思い出たち
不意にふいた秋風に、深雪はそっと空を見上げた。
すっかり焼けた色の景色は、正に秋色。
昇降口で成瀬等と分れた深雪は、駐輪場へと向かいながら小さく息を吐く。
今日、二年生が三泊四日の修学旅行から帰ってくる。
一学年いない筈の学園は、然程その賑やかさが変わったようには感じられなかったが、毎日映る景色の中に探していた想い人がいない寂しさを、深雪はこの四日間痛い程思い知らされた。
勿論今日も、二年生は学校から少し離れたところで解散し直帰する為、本当に丸四日間日路と話すことはおろか、その姿を拝むこともできなかったことになる。
そんなことで残念な気持ちになるなんて、随分と図々しくなったものだと、深雪はふと自嘲気味に笑みを漏らした。
修学旅行中、日路は旅行先で撮影した写真を幾つか送って来てくれていた。深雪の「写真が欲しい」というリクエストに、真面目に応えてくれる彼の神対応は、恐れ多すぎて失神しかけたのは記憶に新しい。
少しだけ、ほんの少しだけ、日路に近い存在になれただろうかと、どきどきしながら駐輪場に辿り着く。
自分の停めた自転車に近づく途中で、とんでもない幻覚に見舞われた。
「・・・・・大神先輩?」
駐輪場に佇む逆光のシルエットへと、深雪は目を眇めながら声をかける。
いや、まさか。そんな都合のいいことなどありえない。
「あ、立花。 お疲れ様」
聞こえてきた声は、確実に日路のものだった。深雪は慌てて彼の元へと駆け寄った。
「どうされたんですか・・・・・?」
いや、まずは“お帰りなさい”と言うべきだっただろうか。
日路の唐突な登場に、深雪の頭はパンク寸前。頭の中に心臓があるのではと思う程、鼓動が激しく鳴っていた。
問いかけられた日路は、いつもの爽やかな笑顔を浮かべている。
「うん、立花に渡したいものがあって」
そう言いながら、日路が修学旅行用の大きめのバッグの中を探る。
渡したいもの?私に?
「これなんだけど」
「!」
混乱する深雪の目の前に差し出されたのは、メッセージカードを入れる様な封筒だった。
反射で受け取った深雪は、おろおろしながらも「開けてもいいですか?」とお伺いを立てる。
「どうぞ」
にこりと笑いかけられ、深雪は震える手で封筒を開けた。
中身は、一枚の厚手の紙
「ポストカード!」
深雪は大きく声を上げてから、そのポストカードを凝視した。
真っ白な砂浜と、どこまでも美しく続く沖縄の海の写真が載ったポストカード。
「うん。 立花、写真が欲しいって言ってたけど、やっぱり俺が撮ったものだけだと、物足りないかなって思って」
「そんなことはっ」
実際、日路が送ってきてくれた写真はどれも素晴らしかった。特に、水槽で泳ぐジンベイザメの迫力ある写真がお気に入りだ。
「写真、沢山ありがとうございました。 海も砂も空も、とっても綺麗でした」
散々メッセージでもお礼は述べていたが、深雪は改めて感謝を込めて一礼した。
大したことしてないよと、日路は笑ってからゆっくりと踵を返した。
「じゃ、俺、今日は姉が迎えに来てるから。 気をつけて帰るんだぞ」
「あ、あの」
深雪が思い切って呼び止めれば、日路はもう一度こちらに体を向けてくれた。
「わざわざ、これを渡しに来てくれたんですか?」
「ああ、頼来も生徒会室に用があるって言ってたから、会えるかわからなかったけど、一緒に来たんだ。 会えて良かった」
“会えて良かった”の一言に、深雪は耳を疑った。今まさに、深雪が思っていたことをそのまま日路も思っていたのか。
深雪は頭が使い物にならなくなる前に、もう一度深く頭を下げた。
「あの、本当にありがとうございますっ」
「またな」
日路が去っていき、その足音が聞こえなくなった頃に、深雪はほっとしてその場にしゃがみ込んだ。
手の中の、ポストカードへと改めて目を向ける。
日路は、一体どんなことを考えながらこのポストカードを買ったのだろうか。少なくとも、その時間だけは、自分のことを考えてくれていたのではないだろうかと、おこがましいことを想像する。
「欲張りだぞ、自分・・・・」
深雪は戒めの様にそう呟いて、日路が消えた駐輪場の向こうを暫く見つめていた。
昇降口で深雪と分れ、迎えの車が停めてあるところに一番近い西門に向かって、成瀬と千太郎は並んで歩いていた。
特別な会話は無い。無言が苦痛にならない間柄の為か、二人きりになると意外と世間話をするということも無いのだ。
二年生がいないと、深雪の恋路が進まなくてつまらないなと、そんなことを成瀬が考えていると、隣でだるそうに歩いていた千太郎が、不意に足を止めた。
急にどうしたのかと、成瀬も一緒になって立ち止まる。
「・・・・・ヤベ、忘れものしたわ」
「何なの、その棒読み」
西門を一点に見つめる千太郎が、抑揚のない声でそんなことを言うので、成瀬も思わずつっこんだ。
つっこまれた千太郎は、「うるさいよ」と言いながら成瀬に背を向ける。
「とってくるから、先に行ってて」
「えー。 今日千太郎ん家の車なのに」
頬を膨らませた成瀬は、しっしと右手を払う様に振った。
「いいわよ、ここで待ってるから、早く行ってきなさいよ」
「ダメ」
面倒くさいなあと思いながら、千太郎を見送ろうとしていたのに、当の千太郎に“ダメ”と言われてしまう。え、何で?
意味が分からず首を傾げていると、千太郎が肩に提げていた自分の荷物を成瀬に押し付けてきた。
「・・・・・はァ?」
思わず受け取ってしまったが、持たされる意味が分からず、成瀬から低い声が漏れる。
並の人間なら震えあがるところだが、幼馴染の奴にはどうも効き目がない。
「それ持って、先行ってて」
「何で私が、千太郎の荷物持ちしなきゃなんないのよ!」
文句を千太郎の背中にぶつけたが、さっさと来た道を戻って行く千太郎は止まることはなく、仕方なく舌打ちで怒りを収める。
「ったく、千太郎のくせに」
収まりきらなかったものを口から出しながら、西門を出ようとした時だった。
「お、成瀬見―っけ」
聞こえた声に、耳がびくりとした。首を回せば、修学旅行帰りの頼来がこちらに手を振っていた。
「頼来?」
予想していなかった人物の登場に、成瀬は平静を装うことへと全神経を使う。
「あんた何してんのよ?今日は直帰でしょ」
努めていつも通り、つっけんどんな言い回しで聞けば、頼来はからからと笑った。
「まあね。 あれ、千太郎は?」
「・・・・・」
当然の様に聞いてくる頼来には、自分と千太郎はどのように見えているのだろう。
きっと面白くない考えを持っているに違いないと、成瀬は眉間に皺を寄せた。
「忘れもの取りに行ったわよ。 悪い?」
「いや? 丁度良かったよ」
頼来の意外な返しに、成瀬は疑いの視線を向ける。一体、この男は何を考えているのだろうか。
「丁度良いって何よ」
「これ、成瀬に渡そうと思ってさー」
頼来が、持っていたバッグから雑に“何か”を取り出して、こちらへ軽く投げて寄越した。
「はい!」
「!」
なんとかキャッチして、それが何かを確かめる。
目がくりっとした、可愛らしすぎるイルカのぬいぐるみだ。
「・・・・・何、これ?」
「お土産だよ! イルカ、かわいくね?」
「・・・・・」
本当に、この男の考えは読めない。
一体何の意味があって、これを渡してきたのだろう。もしくは、特に意味などないのか。
逡巡して黙り込む成瀬をどう思ったのか、頼来が「あれ」と首を傾げる。
「シーサーのが良かった?」
「いや、そんな訳はないけど・・・・・」
そこだけはなんとか否定を入れてみるも、いつもの様なキレの良い返しが思いつかない。
「皆の分は無いから、内緒だぞ?」
「・・・・・」
人差し指を口元に当て、わざとらしく微笑む頼来は、やっぱり何を考えているかがわからない。
結局、お礼も皮肉も返すことができないでいるうちに、頼来がこちらに背を向けた。
「あ、食べ物のお土産もあるから。 それは来週、学校で皆に分けるな!」
顔だけ振り返った頼来が、はにかみながら手を振ってくる。
オレンジ色をバックにした彼は、いつにも増して輝いて見えた。
「じゃあな、成瀬。 気をつけて帰れよ!」
「ああ、うん・・・・・」
最後まで微妙な反応しかできなかった。こんなの、自分らしくないのにと考えて俯くと、手の中に納まるぬいぐるみと目が合った。
自分にも、頼来にも似合わない可愛さに、なんとなく笑みが漏れる。
「可愛いってさ。 良かったね」
小さく零した呟きは、きっと誰も聞いていないだろう。




