その後
さおりが出立する日は、生憎の雨となった。
まるで彼女が行ってしまうのを、引き留める様に。
「見送りありがとね、日路君」
駅の改札口前、さおりは見送りに来た日路と向き合って笑顔を浮かべた。
貴重な休日にも拘らず、嫌な顔一つせずにここまで来てくれた幼馴染は、昔から変わらずに優しいままだ。
日路はきょろきょろと周りを見回して、それから首を傾げる。
「家の人は?」
大真面目な顔で聞いてくるので、さおりは思わず噴き出した。
「今でも見送りしてくれるの、日路君ぐらいだよ」
さおりも家族も、海外に立つことにはいつしか慣れてしまい、今日もコンビニでも行くかのような気安さで「行ってきます」と言って家を出た。
いつまでもこうして駅まで見送りに来てくれるのは、日路ぐらいである。
いや、日路とあともう一人、
「ごめん、頼来にも声かけたんだけど・・・・・」
「いいのいいの」
何故か日路が申し訳なさそうに肩を落とすので、さおりはゆっくりと首を振った。
いつも日路と二人で見送りに来てくれていたのだが、今回は流石に頼来は来なかったらしい。
きっとあの日が原因だと、さおりは自嘲気味に笑う。
頼来たちの後輩まで巻き込んで、頼来の好きな人を突き止めようとした訳だが、結局未遂に終わってしまった。
今となっては、未遂で良かったと思っている。
頼来が自分のことを恋愛対象として好きではないことは、初めからわかっていた。それでも、頼来から告白されたあの日、喜びが不信感を上回った。涙するさおりに、頼来が少しだけたじろいでいたのを覚えている。
知らないふりをした。頼来の本当の気持ちに。勿論、さおりに告白をしてきた意図まではわからなかったが、偽りの幸せに縋り付いていたかった。
これはその、代償なのだろう。
「そろそろいくね」
さおりがゆっくりと背を向けると、日路は遠慮がちに手を挙げた。
「またな」
日路に見送られながら、頭の中にはもう一人の幼馴染の顔が浮かんで離れない。
なんて酷い奴なんだと、自分のことを責めつつも、彼への想いは募るばかり。いい加減あんな男のことは忘れるべきだと思うのだが、そううまくいかないのがどこまでも腹立たしい。
そんな風に物思いに耽りながら、改札口を通ろうとした時である。
「さおり! 待った!!」
背後から、日路の大きな声がかけられた。
「日路君?」
驚きながらも振り返れば、視界では日路よりも先に他の人物を捉えた。
会えても会えなくても自分を傷つける、初恋の人。
「よっ」
「頼来・・・・・」
まるで、予定通りに登場しましたとでも言わんばかりの落ち着いた様子の頼来に、若干苛立ちを覚えながらも、それでも胸の奥がきゅっと鳴ったのはごまかせない。
それによく見れば、傘を手にはしているが、髪や服はほとんど濡れており、急いでやってきたことがすぐに知れた。そんなことすらも、さおりの心をかき乱した。
気を遣ってくれているらしい日路は、遠くでこちらを心配そうに見つめている。
目の前の頼来はというと、いつものおどけた雰囲気は一つも見せず、妙に緊張感を持った顔をするので、なんだかこちらまで背筋が伸びてしまう。
「さおりに、言っておかないとって思って」
切り出した頼来の言葉に、さおりは耳を塞ぎたくなった。
何を言われても、苦しくなりそうな気がして。
そんなさおりの心境が伝わったのか、頼来はらしくない真剣な瞳を、まっすぐにさおりに向けてきた。その視線に、さおりの決心も漸くつく。じっとして頼来の言葉を待った。
「ちゃんと、好きだから。 さおりの好きとは・・・・・違ったかもしれないけど」
「・・・・・」
頼来の言葉が、ゆっくりと身に染みて全身を満たす。告げられた台詞は頼来の本心で、それ以上の追及は意味のないものだとさおりは理解した。
恐らくこれが、頼来が最大限告げることのできる真実なのであろう。
俯いたさおりだったが、大きく深呼吸をした後、唐突に顔を上げて、両手で頼来の両耳を思い切り引っ張った。
「痛ってぇ!」
「生意気頼来がっ」
痛がる頼来から手を放し、さおりは腕を組んで笑って見せた。
強がりのつもりではない。
「バツとして、次に帰国したときは、日路君と二人で出迎えることっ」
「別にいいけどさ・・・・・」
そんなに痛かったのか、涙目になりながら両耳を手で押さえる頼来に、さおりは瞳を濡らしながら笑った。
何の涙かは、自分でもわからなかった。
暫く笑い続け、収まった頃に改めて頼来と向かい合う。
「じゃあね、頼来。 さよなら」
「おう、元気でな」
次会う時は、きっと大切な幼馴染になれている。それが少し寂しい気もしたが、今はどこまでも清々しい。
唐突に真面目な別れが照れくさくなり、さおりは咄嗟に遠くにいた日路に向けて声を張った。
「日路君もまたねー!」
大きく手を振れば、日路は無言のまま笑顔で手を振り返してきた。
昔に戻ったような気になったさおりは、そして遂に改札をくぐる。もう振り返ることはない。
駅のホームに出れば、先刻まで荒れていた天気がすっかり変わり、雲の合間からは日の光さえも覗いていた。
背中を押すような空に、さおりは自然と笑みを漏らした。
さおりの見送りを終え、並んで帰路に着いていた。雨がやんでいたので、持ってきていた傘を邪魔そうにしながら、頼来が徐に口を開けた。
「気ぃ使わせて悪かったな、日路」
「何が?」
素で惚ける日路に、頼来は「ははっ」と笑って話を続ける。
「次にさおりが帰ってきた時は、二人で出迎えろってさ」
先刻までの、さおりの顔が浮かぶ。最後に笑顔を見せたさおりに、許されたとは到底思うことなどできないが、心に長年燻っていたどうしようもない感情は少しだけ薄らいだ気がした。
頼来の言葉に、今度は日路が爽やかに笑う。
「盛大に迎えないと、キレられそうだな」
「なー」
さおりとは、元の幼馴染に戻った。
日路とも、変わらずずっと幼馴染のままだ。
翌日、事の一部始終を聞いてきた成瀬が深雪に話をしてくれた。
どうやら、巻き込んでしまった深雪には話しておくべきだと、頼来が気を遣ってくれたらしい。
頼来が決断したことに、外から何か言うつもりはないが、彼なりのけじめがつけれらたことは、深雪としてもほっとした。
もっと言えば、あの日喧嘩別れのようになっていた成瀬との関係も、元の通りになっている様で、それは本当に良かったと肩を撫で下ろした。
自分が何をしたわけでもないが、一件落着したような気分になっていると、一通りの話を終えた成瀬の目がギラリと光った。
「なーに、一段落したみたいな顔してんのよ?」
「ええ!?」
心の内を見透かされたようで、深雪はどきりとした。
まるで、一段落したと思っている深雪を責めるかのような成瀬の言い方には、少しだけ嫌な予感がする。
深雪が警戒度を上げている傍で、成瀬がため息交じりに言葉を続ける。
「もう少しで、約束の“あれ”の時期じゃないの」
「え、約束?・・・・・って、何だっけ?」
全く意味が分からず、純粋に首を傾げていると、成瀬の表情が一瞬で鬼になる。
「ばっかじゃないの!? 脳みその消費期限切れてるわけ!?」
「羽澄、言い過ぎだぞ・・・・・」
例の如く、机に突っ伏していた千太郎が、流石に言い過ぎだと成瀬を諫めた。
当然、それを素直に受ける成瀬ではない。やる気はないのかと、説教を垂れる事態となった。
「それで、なんの約束?」
そろそろ疲れてきた様子の千太郎が、話を本題に戻して成瀬に問いかける。
成瀬は、何度目かとなる溜息を盛大に吐いてから、改めて話し始めた。
「千太郎も覚えてない訳? ホントだめね、二人して」
ダメ出しから入ったので、深雪と千太郎はバツの悪さから顔を見合わせた。
頼りない友人二人へ向けて、成瀬は“あの日”を思い出せと言わんばかりに人差し指を突き立てる。
「夏休みに、大神先輩にお弁当届けた日よ! ジュースはいらないからって、お願いしたじゃない」
夏休み、大神、お弁当、お願い・・・・・それぞれのキーワードを頭に並べていく。それを頼りに記憶をたどっていると、とあるシーンに辿り着いた。
「ああっ!」
深雪は漸く成瀬の言う「約束」を思い出して、大きく手を打った。




