ミッション2
美形凸凹コンビと共に、若干憂鬱な気持ちで深雪は剣道場までの道のりを歩いていた。
日路のお弁当を届けるという大役は、深雪の肩には重すぎる。何度目かの溜息を吐いたところで、成瀬がぎろりと睨みをきかせてきた。
「いい加減、腹を括りなさいよ。 もう着くわよ」
「わかってるけど・・・・・何なら一生着かなくて良いよ・・・・・」
弱弱しく音を上げる深雪に対して、成瀬の鬼教官ぶりは衰えを知らない。
「ばっかじゃないの? ぴーぴー言ってないで、これくらいさくっとこなすのよ」
「言い方・・・・」
千太郎が小さく諫めるのとほぼ同時に、昼の十二時を知らせる鐘が鳴り響いた。
それを聞いて、成瀬が「まずいわ」と言って急に駆け出す。
深雪は驚愕した。
「成瀬ちゃんが、走ってる!?」
「いや、驚くとこ違うし、羽澄だって走るだろ」
千太郎には軽く突っ込まれたが、深雪は驚きを隠し得ない。
日頃ものぐさにしている成瀬の、あのスピードで走る姿は今までに拝んだことがない。
足取りが良い時こそあるが、あんなに速く走れるなんて反則だ。
一体何が彼女をそうさせるのか、深雪は今更ながら不思議に思って首を傾げた。
「うわー。 休日なのにギャラリーいるんだけど」
剣道場が見えたところで、成瀬があげた第一声である。
深雪が成瀬の背中越しにちらりと剣道場を見ると、彼女の言う通り、いつかの時の様に複数人の女子生徒が群れをつくって中を覗いていた。
休日ということもあり、以前より若干人数は少ないが、それでも所謂“ファン”たちの熱意は天晴といえる。
深雪が改めて感心していると、成瀬は一度止めていた足を、堂々と再び踏み出した。慌ててその背中を追いつつ、深雪は困惑した。
「今日は、あの中に入るの?」
前回は、あの中には入りたくないという成瀬の提案で、裏手にある塀に上って剣道場内を覗いた。頼来の登場により、深雪は未遂に終わってしまったが。
弱腰の深雪に、成瀬は不敵な笑みを浮かべて見せた。
「だって今回は、正当な理由があるもの。 あの塊の誰よりも」
ギャラリーを塊と呼ぶ成瀬の目には、彼女たちのことは恐らく道路に転がる石ころぐらいにしか映っていない。
あの群れに割って入ることはできないと、深雪は顔を引き攣らせたが、成瀬を引き留めることもできずに、結局その背を追いかけた。
入口に辿り着き、とりあえずギャラリーの最後方につく。
三人の登場に、周りは少しざわついた。
いや、三人というより、成瀬と千太郎に対してざわついたといった方が正しい。二人ともそこに存在しているだけで、人目を引いてしまうほどの容姿である。二人並んだら、その効果は二乗される。
日頃この二人に挟まれて歩く自分は、随分と度胸があるなと、深雪は改めて思いながら、なんとなく一歩後退った。
「あ! お昼行くみたいだよ」
ギャラリーの先頭の誰かが、剣道場内を覗き込みながら放ったその一言に成瀬は機敏に反応して、その細い体をうまく使い、群れの合間を縫っていく。
はらはらしながらその様子を窺うが、深雪の身長はほぼ平均。ギャラリーの頭しかほとんど拝むことができない。勿論、成瀬の様に堂々と前に出ることもできない。
どうしようかと悩んでいると、斜め前の千太郎が徐に首だけこちらを振り向いた。
それから、ゆっくりと深雪の後ろを指し示す。
「?」
何だろうと、千太郎の指し示す先を視線で追う。後ろには小さな花壇があり、レンガで区切られている。
ここに乗れば、少しは中が拝めるかもしれない。深雪は咄嗟にレンガへと足をかけた。
そのまま剣道場の方を向けば、先程より遠くはなったが、中の様子を窺うことができた。視力には自信があるので、日路を見つけるのにそんなに時間はかからなかった。
更に、昼休憩に入ったのか、部員たちがかなりこちら側に近づいてくる。おかげで、会話もなんとなく聞こえてきた。
「大神、昼飯忘れたんだろ? コンビニ行こうぜ」
意識している訳ではないのだが、わいわい騒がしい中でも、日路の名前は敏感に捉えることができる。
日路の声も同様だ。彼の爽やかな笑い声が聞こえてきた。
「それが、弟が持ってきてくれることになって」
「大神君の弟? 興味あるなぁ」
女子マネージャーの期待の声に、深雪は肩を縮ませた。
蓮季が来ていたら、その期待以上の驚きと感動を与えることができただろうが、代わりで来た深雪ではがっかりさせてしまうに違いない。
深雪は、ランチトートを持つ手を強張らせて、今からでも逃げ出せないものかと必死に考えた。逃げ出した後の成瀬の対応の方が恐ろしいので、実行には移せないが。
蓮季は、深雪が代わりにお弁当を持って行くと連絡すると言っていたが、日路のあの様子では、未だ蓮季からのメッセージを見ていない。
ここで深雪が急に日路のお弁当を持って行ったら、不審に思うであろう。
機会を窺わねばと、深雪が日路を凝視していると、急なアシストが入る。
「大神先輩! お届け物です!」
声を上げたのは千太郎である。
いつもの呟く程度の声量とは違い、珍しく張った声に、深雪も周りも仰天した。
フォローするとは言ってくれていたが、やり方が派手すぎだ。
そして、一番驚いた顔を見せたのは日路である。
「え、双葉? 何してるんだ?」
当然の疑問を口にしながら、道着姿の日路がこちらへと歩み寄ってきた。それと同時に、集まっていたギャラリーが黄色い悲鳴を上げて、辺りへと散っていった。
どうやら皆、日路と話がしたいというよりは、遠くから眺めていたいらしい。
結局その場に残ったのは、深雪たち三人だけである。
「おお、成瀬も立花もいた。 まあ、そうだよな」
妙に納得した様子の日路の笑顔に、深雪は緊張をMAXにした。
「三人とも部活か?」
にこやかに話を振られ、成瀬が「まあそうです」と軽く答える。それから、鋭い視線で深雪を見つめてきた。
恐らく、任務を遂行せよとの無言の指示である。
何と切り出そうかと、深雪が狼狽えていると、道場内から声がかかる。
「大神―。 弟って校門までくるのか? 女子が先に行ったぞ」
「え、先に行ってどうするんだよ」
男子部員の言葉に、日路が振り返ってツッコミを入れる。
まずい、このままでは日路も校門に向かってしまう。お弁当は自分が持っているのに。
「あ、あのっ、大神先輩!」
「ん?」
勇気を振り絞って声を上げ、再びこちらを向いた日路の眼前に、手にしていたランチトートを勢いよく突き出す。
突然差し出されたことに驚いて一歩引いた日路だったが、それが自分のお弁当だと気が付いて目を丸くした。
「あれ、俺の弁当。 何で立花が?」
「実は・・・・」
深雪は蓮季にお弁当の配達を頼まれたことを、日路に簡潔に話した。
一通りの出来事を聞いた日路が、申し訳なさそうに眉をハの字にする。
「悪かったな、立花。 そんなことさせちゃって」
「全然です!」
心から否定しながら、日路にランチトートを手渡す。
何とかミッションクリアだと、深雪はそっと息を吐いた。
すると、二人の様子を見守っていた成瀬が漸く会話に入って来てくれた。
「大神先輩でも、忘れ物ってするんですね」
「ははは」
成瀬の疑問は実に純粋なものだったが、日路の笑いはどこか哀し気に見えた。
どうしてだろうと思うのと同時に、蓮季が言っていた言葉を思い出す。
確か、最近の日路は、ぼーっとしていることがあるとかなんとか。会話をして、元気を与えてくれというようなことも言われていた。
「ちょっと寝ぼけてたのかな。 自分で作っておいて忘れるって、馬鹿だよな」
「え、お弁当って大神先輩の手作りなんですか?」
思わず、深雪から驚きの声が上がる。部活もあるというのに、朝からお弁当を作っているとは、どれだけ株を上げれば気が済むのか。
「まあ、実家暮らしじゃないからな。 結構料理は好きだし」
「料理男子って、先輩のスペック末恐ろしいですね」
日路の料理好き発言を聞いた千太郎が棒読みで慄いていると、成瀬が名案を思い付いて口元に笑みを浮かべた。
「料理好きなら先輩、今度お弁当作ってきてくださいよ」
「成瀬ちゃん!?」
大胆且つ、図々しいお願いに、深雪は思わず大きな声を上げる。
日路の手作り弁当なんて、恐れ多すぎて食べられる気がしない。
しかし、日路の心は寛大さが末恐ろしく、成瀬の女王命令を快く受け入れる。
「いいぞ。大勢に食べてもらえるって思うと、気合が入るしな」
まさかのポジティブに、深雪は一瞬で妄想を膨らませた。
憧れの先輩が、いつもの爽やかな笑顔と共に手作り弁当を差し出してくれる様を思い浮かべると、どうしようもなく照れくさくて頬が赤くなる。
「立花大丈夫か? 暑くて倒れそうなんじゃ?」
「先輩、問題ないので深雪の邪魔しないでください」
赤面する深雪を心配する日路に、成瀬の冷めたフォローが入った。




