鬼の言うことには
「頼来みーっけ」
「げっ」
トイレに併設された洗面台で手を洗っていると、勝ち誇った笑みを浮かべる成瀬に見つかった。
「来るの早っ! てか、ここ男子トイレだぞー」
「バッカじゃないの? ここ、私の家なんだけど?」
正論を吐く成瀬に頼来が押し黙る。しかし、成瀬の攻撃は止まらない。
「トイレに隠れるとか、卑怯で頼来らしいわよね」
「違いますー。 隠れる場所探してたら、お腹痛くなってきたからトイレ借りてたんですー」
調子に乗って、食べ過ぎてしまったらしい。かくれんぼが始まってすぐ、腹痛に見舞われた為、丁度行き当たったトイレに駆け込んだのだ。
漸く本調子に戻って、これから隠れようとしていたところで、早くも鬼の成瀬に捕まってしまったわけだ。
頼来の言い訳を聞いた成瀬は、眉間に皺を寄せて嫌そうな顔をつくった。
「ちゃんと手ぇ洗ったんでしょうね?」
「今、洗ってただろ!」
ハンカチで手を拭きながら訴える頼来を「ふーん」と言って軽くあしらった成瀬は、それからまた勝者の笑みを顔に浮かべた。
「ま、勝ちは勝ちだからね。 私の言うこと、一つききなさいよ」
「こえーな、マジで」
女王のお願い程怖いものは無いと、頼来はこれ見よがしに身震いして見せる。
それから、何かを思い出した様に「そういえば」と話題を変えた。
「成瀬、ちょっとお願いがあるんだけど」
「は? 何で私が、頼来のお願い聞かなきゃいけない訳?」
成瀬の言い分はごもっともである。
もともとの約束は、みつかった人がみつけた鬼の言うことを聞くというもの。
速攻で見つかった頼来に、成瀬にお願い事をする権限などない。
「いいじゃんよー。 ケチっ」
あまりにも頼来がしぶといので、珍しく成瀬が根負けして溜息を吐く。
「・・・・・言うだけ言ってみなさいよ。 聞くだけ聞いてあげるから」
「よっしゃ! あのな・・・・・」
頼来が“お願い”を耳打ちしてくる。
その内容を聞いた成瀬は「うーん・・・」と短く唸ってから、ちらりと頼来の顔を見た。
「・・・・ま、聞いてあげても良いけど?」
「サンキュー」
「その代わり、私のお願いも聞きなさいよ」
今度は自分がお願い事を聞いてもらう番だと、成瀬はにこにこと笑っている頼来に詰め寄った。
「はいはい、なんでございましょうお嬢様」
からかい口調の頼来には若干苛立ちを覚えたが、ぐっと堪えて腰に手を当て、仁王立ちして“お願い”を口にした。
成瀬の“お願い”を聞いた頼来は「ほんと成瀬は、深雪ちゃんが大好きだなぁ」と笑いながらも、すんなりと承諾してくれた。
「そうと決まれば、さっさと行くわよ」
「急げ急げ!」
小走りに長い廊下を駆けていく成瀬の小さな背を、頼来は笑顔で追いかけた。
かくれんぼがあっと言う間に終了し、千太郎の誘導で元居た部屋へと戻ってきた深雪は、日路と千太郎と共に成瀬らの戻りを待っていた。
なかなか戻ってこないので、何かあったのだろうかと心配し始めた頃、部屋のドアが雑に開けれらた。
「あ、成瀬ちゃん」
成瀬と頼来の戻りに一番に気が付いた深雪が声を上げる。
窓辺に寄りかかっていた千太郎が、入口を振り返って眉根を寄せた。
「遅くね?」
千太郎の疑問に、成瀬が無表情で答える。
「頼来がお腹壊して、トイレに籠ってたから」
「酷い嘘!」
頼来が非難の声を上げると、成瀬の冷たい視線が彼に突き刺さった。
「下してたのは事実でしょ」
「そんな汚物を見る様な目で見んなよ・・・・・」
「まあまあ」
激しく落ち込む頼来を哀れに思った日路が仲裁に入り、成瀬もそれ以上の攻撃を止めた。
それから、成瀬は深雪の方を向く。
「全く、ちょっとは鬼を楽しませなさいよ。 見つかるの早すぎ」
「面目ないです・・・・・」
ぐうの音もでないので、深雪はしゅんとして肩を竦めた。
同じ様にバツの悪さを感じたらしい日路が、何とかこの場を乗り切ろうと話題を切り替える。
「鬼の言うことを一個聞くんだよな? 俺と立花は、双葉の言うことを聞くってことになるけど」
「俺はもう、成瀬のお願い事聞いちゃったからね」
ちゃっかりとそんなことを言う頼来に向かって、成瀬が盛大にため息を吐く。
一体何をお願いしたのだろうと気になったが、成瀬の様子からするに、教えてくれそうもない。
深雪は早々に諦めて、千太郎からの“お願い”を待つ。
しかし、そもそもかくれんぼにあまり乗り気でなかった千太郎は、特にお願い事を考えてはいなかったようで、困った様に頭を搔いた。
「遠慮するなよ、双葉」
「そうそう、日路を一日パシリに使うとかできるぞ!」
「頼来は黙ってなさいよ」
大したお願い事が見つからなかった千太郎は、結局お願い事を保留する形をとった。
日路と深雪は、そろって千太郎に声をかける。
「何でも言って来いよ」
「いつでも、なんでもするからね!」
「ああ、うん・・・・・」
こうして恙なくかくれんぼが終了し、誕生日会もお開きの流れとなる。
「本当に、送らなくて良いんですか?」
玄関を出たところで、成瀬は日路に問いかけた。
自宅まで車で送ろうと進言したのだが、日路と頼来はバスで帰ると言ってそれを断ったのだった。
成瀬の再確認に、日路はやんわりと笑顔を浮かべた。
「ありがと。 でも、買い物もしていきたいから。 バスで帰るよ」
「これから日路の家で、大神兄弟と二次会だからな!」
誕生日を迎えた本人より楽しそうにはしゃぐ頼来に笑いながら、深雪は成瀬と千太郎と並んで、二人を見送る。
「今日は本当にありがとな。 また、学校で!」
「じゃーなー」
「お、お気をつけて!」
最後に声をかけることもでき、深雪はすっかり満足してほっと息を吐いた。
彼らの背が小さくなってきた頃、成瀬が満を持した様子で深雪に詰め寄ってくる。
「で、どうだった? 先輩の反応」
「え?」
成瀬の問いの意図するところがわからず、深雪は首を傾げた。
急いで頭の中をさらってみたが、答えを導き出せずに顔を引き攣らせる。
「えっと・・・・・何の話だっけ?」
恐る恐る聞いてみると、成瀬は怪訝な表情を浮かべてきた。
「え、何って・・・・・先輩への誕生日プレゼントよ。 渡したんでしょ?」
「はっ!!!」
成瀬の言葉に、漸く肩から提げたバッグの中の存在を思い出す。
勿論、このバッグの中には日路へのプレゼントであるフォトフレームが入ったままだ。
「忘れてた!」
「はあ!? バッッカじゃないの!?!?」
最大級の「バッカじゃないの」も頷けるほどの非常事態に、深雪は顔を青くする。
成瀬がびしっと、消えて行こうとする日路の背を指さした。
「早く追いかけなさいっ」
「うう、でももう行っちゃったし・・・・・」
今更追いかけて、タイミングが悪すぎやしないだろうか。
一つネガティブなことが浮かぶと、次々と悪い考えが浮かんでいく。
「やっぱり、私なんかがプレゼント渡すなんて、おこがましかったのかも・・・・・」
これはきっと、神様からのお告げなのだと思った。たかが一後輩が、学校の人気者に誕生日プレゼントを渡すなんてこと、分不相応過ぎたのだ。
一気に後ろ向きになる深雪に、言いたいことが多すぎて声を詰まらせる成瀬の代わりに、珍しく口を開いたのは千太郎だった。
「俺は、渡した方が良いと思うけど」
「え?」
まさか千太郎から、そんなことを言われるとは思わなかった深雪は、素っ頓狂な声を上げた。
隣にいた成瀬も驚いたようで、目を丸くして千太郎を見ていた。
視線を集めた千太郎は、少し間を空けてから改めて口を開けた。
「鬼の言うことは絶対な?」
「ええっと・・・・」
急に持ち出された“鬼のお願い”に戸惑う深雪に、千太郎がじっとその視線を向けた。
「今すぐ、大神先輩を追いかけろ」
「双葉君・・・・」
深雪の背中を押す“お願い事”に、深雪はぐっと両手を握り締めた。
行かなきゃ。こんなに応援してもらっているのに。
このまま引き下がっては、プレゼント選びに協力してくれた皆にも示しがつかない。
「ほら、行った!」
「は、はい!」
成瀬にそっと背を押され、深雪は弾かれた様に走り出した。
すっかり小さくなっていた日路の姿を追いかけ、深雪はすっと息を吸いこんだ。
「大神先輩!」
精一杯出した大きな声は、日路の耳に届いてくれた。
彼の足が止まり、そっとこちらを振り向いてきた。
その顔を見ただけで、ぐっと胸が熱くなる。考えてきたいくつものシチュエーションは跡形もなく消えていき、素直な想いだけが後に残った。
「どしたん? 深雪ちゃん、そんなに焦って」
深雪が追い付くと、日路の隣で頼来が驚いて目を大きくした。
日路も同じ様に、不思議そうな顔で深雪の方を見てきていた。
緊張で、足が震える。
いろんなことを考えてしまい、言葉が上手く出てこない。
「あ、あのっ、先輩っ・・・・・」
「ん?」
なかなか話し出さない深雪のことを、日路は根気強く待ってくれた。
察した様子の頼来は、黙ってその気配を消す。
「どうした?」
優しく問いかけられ、胸がいっぱいになった。うるさい鼓動を、頭を振って聞こえないフリをする。
深雪は、震える手でバッグの中から、ラッピングした袋を取り出した。
それから、ゆっくりと日路へとそれを差し出す。
「あの、これ・・・・・」
日路を直視できず、深雪は俯いたまま漸く言葉を紡ぐ。
「誕生日プレゼント、良かったら・・・・・もらってください」
「プレゼント?」
下を向いていたので日路の表情はわからなかったが、反芻した日路は、深雪の手からプレゼントを受け取った。
「用意してくれてたのか?嬉しいな」
「っ━━━━」
日路のそんな言葉に、深雪は漸く少しだけ顔を上げて、彼の表情を確認することができた。
いつも浮かべる笑顔が、いつもより輝いて見える。
「開けていいか?」
「ど、どうぞっ」
目の前で開けられるのは緊張したが、まさかダメですと言うこともできず、深雪はまた怖くなって顔を下に向けた。
ラッピングを解いていく音を聞きながら、深雪はぎゅっと目を瞑る。
暫くして、再び日路の声が聞こえてきた。
「フォトフレームだ。 立花が選んでくれたの?」
「は、はい・・・・・」
なんとか小さく答えると、近くにいた頼来が日路の手元を覗き込んで、笑顔を浮かべた。
「良いプレゼントだな」
「ああ」
二人のやりとりを遠くで聞くような感覚でいた深雪は、うっすらと目を開けてそうっと頭を上げてみた。
まっすぐにこちらを見る、暖かな瞳とかち合った。
「ありがとな、立花。 部屋に飾るよ。何の写真入れるかな」
微笑みながら、深雪のプレゼントしたフォトフレームを見る日路の姿は、一生脳裏に焼き付いて離れないことだろう。
緊張が一気に解けていく感覚に、涙腺まで緩みかけていると、頼来のおどけた声を上げた。
「おおと、こんなところに、こんなに良い写真が!」
わざとらしい台詞と共に、頼来が一枚の写真を胸ポケットから取り出す。
そのまま日路に手渡された写真は、今日撮った五人の集合写真であった。
「いつの間に印刷したんだ?」
「成瀬に頼んで、プリントしてもらったんだ」
鼻高々に語る頼来は、深雪ににかっと笑いかける。
「あ、写真のデータは後で送るから。 深雪ちゃんも保存してね」
「勿論です!」
思わず前のめりになってしまい、深雪は恥ずかしさに頬を赤らめた。
そんな深雪に、日路がもう一度笑顔を向けてきた。
「今日は、本当にありがとうな」
「こ、こちらこそ、ありがとうございました!」
九十度まで腰を曲げて感謝を述べる深雪に、日路と頼来の笑い声が弾けた。
赤くなった顔は、日の短くなった季節に助けられ、夕日の所為にすることができたと思う。




