬と千太郎と別れ、寄るところがあるという頼来と黒田とも駅で別れた為、深雪は大神兄弟と共に改札を通った。


 途中の駅まで一緒なので、一緒の電車に乗ろうという話になる。


 深雪としては、ありがたいし嬉しいが、恐れ多い事態。


「ちょっとトイレ行ってくる」

「気をつけてな」


 まだ電車が出発する時刻まで時間がある。蓮季がトイレに行く背を眺めていると、外からの冷たい空気が、すっと深雪の前髪をくすぐった


「はっくしゅん!!!」


 突然のくしゃみに、驚いたのはくしゃみをした本人の深雪である。


 好きな人の前で盛大にくしゃみをしてしまった恥ずかしさに俯いていると、日路は笑うことなく、心配そうに顔を覗き込んできた。


「寒いな、大丈夫か?」

「す、すみません。 大丈夫です・・・・・」


 本気で心配されると、それはそれで照れてしまう。


 未だレストランでの口元にソース事件も引きずっている深雪としては、これ以上の恥ずかしい事件は避けたいところだった。


 更に俯いてしまった深雪を余計に心配した日路が、深雪の後ろ側を指で差す。


「何かあったかいもの飲む? 自販機あるし」


 そう言いながら、自動販売機の元まで歩いていく日路の後を、深雪はおろおろと着いて行く。


 日路は自動販売機の前に立つと、先にお金を入れてから深雪を振り返った。


「何が良い?」

「ええと・・・・・」


 寒いのは確かなので、温かい飲み物は正直欲しかった。


 深雪は何にしようかと選びながら、夏休みにこうして日路がジュースを奢ってくれようとしたことを思い出す。

 

 結局その時は奢ってもらうのを止めて、体育祭でお弁当を作ってもらうことになったのだが。


「ココアにします」


 深雪の選択に、日路が「ココアね」と反芻する。


 ピッとココアのボタンを押した日路は、がたんと落ちてきたココアの缶も屈んで取ってくれた。


 立ち上がって、微笑みながら深雪にココアを差し出す。


「はい」

「あ、まずお金を・・・・・」


 ごそごそとカバンを漁りだした深雪に、日路が目を丸くして首を振った。


「いらないって。 俺が勝手に買っただけだよ」

「いや、でも・・・・・」


 食い下がる深雪に、日路は「じゃあさ」と笑顔を浮かべながら提案をしてきた。


「クリスマスプレゼントにしよう。 やっすいけど」

「っ━━━━」


 悪戯っ子の様な、無邪気な笑顔の日路に、深雪はぎゅっと胸を掴まれる感覚を覚えた。


 棒立ちする深雪の手を取って、日路はココアの缶を握らせて来る。


 されるがままになっていた深雪は、己に起きていることとは思えない事態にすっかり放心状態になってしまった。


 結局、日路にココアのお礼もろくに言えないうちに、蓮季がトイレから戻ってくる。


「ただいまー」

「そろそろ行くか」


 大神兄弟の後ろを、未だ放心したままの深雪は無言で付いて行く。


 深雪は熱くなってしまった心と体の所為で、日路からもらったココアをその場で飲みそびれてしまったのだった。



***



 誰もいない筈のアパートの部屋に帰ってくると、人が居る気配がした。


「お帰りー」


 リビングでサッカーに行く支度をしていた千里の間延びした声に、日路は怪訝な顔をした。


「千里、今日はサッカーあるから、杏姉の店行かなかったんじゃなかったのか?」

「今から行くんだよ」


 いけしゃあしゃあと言ってくる弟を前に、日路の眉間にも皺が寄る。


「今からなら、行けたじゃないか」

「食った後に動いたら吐く」


 舌を出しながら苦しそうにするジェスチャーをしながら、千里は日路の脇をすり抜けてキッチンへと向かう。


 冷蔵庫からペットボトルのスポーツドリンクを取り出す千里に向かって、日路は更に続けた。


「杏姉、会いたがってたのに」

「それより日路兄、持ってるその箱何?」


 ため息交じりの日路の台詞はスルーして、千里は日路が左手に持っていた白いケーキボックスを指さす。


 問われた日路は「ああ、これ?」とすんなり話題に乗っかった。


「杏姉から千里にだよ。 チェリーパイだって」


 言いながら、キッチン台に箱を置く日路に、千里は「ふ~ん」と気の無い返事をして冷蔵庫の戸を閉める。


 ばたばたとサッカーへ行く準備を進める千里に向かって、日路はコートを脱ぎながら別の話題を持ち出した。


「そういえば、年末実家帰るけど、千里はサッカー、年明け何日からなの?」

「三日からー」


 日路の質問に答えた千里は、そそくさとキッチンに戻って「てかさー」と言葉を続けた。


「年末年始さぁ・・・・・もぐ・・・・・実家帰んなきゃダメ? めんどいんだよね・・・・・もぐもぐ」

「そういえば千里、そんなこと言ってお盆も帰んなかったね」


 日路と同じ様にコートを脱ぐ蓮季が、苦笑して肩を揺らす。


 笑う蓮季とは対照的に、日路は顰め面をつくった。


「年末は帰るよ。 父さんと母さんが放任主義だからって、調子に乗ってるなよ」

「えー・・・・・もぐもぐ・・・・・めんどくさー」


 日路の説教に、千里は心底嫌そうな声を漏らす。先ほどから、会話の合間合間に咀嚼音が聞こえたが、日路や蓮季のいるリビングからは、キッチンに居る千里の様子が見えない。


 しつこく渋る千里を、日路が更に窘める。


「千里も受験生なんだから・・・・・進路のことちゃんと話してるか?サッカーの推薦の話とかも、暫く母さんたちに言ってなかっただろ」

「あー・・・・・うん」


 微妙な反応の後、千里は沈黙した。


 ちょっと言い過ぎたかな、と思った日路もそこで言葉を止めたので、部屋に静寂が訪れる。


 日路と蓮季が、自室で部屋着に着替えて戻ってきた頃、千里は荷物を持ってどたどたと部屋を横切っていった。


「俺、もう行くわ!」

「車に気をつけろよーっ」


 逃げるようにして部屋を出ていく千里の背中に、日路が軽く声をかける。


 がちゃん、とドアが閉まる音に、日路はふっと息を吐いた。


 自分はやはり、頼来が言う様に少し心配性が過ぎるのだろうか。兄として弟を気にかけているだけのつもりなのだが、どこまですれば良いのかが、正直未だよくわかっていない。


 一人悶々と考える日路を、キッチンへ飲み物を取りに行った蓮季が呼ぶ。


「日路、見て見て」

「ん?」


 手招きする蓮季に思考を一時中断し、キッチンへと向かう。


 キッチン台の上の状態を見て、日路は小さく吹き出した。


「全く。 食べた後動くと吐くとか言ってなかったか?」

「ははは。 言ってたね」


 日路がキッチン台の上に置いた、杏香に持たされたチェリーパイの箱は雑に開けられ、中にあったはずのチェリーパイのワンピースがすっかりなくなっていた。


 「本当に調子の良い奴め」と胸中で思いながら、日路は蓮季と暫く笑い合った。


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