リメンバー?
翼蘭学園の園芸部の活動は、他の部に比べればあまり頻繁ではない。
活動内容は基本的に二本柱で、実際に植物を育てる活動と、園芸について学ぶ座学がある。今日の活動は座学で、千太郎が居眠りしそうになるのを、深雪と成瀬の二人で何とか防いで乗り切った。
「小田部長怒るとめんどくさいんだから、絶対寝ないでよね」
部活動終わり、昇降口に向かいながら、成瀬が千太郎に睨みを利かせたが、当の本人にはあまり響いていない様で、欠伸を噛み殺すこともしない。
「死ぬほどねむい」
「この時間、眠くなっちゃうよね」
深雪がフォローに回ったところで、成瀬が何かを思い出した様に「そういえば」と話題を変えた。
「明日英語の小テストあったわね」
「ああ!プリント教室に置いてきた!」
授業中に分けられたプリントの在処を思い出し、深雪は足を止めて声を上げた。英語の小テストは点数が悪いと、成績にかなり影響するらしいと、専らの噂である。英語があまり得意ではない深雪は、急いで踵を返して、成瀬と千太郎に手を振った。
「私、教室寄ってくるね。 また明日!」
背を向ける深雪に、成瀬が呼びかける。
「今日、千太郎の車だけど、乗ってく?待ってるよ?」
成瀬と千太郎はご近所且つ、良家の生まれであるらしい。いつもどちらかの車で登下校をしており、深雪も何度も一緒に乗って帰ろうと誘われるのだが、深雪はその度に自転車通だからと断っていた。
勿論今日も、例外なく自転車で登校してきている。
「自転車あるから、大丈夫! ありがとうね、ばいばいっ」
「明日ねー」
常套句で断りを入れると、成瀬も食い下がることはなく、軽く手を挙げて見送ってくれた。
机の中からプリントを回収し、足早に駐輪場へ向かうと、剣道部の集団とすれ違った。
「じゃあな大神。 明日の集合早いから、遅れんなよっ」
聞こえてきた名前に、深雪は敏感に反応して視線を巡らせた。
憧れの存在を見つけるのは、そう難しいことではなく、深雪は一瞬でその姿を探し当てる。部活終わりの、爽やかな笑みを携えた日路が、自転車を引いて歩いているところだった。
「お前が遅れんなよ?」
「おう! また明日な~」
後ろに花弁でも散らしているのか、と思うほどの日路の華やかさに、深雪は立ち眩みしそうなところを、両足に力を入れて踏ん張り、何とか堪えた。そのまま影を薄くして、集団の脇をすり抜けようとした深雪だったが、欲が湧いてちらりと日路の様子を窺ったところで、偶然にも彼と目が合ってしまった。動転する深雪とは対照的に、日路は表情を更に優しく緩めた。
「気をつけてな」
「!」
確実に自分に向けられた言葉だったが、深雪は不信感から、勢いよく後ろを振り返った。当然、振り返った先には誰もいない。
深雪の挙動不審さに、流石の日路も慌てた様子を見せる。
「いや、立花に言ったんだけど。」
「え!た、たちばな!?」
まさか、今日のあのたった一回きりで、名前を憶えてくれたとは、露ほども考えていなかった深雪は、更に動揺して固まる。そんな深雪の反応に、日路は不安そうな表情を浮かべて首を傾げた。
「悪い、名前違ったか?」
「いいえ! あってますっ、大正解です・・・・・。」
恐縮しきって俯く深雪に、日路は無邪気に笑って見せる。
「ははっ。立花は面白い奴なんだな」
日路に「面白い」と言われ、深雪は心の中で歓喜する。彼の中で「立花深雪」として認識されている。そのことに、言葉にできない感動を覚えた。
何か返事をしなければと、頭をフル回転させたが、日路との唐突な会話に驚いてショートした脳みそは、最早役に立てるほどの思考回路を構築することができない。
そうこうしているうちに、日路は帰路につこうと「じゃあ」と軽く手を挙げてきた。
「気をつけろよ」
「あ、はいっ。 気を付けて帰ります」
日路の優しい声掛けに、心臓を爆音で鳴らしながらもなんとか返事をする深雪に、日路は「それもそうだけど」と、予想外にも言葉を続けてきた。
「自転車倒さないように、気をつけろよ」
「えっ」
あまりの衝撃に、深雪の頭は完全にフリーズする。
日路がその発言をするということは、初めて出会ったあの日を、彼も覚えているということになるのではないか、という仮説に辿り着くまでに、少々時間がかかった。
その可能性を少しも予想していなかった深雪は、いよいよ会話の能力を失くしてしまう。微動だにしない深雪に、日路は自転車を引きながら、顔だけで振り返って、輝かしいばかりの笑みを浮かべた。
「まあ、倒したらまた一緒になおしてやるけどな。 じゃなっ」
「・・・・・」
颯爽と去っていく日路の背中を、深雪はあんぐりと口を開けて見送る。
どれくらいそうしていたかはわからないが、徐々に状況の理解が追い付いてきたところで、心の声が漏れ出た。
「や・・・・・っばい・・・・・」
叫び出しそうになるのを、両手で口元を押さえて必死に堪える。それから暫く、深雪はその場から動けずに、放心状態で棒立ちする羽目になった。