苦手なものは、誰にでも
「三人ともありがとうな。 お礼にジュースおごるよ」
「ごちそうさまでーす」
日路から労われ、成瀬が間延びした礼を述べる。
暫く雑談を交わしていると、道場内から一人の女子生徒が顔を出した。
「大神、先生が呼んでいるぞ」
現れた女子生徒は、日路と同じように道着姿をしていることから、女子剣道部員と見える。
短い髪に、切れ長の瞳。凛とした表情を兼ね備えたクールビューティー。
「わかった。 ありがとう」
二人のやり取りの雰囲気から、恐らく同級生と思われた。
軽く礼を述べた日路に、女子部員が目を伏せて再び口を開ける。
「それと、あまり部外者を道場に招き入れるなよ」
少しきつい言い方に、深雪はすっと背筋を伸ばした。急に居心地が悪くなり、視線を彷徨わせる。
察した日路が、きちんとフォローを入れてくれた。
「ああ、違うんだ。 三人は、俺が忘れた弁当を届けてくれて」
女子部員に近づきながら説明する日路は、そのまま二、三その女子部員と言葉を交わしてから「ちょっと先生のところ行ってくる」と言い残して、道場内へと消えていった。
残された微妙な空気が、女子部員の冷めた口調を響かせる。
「君たちも、用が済んだのなら、帰りなさい」
随分と棘のある言い方が、成瀬の気に障った様で、あからさまに表情が歪む。それから大きく口を開けたものだから、深雪は彼女が何かを言い出す前に退散しようと、咄嗟に腕を引いた。
その時、
「おーっす! 日路いる?」
明るく軽い声が、どんよりとした空気を一瞬で弾けさせた。
その場にいた全員が声の主を振り返り、一番に声を上げたのは成瀬である。
「頼来?」
「おお、成瀬に千太郎に深雪ちゃんまで。 え、何、どうしたの」
こっちの台詞だと思いながらも、誰も口に出せないでいると、女子部員の目つきが鋭くなった。
「吉井、お前も部外者だ。 当然のように入ってくるな」
「冷たいこと言うなよ、海織ちゃん」
完全に馬鹿にした言い方の頼来に、海織と呼ばれた女子部員の纏う空気が悪化する。
これ以上こじらせないでくれと、心の中で祈る深雪を他所に、頼来と海織の間で口論が始まった。
「お前は毎日毎日、大神のストーカーか。 部員でもないくせに、堂々と出入りするな」
「ひっでえ。 俺だって、小学生の頃は剣道やってたんだぜ」
「ふんっ。 そんな大昔の話を語るとは。見苦しいぞ」
「冷たいんだよぉ、海織はっ」
どちらかというと、頼来が嘆いているだけのような気もしたが、どうにかしてこの争いをとめなければと思案しながら深雪がおろおろとしていると、流石に疲弊した様子の海織が大きくため息を吐いた。
「もういい。 お前と話していると気力が削がれる。そこの一年連れて、部外者はさっさと帰れ」
深雪たちから視線は外しながら、頼来に向かって海織がぱしゃりと言ってのけると、遂に成瀬が足を踏み出して、頼来の前に出て仁王立ちした。
「さっきから部外者部外者って、ちょっと言い過ぎなんじゃないんですか?」
下から睨みを利かせる成瀬を、海織は目線を逸らして無言を貫く。
成瀬が思わぬ援護をしてくれたことに感動した頼来は、わざとらしく口元に手をあてた。
「そんなっ・・・・・成瀬が俺を庇ってくれるなんて」
「頼来うざい」
「頼来サン、いい加減学べばいいのに」
成瀬の本音と千太郎の野次を都合よく聞き流した頼来は、頷きながら成瀬の両肩に手を置いた。
「よしよし、そんな良い子の成瀬ちゃんには、必勝法を教えてやろう・・・・・それっ」
「ちょっと!?」
掴まれた肩をそのまま押し出され、成瀬が海織の方へと体を傾かせる。
突然のことに足を踏ん張れずに成瀬が倒れかけると、反射的に海織がその体を支えようと手を伸ばした。
そっぽを向いていた海織の瞳に成瀬が映り込み、支えた格好のまま数秒二人で見つめ合う。
絶妙な間の後、海織がその表情を歪ませた。
「くっ・・・・・吉井めっ」
何故か恨みがましく頼来の名を呼び、なんとか成瀬を元の態勢に戻させてから、急に膝から崩れ落ちて両手を床についた。
「もう無理、降参」
一体何事かと、一年生組が困惑していると、海織が唐突に白旗を上げる。
「え、全然意味わかんないんだけど」
あまりに脈絡のない展開に、成瀬が動揺を隠せずに頼来へと説明を求めた。
視線を集めた頼来は、得意気な顔で説明を始める。
「海織はね、美しいものとか綺麗なものに異常に弱いんだよ。 特に女の子」
「うるさいぞ、吉井」
海織は頼来を見上げて睨みつけた。ただ、膝を折った体勢の為、迫力は半減している。
どうやら、先程からやけに帰らせようとしていたのは、この事態を避けたかった為であるらしい。
言われてみれば、海織は最初に顔を出してきた時以外、何故か視線をどこかへ外していた。
海織の言動に合点がいったところで、日路が小走りに帰ってきた。
「お待たせー・・・・・って、これ、どういう状況だ? 頼来もいるし、何してるんだ?」
疑問を全部ぶつけてくる日路に、頼来が盛大に笑ってみせる。
「海織の必勝法を教えてた」
「ああ、成程」
その一言で、日路は納得した様に笑顔で頷いた。
どうやら、彼らの中では周知の事実であるらしい。
「相変わらずだな、海織」
「大神も黙れ」
力なく答えながら、ゆっくりと立ち上がる海織に日路は笑いを返したが、反対に深雪の表情は硬いものになった。
ごく普通に日路が「海織」と名前で呼んだことに、思わず動揺してしまったのだ。
話を聞いていると、三人は同じクラスの様で、単純に仲が良いだけだと思われたが、それでも変に気になってしまう。
そんな深雪の心境を読み取ったのか、頼来がこそっと近づいてきて耳元で囁く。
「ちなみに皆が名前で呼んでるのは、名字が松野で、同じクラスの他の奴とかぶってるから。 呼び分けてるだけだよ」
だから心配しなくてもいいよと、にっこり微笑まれ、深雪は心の中を読まれた様な恥ずかしさに顔を俯かせた。
その様子に、成瀬が怪訝な顔をして頼来に詰め寄る。
「ちょっと頼来、深雪に変なこと言ってんじゃないわよ」
「言ってないよ! 寧ろ優しさあふれるフォローだよっ」
心外だ、と喚く頼来には悪いが、深雪は俯いたままフォローを返すことができずに心の中で謝罪する。
暫くして、漸く元の調子に戻った海織が、それでも少しだけ疲れた様子でくるりと踵を返した。
「私は戻るぞ・・・・」
「戻る前に、もっとこの美少女成瀬を拝んでったら?」
「うるさいっ」
茶々を入れてくる頼来を乱暴に振り切り、海織が道場内へと引き返していく。
その姿を楽しそうに見送った頼来が、急にしみじみと語りだす。
「好きなのに苦手って、難儀だねえ」
その言葉に、深雪は妙に共感を覚えた。
好きなのに、苦手。
まさに日路に対する、深雪の気持ちそのものである。
苦手と言うと少し違うかもしれないが、好きという気持ちがあるのに、会いに行くことに気が引けたり、話せなくなってしまうのは似た感覚だ。
そう思うと急に海織に親近感が湧き、もう少し話をしてみたかったなと悔いが残った。
「本当に巻き込んで悪かったな。 ほら、ジュース買いに行こうぜ」
「え、日路の驕り? ラッキー」
日路の申し出に、頼来が調子よくはしゃぐ。勿論、日路には頼来の分まで驕る意味も気もさらさらない。
「なんでだよ。 頼来は自腹だぞ」
「日路ってば冷たい!」
言い合いながら並んで歩いていく二人の後を成瀬と千太郎と共に付いて歩きながら、深雪は成瀬に声をかける。
「本当に二人、仲いいよね」
「そうね」
成瀬の返事はそっけなかったが、深雪は特に気にせずにそのまま日路たちの後を追った。




