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そっと恋して、ずっと好き  作者: 朱ウ
そっと恋する一年生編
42/109

最後のイチゴジャムパン

 九月も半ば。


 四時限目が終了し、深雪は足早に購買部へと向かった。


 購買部に用のない成瀬と千太郎に見送られてやってくると、既に人の群れが出来上がっていた。


「出遅れた・・・・・」


 四時限目が移動教室だったこともあり、すっかり波に乗り遅れた深雪は、群衆に圧倒されながら意を決して紛れ込んだ。


 すっかり寂しくなった、総菜パンの並ぶケースを眺め、深雪はイチゴジャムパンに目を留めた。


 最後の一個のイチゴジャムパン。前に食べたことがあるが、なかなか美味しかったことを思い出し、そのイチゴジャムパンへとそっと手を伸ばす。


 すると、同時に右側から他の人の手がイチゴジャムパンに向かって伸びてきた。


「!」


 右に佇んだ人物を反射的に見上げると、相手も少しだけ驚いた顔でこちらを見ていた。


 親しい間柄ではないが知った顔に、深雪は思わず「あっ」と声を漏らす。


「海織先輩っ」

「・・・・ああ、確か大神の知り合いの」


 深雪が名を呼ぶと、少し間を空けてから、思い出した様に海織が頷く。そして一拍おいてから、はっとした表情を浮かべ、何かに怯えるようにきょろきょろと周りを見回した。


「・・・・・ええと、成瀬ちゃん・・・・・この前、一緒にいた美人の女の子なら居ないですよ」

「そ、そうか・・・・・」


 察した深雪が説明すると、海織はあからさまにほっと肩を撫で下ろした。


 海織は女子剣道部に所属する、ベリーショートヘアのクール女子。そのクールビューティーさに、一見近寄りがたさを感じるが、実は美しいものに大変弱いという面を持っている。


 夏休みに初めて会った時は、あまり話すことができなかったが、一度しっかり話してみたいと思っていたので、深雪はこの突然の出会いに非常に緊張を感じていた。


 一方で、成瀬の不在を知った海織は、醜態を晒さずに済んだと安堵の表情を浮かべ、それから手を伸ばしていたイチゴジャムパンを深雪に向かって渡してきた。


 思わず受け取った深雪だったが、慌てて首を横に振る。


「これは海織先輩がどうぞ!」

「いや、私はいい。 君が食べなさい」


 恐縮する深雪に、海織がクールな微笑みを残してくるりと踵を返した。


 その後ろ姿がカッコよく、深雪は呆けた様に見とれてしまう。


 お礼を言いそびれていることに気が付き、急いで会計を済ませ、海織の背を追いかけた。


「海織せんぱっ・・・・・━━━━」


 声をかける途中で、深雪は左側から飛び出してきた男子生徒とぶつかった。その拍子に手から滑り落ちたイチゴジャムパンが床に落下し、更にそのぶつかった男子生徒に軽く踏まれてしまう。


「ああっ」

「あー、すまん! 悪いっ」


 ぶつかった男子生徒は、謝りながらもそのまま走り去っていこうとする。どうやら、高校生にもなって謎の追いかけっこを繰り広げている様で、他の数人も同じ様に廊下を逃げ回っていた。


 深雪が呆気にとられているうちに、その場を離れていく男子生徒を、低い声が前方から呼び止めた。


「おい、待て」

「!?」


 男子生徒が反応するのと同じ様に、深雪も声のする方へと顔を向ける。そこには、こちらの事態に気が付いた海織が、戻ってきて仁王立ちしていた。


「それだけか?」

「は?」


 呼び止められたことに若干苛立ちを表に出した男子生徒に、海織のきつく鋭い視線が突き刺さる。


「その子にぶつかって、きちんと謝りもせず、この場を去ろうとしているのか?」


 トーンを落とした海織の問い詰め方は、さながら殺人犯を追い詰める名刑事の様である。


「高校生にもなって、ガキの追いかけっこは結構だが、人様にをかけるな」

「うぅ、うるせえな・・・・・」

「やめとけ、こいつ剣道部の松野海織だ・・・・・」


 怯みながらも未だ虚勢を張る男子生徒に、他の仲間がそっと近づいてきて忠告する。その一言は効果覿面だったらしく、男子生徒は顔色を青くしてこちらに背を向けた。


「くっそ、めんどいな・・・・・」

「待てと言っている」


 足早に去っていこうとする男子生徒の肩を、ぐっと海織が右手だけで掴む。


 深雪の位置からでは、海織の表情は見えなかったが、振り返った男子生徒の顔色が、青から白に変化していくのだけはわかった。


「きちんと謝れ」

「・・・・・」


 黒いオーラを放つ海織に、男子生徒はすっかり意気消沈した様だった。





 騒動後、深雪と海織は並んで廊下を歩いていた。


「・・・・・あれだけで、本当に良かったのか?」


 隣を歩く海織が、納得のいかない表情を浮かべながら深雪に問いかける。


 深雪は「いいんですよ」と答えてにこりと笑った。


「謝らせるだけじゃなく、弁償させても良かったと思うけどな」


 人の良い深雪に、海織はやれやれと首を横に振った。


 深雪は踏まれてしまったイチゴジャムパンを手にしながら、幸せそうに笑う。


「せっかく海織先輩に譲ってもらった、最後のイチゴジャムパンなので」

「・・・・・そうか」


 呆れたような笑みを浮かべる海織と、そのまま暫く他愛ない話をしていると、廊下の角から突如として成瀬がひょっこりと顔を覗かせてきた。


「あ、深雪いたー!」

「「!」」


 突然の美少女降臨に驚いた深雪は、視界の隅で大袈裟に肩を揺らす海織を捉えた。


「なかなか戻ってこないからさー。 様子見にきたんだけど・・・・・」


 成瀬がずかずかと近寄ってくると同時に、海織の体がくの字に曲がっていく。


 深雪は両手を突き出し、慌てて成瀬を制止させた。


「待って成瀬ちゃん! ストップっ」

「? 何言ってんの、深雪」


 意図するところがわからない成瀬は、眉を顰めながら歩を止めようとしない。


 遂に、海織が廊下に膝をつく。


「くっ・・・・・修業が足りない・・・・・」

「海織せんぱーい!!!」

「まじで、何やってんの?」


 渋く悔いを述べる海織に、情緒不安定になる深雪。それを冷めた目で見る成瀬という奇妙な構図が、翼蘭学園の昼休みに出来上がった。

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