懐古の瞳
「成瀬は横暴すぎるんだよっ」
「ばっかじゃないの? 頼来が悪いんでしょっ」
「ふ、二人とも声が大きいよ・・・・」
ヒートアップする成瀬と頼来の言い合いに、深雪は焦りを感じて、おろおろと仲裁に入った。
このままでは、日路たちの席まで声が聞こえてしまうと危惧していた訳だが、この二人を止められるだけの力量を深雪は持ち合わせていない。
そしてとうとう、その瞬間が訪れる。
「何してるんだ?」
「!!」
聞き慣れた声に気が付いたらしい日路が、席を離れて深雪たちの座るテーブルまでひょっこり顔を出してきた。
深雪は戦慄して固まったが、成瀬と頼来は既に当初の目的を忘れて、二人同時に日路に詰め寄った。
「日路! 成瀬が俺に手をあげようとしてくる!」
「大神先輩、このお喋り木偶をどうにかしてください」
「二人とも落ち着いて・・・・・」
いきなり話の矛先を向けられ、流石の日路も困り顔で二人を宥める。
その後ろから、件の美女も顔を覗かせてきた。
「二人の知り合いなの?」
首を可愛らしく傾ける美女━━━木原さおりは、その長い髪を片耳にかけながら柔らかく問いかけた。
彼女をオーラはどことなく日本人離れしている気がして、深雪は緊張から背筋をすっと伸ばした。
さおりの質問に答えたのは、日路である。
「うん。 三人とも、高校の後輩だよ」
「そうなのね。二人とも慕われているんじゃない。 お姉さんとしては、うれしいわ」
「一個しか違わないだろ」
静かに笑い声をたてるさおりの言葉に、頼来が小さくツッコミをいれる。どうやら、さおりは日路たちより年上であるらしい。
深雪が彼らのやりとりをどぎまぎしながら聞いていると、微笑むさおりとふと目が合った。
吸い込まれそうな程の澄んだ瞳をしている。
「そうだ。 せっかくだから、皆でお茶しましょ。大勢の方が楽しいし」
「えっ」
さおりの提案に、珍しく頼来が乗り気でない声を上げた。
それから左手で一年生三人を手招くと、小声で指示を出してきた。
「さっきの、日路の初恋だとかって話、内緒だからな!」
「りょ、了解です」
深雪はこくこくと頷いて了承したが、成瀬と千太郎はどこか胡散臭そうな顔をして、頼来を睨んだ。
兎にも角にも、深雪、成瀬、千太郎の三人と、日路、頼来、さおりという六人でテーブルを囲むという奇妙な構図が出来上がった。
「まずは自己紹介からよね。 私は木原さおり。 頼来と日路君とは、幼馴染なの」
さおりの簡単なあいさつに続いて、深雪たちも順番に名を名乗る。成瀬と千太郎の愛想はゼロだったが、さおりは大人な対応で「三人とも美男美女ね」と花のように微笑んだ。
成瀬と千太郎は確かに美男美女だが、自分は完全におまけ感が抜けないと、深雪はこんな状況でも自嘲する。
さおりが話を回していき、会話の内容は段々と日路たちの思い出話になっていく。
「よくお兄ちゃんに怒られて、頼来はべそかいてたわよね」
「いつの話だよ・・・・」
「今は成瀬に怒られて、べそかいてるけどな」
日路にからかわれ、頼来が口を尖らせる。
ここまでいじられる頼来も珍しく、流石幼馴染トリオといったところか。
三人の話に相槌を打ちながら、深雪は妙にそわそわしていた。
憧れの人と、その人の初恋の相手と同じ場にいる。更に言えば、その元カレもいるというこの状況。最早修羅場といってもいいのではないかと思われる関係性だが、当人たちは至って平和に会話を楽しんでいる。
頼来からの緘口令もあり、下手に話に入ることもできず、深雪は口を結んだ。
深雪の両サイドに座る成瀬と千太郎に至っては、興味がないのか相槌すらそこそこである。
「そういえばさおり、いつまで日本にいられるんだ?」
思い出話が落着した頃、日路がふと思い出した様にさおりに問いかけた。
「来週いっぱいまで、いるつもり」
「さおりさん、海外に住んでいるんですか?」
ここで漸く深雪が、無難な質問を口にする。さおりはにこりと微笑んで答えてくれた。
「うん。 ドイツに留学してるの。 バイオリンをやってて」
「すごい!」
純粋に感嘆の声を上げると、さおりが「まだまだだけどね」と照れくさそうに頭を搔いた。
その仕草が可愛らしく、これは日路でなくとも好きになってしまうなと、深雪はまた気持ちを落ち込ませる。
そろそろ成瀬の忍耐力が切れそうになった頃、頼来の取り計らいでなんとかその場はお開きとなった。
「じゃあ、俺らこっちだから」
「皆またね!」
頼来とさおりが、二人並んで駅の方角へと向かう。その姿を見送りながら、深雪は成瀬と千太郎、そして自転車を引く日路と共に帰路についた。
それまで沈黙していた成瀬が、漸く息ができた様に「あーっ!」と短く叫ぶ。その様子に、日路が申し訳なさそうに肩を竦めた。
「三人共付き合わせて悪かったな。 せっかくお昼食べに来てたみたいだったのに」
どうやら日路は、深雪たちが偶然あの場に現れたと信じているらしい。その素直さに若干後ろめたさを感じつつ、しかし尾行がばれずに済んで良かったと、心の底から安堵した。
「あの人、頼来の元カノですよね?」
「成瀬は何でも知ってるなー」
棘のある様な声色の成瀬の言葉に、日路が苦笑い気味に頷く。
深雪は、成瀬がそのまま「大神先輩の初恋の人ですよね?」と言い出すのではないかと冷や冷やしたが、流石の彼女も空気を読んでそこには触れなかった。
それから、成瀬にそっと視線を向けられる。
何か話せと、暗に言っている。
「き、綺麗な人ですね」
成瀬の圧に押されて思い切って聞いた深雪だったが、口にしてから後悔した。
一体どんな答えを期待したのか、自分でもよくはわからなかったが、良い返答を得られる質問ではない。
「そうだな」
短く肯定した日路の瞳は、どこか懐かしい色をしている。
過去を見る日路の横顔に、深雪は苦しさのあまり目を背けた。
日路はまだ、あの人のことが好きなのだろうか。




