白いハンカチの持ち主の正体
とある日曜日の昼過ぎ、深雪はかれこれ五分程、手にした刺繍入りの白いハンカチと睨めっこをしていた。
場所は駅近くの百貨店の前。
好きな漫画のコラボキャンペーンが今日から開催されている為、午前中から一人で百貨店に訪れていたのだ。
そして、満足のいく買い物ができたところで、鞄の中を探っていたところ、何故か見覚えのない白いハンカチが混入していることに気が付いた。
深雪は白いハンカチを手にしたまま「はぁ」と小さく息を吐く。
このハンカチは、深雪のものではない。落とし主に心当たりは無いが、自分の鞄の中に入ってしまっていた経緯はなんとなく察しがついた。
百貨店にやってきた時、深雪は人とぶつかった。その時、口の開いていた鞄から中身がいくつか飛び出したので、深雪は慌てて落ちたものを拾い集めて鞄の中に突っ込んだのだ。
恐らく、その時誤って自分のものではないものまで拾ってしまっていたのだろう。
しかし、このハンカチの持ち主がぶつかった人だとは思えなかった。
ぶつかった相手は、小太りの中年男性。偏見極まりないが、あの男性が、この刺繍の入った白いハンカチを持っているとは考えられなかった。
とりあえず、ハンカチを拾ったと思われる場所まで戻ってきたのだが、ここからどうすれば良いかと悩み始めて今に至る。
深雪は、もう一度ハンカチを凝視する。
角に青い薔薇をモチーフとした刺繍が施されており、このハンカチの持ち主は、きっと素敵な女性に違いないと勝手な妄想を膨らませた。
「どうしようかな・・・・・」
深雪には、二つの選択肢があった。
一つは、交番に届けるということ。落とし物を届ける先としては、定番といえる。
もう一つは、百貨店の受付に預けるというもの。
この辺りで拾ったので、落とし主も百貨店を訪れているかもしれない。落とし主が百貨店でハンカチを落としたと思っていたとしたら、こちらに預けておいた方が、落とし主もすぐに見つかるかもしれない。
どうするべきか判断が付かず、深雪はもう一度溜息を吐く。
その時ふと、視界に入った人影が気になった。
サングラスをかけたミディアムヘアの女性で、先程からきょろきょろと足元を確認しながら、百貨店入り口付近を歩き回っている。
くすみブルーのチェスターコートに、濃紺のピンヒール。
絶対にこのハンカチの持ち主だと、深雪は直感した。
「あのぉ・・・・・」
深雪はその女性にゆっくりと近づき、後ろから遠慮がちに声をかける。
女性は深雪の声にすぐに振り向いて「はい?」と反応した。
真正面に向き合って、その女性が放つ美的オーラの直撃を食らう。深雪は慄きながらも、なんとか手にしていたハンカチを前に差し出した。
「あの、これ・・・・・」
「あ、私のハンカチ!」
女性の反応に、深雪は間違っていなかったとほっと肩を撫で下ろす。
「ごめんなさい。 落ちてたハンカチを私、自分のものと間違って自分の鞄に入れてしまって」
平謝りする深雪からハンカチを受け取りながら、女性は「いいのよ」と美しく微笑んだ。
「落とした私が悪いのよ。 でも良かった、見つかって」
「大事な物なんですね」
深雪がそう声をかけると、女性は少しだけバツの悪そうな顔をして「まあ、そうね」と曖昧に頷いた。
どうやら、このハンカチには何か因縁めいたものがあるらしかったが、初対面の深雪が知る由もない。
気にはなったが、しょうがいない。深雪はその場を去ろうと、女性に向かって軽く会釈した。
「それじゃあ、私はここで・・・・・」
「ああ、待って!」
立ち去ろうとする深雪を、女性が咄嗟に呼び止める。
まさか止められるとは思っておらず、何だろうと戸惑いながらも立ち止まった深雪に、女性は肩から掛けた小さなポーチの中から、一枚のカードサイズの紙を取り出して差し出してきた。
「私、ここで働いてるの。 これも何かの縁だから、今度、是非来て頂戴。 サービスするから」
受け取ったのはお店の名刺らしく、読めない英字の店名が記されていた。何とか読めた小さなレストランの綴りに、この女性がどこかのレストランで働いていることが知れた。
きっとお洒落なレストランなんだろうなと、深雪がぼんやり想像していると、女性のコートのポケットの中から、スマホのバイブ音が聞こえた。
「もしもし?・・・・・ああ、ごめんごめん、ハンカチ見つかったの。 入り口にいるから、来てくれる?」
会話から察するに、ぼっちの深雪とは違って、この女性は誰かと一緒にこの百貨店に来ていたらしい。
サングラスの下の顔は見えないが、間違いなく美形である女性の連れがどんな人物かは気になったが、いよいよ深雪には関係のない話になってくる。
今度こそ、と深雪がお暇の言葉を口にしようとしたとき、背後から声が聞こえてきた。
「見つかったなら連絡しろよ。 俺、この荷物持って探しまくったんだけど?」
「はいはい、ごめんね」
どうやら女性の連れがきたらしい。二人の会話を聞きながら、なんとなく深雪は振り替えり、そこに居た人物に驚愕した。
「お、大神先輩!?」
「立花!」
視界に映るのは、間違いなく日路だった。
驚きの声を上げた深雪と同じく、日路も酷く驚いたようで、目を大きく見開いている。
二人の反応に、女性が興味津々に身を乗り出した。
「あら、二人は知り合いなの?」
「知り合いっていうか、学校の後輩・・・・・」
「です・・・・・」
深雪と日路が未だに驚きを隠せないでいる中、女性の方はというと「そうなの?」とどこか楽し気に手を合わせて微笑んだ。
「日路の後輩の子だったのね。 じゃあ、余計にサービスしなくっちゃ」
「何の話?」
「ええっと・・・・・」
話の流れが読めていない様子の日路に、深雪が簡単にこれまでのことを説明する。
説明を聞いた日路は、申し訳なさそうに深雪に向かって頭を下げてきた。
「そうか、立花が拾ってくれたんだな。 ありがとう」
「い、いいえ」
答えながら、深雪の意識は他へ向いていた。
日路と親しそうな美しい女性の正体はなんであるのか。気になって仕方がない。
前にもこんなシチュエーションがなかったかと、深雪は記憶をさらう。
確か、蓮季と初めて会った時も、こんな感じになった気がする。
あの時は美女だと思っていた人物が、実は日路の弟だったわけだが、目の前の女性は、確実に“美女”である。
「あの、お二人は、どういった・・・・・」
深雪は怯えながらも、恐る恐る尋ねてみた。実は恋人ですなんて言われたらどうしようと、額に嫌な汗が浮かぶ。
そんな深雪の複雑な心境は露知らず、日路は「ああ、ごめんごめん」と言って、女性の隣に立った。
ドキドキしながら、日路の言葉を待つ。
「この人、俺の姉貴。 前に話したことあったっけか?」
日路がした紹介を、深雪が理解するのには少しだけ時間がかかった。
姉貴って、姉貴って・・・・お姉さま!?
驚愕しながら改めて女性の顔をまじまじと見つめる。すると、彼女はすっとサングラスを外してにっこりと微笑んできた。
「初めまして、大神杏香です。 宜しくね」
「こ、こちらこそです・・・・・」
露わになった顔立ちは、日路の姉に相応しい美しさ。
前に話に聞いていたように、蓮季によく似ていた。
頭の中で、大神四姉弟が並ぶ姿を思い浮かべてみる。
妄想の中だけでも、とてつもないド迫力。大神姉弟恐るべし。
スーパー姉弟を前に漏らした深雪の感嘆の息が、十二月の寒気に溶けて消えた。




